12/Over the loathing《1》

 アルビスと公龍は互いの身体を支え合いながら大破した貨物庫の外へ。身体に張りついた霜を払いながら歩き、無人の発着場へと倒れ込む。

 一応、既に鉄灰色アイアングレイのアンプルと真天色スカイブルーのアンプルは投与済みだったが、まともに動けるようになるにはもう少し時間が必要で、時間の猶予などなく一刻も早い治療が必要なのは変わらなかった。

 アルビスは浅い呼吸を繰り返しながら空を仰ぐ。覆い被さる天蓋は、今にも崩れ落ちてきそうだ。

 現在の状況を予測するに、まず新羽田空港ニイバネは全域封鎖。現状ではまだ新型エボラウイルスの蔓延について調査中といったところだろうか。いずれにせよ、もう間もなく完全防備を整えた第四部門フォース・パワーか警察あたりが調査に踏み込み、アルビスたちの救助と凍結されたジェリーの身柄確保を行うに違いない。資金や組織のスピード感に分があるのは《リンドウ・アークス》に他ならないので、おそらく警視庁は先んじられ、第四部門フォース・パワーが到着するだろう。

 ここまで命を懸けて戦って、最後の最後で第四部門フォース・パワーにジェリーを奪われるのは何とも皮肉だが、こればかりはどうしようもない。《リンドウ・アークス》に歯向かうだけの余力は残っていなかった。


「このまま、放置ってのは、ねえよな……」

「ないだろう。……少なくともジェリーの身柄は確保したいだろうからな」


 同じように倒れている公龍とそんな言葉を交わす。公龍はそのあとでえづき、大量の血を吐いた。

 腕時計型端末コミュレットがにわかに振動。見れば戦闘の最中ずっと、通信を受信していたらしい。全くもって気づけないほどに追い込まれていたのだな、と改めて窮地だった事実を認識し、アルビスは小さく自嘲的な笑みを溢す。


「………私だ」


 通信に応じるや、熱心な連絡先は驚いたような、嬉しいような、声を上げた。


『おい、アーベント! てんめえっ! 生きてやがったか! よかったぁーっ! 全然繋がらねえから俺はもう万が一のことがあったんじゃねえかってよぉ』


 銀は捲し立てるように言う。その声は本当にアルビスの生存を喜んでいるようにも思えたが、全く別の理由で声が震えているのを誤魔化そうとしているようにも聞こえた。


『そうだ、こ、九重の奴が病院からいなくなったみてえなんだ!』

「だろうな。今、私の隣りで倒れている」

『はぁ? そいつは本当か! んで、九重は無事――』

「無事だ。今のところはな。……それで、用件は何だ。用がないなら早く救助を寄越してくれ。情けない話だが、私も公龍も限界だ」


 アルビスが言うと、銀は息を呑んだ。そして数瞬の躊躇いのあと、意を決したように再び口を開く。


『……アーベント、落ち着いて聞けよ。たぶんだが、救助はしばらく行けねえ』

「どういうことだ?」


 そう訊き返しつつ、アルビスは頭の中でいくつかの状況をシミュレーションする。だが銀が口にしたのは想定できる最悪を凌ぐ最悪だった。


第四部門フォース・パワーも解薬士も、警察の特殊部隊も、ほぼ壊滅した』

「……〝六華〟の新手か?」

『いや、そこまでは分からねえ。だがこれだけは言える。はジェリーやメルティなんざ比べものになんねえくれえにヤバい。……不本意だろうが、逃げろと伝えるために連絡したんだ』

「なあ、アルビス」


 会話に公龍が割り込む。いつの間にか身体を起こした公龍は旅客機が並ぶ発着場を眺めている。


「女部田の言うそいつはよ、ボロの外套を着てふらふらと歩く、バケモノみてえな奴のことじゃねえか?」


 公龍が見据える先、今しがた口にした通りの影がぼうと佇んでいる。そのシルエットから滲む威圧感たるや、今までに対峙したどんな敵よりも禍々しく。


「銀、……どうやらもう逃げられそうにはない」

「元から逃げる気なんざ、ねえだろうが」


 アルビスはそう吐き捨てた公龍と顔を見合わせ、動くはずのない身体で強引に立ち上がった。


   †


 全ての音が遠退き、あらゆる景色は色褪せ、遍く臭いまでもが掻き消えていく。

 発着場では二人と一人が対峙し、気怠い初夏の空気は瞬く間に凍りついていく。

 立ちはだかる影はフードを外し、その威容を露わにした。

 渇いた血のような赤黒い皮膚。生気のない鉛色の瞳が二つに、眉間に並ぶ昆虫の複眼じみた三つの目玉。口元を覆うのは瘴気のような銀色の髭で、掻き分けるように鋭い牙が一対覗いている。


「ったくよ、バケモノにつけ回される趣味はねえんだがな」

「こいつが例の〝解薬士狩り〟か」


 アルビスの言葉に、公龍は引き攣った笑みを浮かべていた。


「アルビスよ、覚悟しとけ。こいつは、マジでヤバいぞ」

「見れば分かる。――いくぞ」


 二人は回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを構える。手加減を加える余裕も、様子を見る余力もない。最初から全力フルスロットルで、叩き潰すのみだ。


「…………ィィィィイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


〝解薬士狩り〟が放つ歪な雄叫びが開戦の合図ゴング

 予備動作なしノーモーションからの爆発的な加速を見せ、一瞬にして間合いが詰まる。的確に反応し、アルビスと公龍は左右に飛び退く。回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜き、それぞれ特殊調合薬カクテルを注入する。

 アルビスは深緑色エバーグリーンのアンプル。脳内のアドレナリン分泌が異常活性化され、人間が無意識にかけている各種リミッターが解除――全身に火事場の馬鹿力が漲る。

 公龍は珊瑚色コーラルレッドのアンプル。迸る鮮血がかたちを結び、一振りの刀が形作られる。


「はあああああああっ!」

「ほうぅぅらあぁぁっ!」


 回避と同時、二人は側面に回り込んで攻撃へと踏み込む。しかしアルビスが繰り出した縦拳は〝解薬士狩り〟に触れることもなく切り裂かれ、公龍の振るった逆袈裟の一閃もまた半ばから切断され、折れた刃が血へと還って宙に舞った。


「な――――」


 前触れなく吹き荒れたかまいたちに対し驚愕を抱くアルビスの腹に砲弾のような衝撃。〝解薬士狩り〟の蹴りがめり込み、内臓が捩じ切れる。腹の底から込み上げた大量の血を吐きながらアルビスは紙切れのように吹き飛び、アスファルトを抉る。

 勢いを殺すより先に〝解薬士狩り〟の追撃。高々と跳躍した〝解薬士狩り〟がアルビスの転がる先を予測して地面を踏み抜く。アルビスは間一髪、強引にブレーキをかけて回避する。しかしその威力はもはや災害と呼べるほど。アスファルトが砕け散り、発着場全体が大きく揺れる。

 息つく間もなく、公龍の血の弾丸が〝解薬士狩り〟に殺到。アルビスと入れ替わるように間を詰め、生成し直した血の刃で斬りかかる。

 しかし血の弾丸は容易く躱され、豪速の刃さえ振り遅れるほどの速度に達した突きが見舞われる。


「ぅぐあっ!」


 公龍が思わず苦鳴を漏らす。刺突に貫かれ、爪牙に毟り取られた鎖骨が投げ捨てられる。そして同時に膝蹴り。公龍は高々と宙を舞い、廃棄されたゴミより無様に地面に落ちる。


「ィィィイイイイアアアアアアアアアアアアアアアッ! ィィィイイイイアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 追撃に踏み込む〝解薬士狩り〟にアルビスが立ちはだかる。縦拳で牽制し、回り込んでの掌底。鋭い一撃が〝解薬士狩り〟の顎を砕く。

 キュィィンと空気の裂ける音。アルビスはほとんど勘で身を捻る。しかし躱しきれなかった何かによって左手の指が吹き飛び、腕の外側が抉られる。激痛を押し殺し、アルビスはさらにもう一歩、深く踏み込む。〝解薬士狩り〟も反応し、鋭い爪牙を閃かせてアルビスへと放つ。

 アルビスはこれを読んでいた。コンマ数秒だけ打撃に溜めをつくってタイミングをずらし、〝解薬士狩り〟が繰り出す腕の内側へと身体を滑り込ませて攻撃を逸らす。


「ほぉぉぅぅぅうううらぁぁぁあああっ!」


 口腔に込み上げた血を噛み締めて吼える。放つ一撃は、角度・体重移動・速度のあらゆる全てをもって理想的な掌底。たゆまぬ研鑽が生んだ、必殺の一打。

 アルビスの掌底は〝解薬士狩り〟の胸郭を穿つ。凄まじい速さと鋭さで衝撃が突き抜け、〝解薬士狩り〟の背中側から砕けた肋骨が突出。

 しかし致命打には至らず。着打の寸前、後方へと重心をずらして回避行動を始めていた〝解薬士狩り〟は、紙一重でアルビス渾身の一撃の破壊力を減衰させていた。さらに牽制するように、〝解薬士狩り〟を中心に吹き荒れたかまいたちがアルビスを切り裂く。

 アルビスは全身を切り刻まれながらもかまいたちを目視。それが〝解薬士狩り〟の両手から伸びる、微細な繊維であることを看破する。

 そして切り裂かれたアルビス自身の血と肉片とかまいたちが乱舞する先、〝解薬士狩り〟の回避位置へと先回りした公龍の二刀の血赤が閃く。

〝解薬士狩り〟は曲芸じみた動きで反転。しかし今度はほんの一瞬、公龍の剣閃が速度で勝った。

 刃の切っ先が〝解薬士狩り〟の複眼を抉る。〝解薬士狩り〟は仰け反り、一回転して四肢をついての着地。そのまま背後へ跳び退り、旅客機の鼻先へと飛び移る。

 血の流しすぎでよろめいたアルビスを公龍が肩で支える。だが公龍もとっくに限界を迎え、荒い呼吸を繰り返して半開きになった口からは血と涎が止めどなく流れる。

 もはや言葉を交わすだけの余裕さえなかった。

 だがまだ二人の戦意は折れてはいない。


「ゥゥウウウイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


〝解薬士狩り〟が凄絶な苦鳴を漏らす。抉られた眼窩と肋骨の突き出た背中からはしゅうしゅうと音を立てた煙が上がり、瞬く間に傷が治癒されていく。その様はまるでアルビスがたった今自らに打ち込んだ鉄灰色アイアングレイのアンプルによる再生とよく似ていた。

 いや、似ているのではない。幾度となく使用してきた特殊調合薬カクテルだからこそ、〝解薬士狩り〟の肉体に生じるそれが、全く同一の現象であると分かる。


「……一体、何がどうなっている」


 アルビスは口元の血を拭いつつ呟く。奴もまたジェリーのように解薬士だというのだろうか。だが回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを所有している素振りはない。まるで生物としてのごく自然な反応の一つであるかのように、超速の再生が行われている。


「まるで特殊調合薬カクテルを使ったみてえな回復だな」


 公龍が同じ感想を口にし、アルビスは事務所を訪れた竜藤泉水りんどういずみに見せられた、多すぎる臓器を埋め込まれた海の向こうの被検体の映像と、彼の言葉を思い出す。


 ――まずは〝解薬士狩り〟を倒すところから始めるといいよ。

 ――この《東都》で何が為され、何が起きようとしているのか、少しだけ見えてくるはずだ。


 その大きな思惑をほのめかす不可解な言葉の真意は、この異形の怪物を倒した先で明らかになるというのだろうか。


「……倒せば全て明らかになる、か」


 アルビスは誰に言うでもなくそう言って、深緑色エバーグリーン若竹色ペールグリーン山吹色ブラッドオレンジ鈍色ガンメタル――ありったけの特殊調合薬カクテルを自らに打ち込んだ。

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