09/A sudden turn《1》

 停車したタクシーから降りると、眩い赤の光が目に飛び込んだ。

 遺体の発見現場である復興記念公園の周囲は今、取り囲むように配置された警備ドローンによって人払いが為されている。

 アルビスは警備ドローンに解薬士IDを翳す。赤い光が青く明滅し、捜査関係者として認められたアルビスはドローンの電子音声に中へ入るよう促される。

 中央の広場へと人工樹の緑道を歩いてしばらく、アルビスの到着通知を受け取った澪が正面から足早に向かってきた。


「お疲れ様です。ミスター・アーベント」


 その表情には疲労と一緒に、やるせない怒りが滲んでいる。それは事態の悪化だけを意味しない。

 現場を覆うブルーシートから若い鑑識が飛び出してくる。彼はその場に倒れ込むよう膝をつき、激しくえづいて嘔吐する。アルビスも澪に続いてブルーシートのなかへと入り、青年鑑識官の嘔吐の意味を理解する。

 盛永スサーナは、あまりに変わり果てていた。

 切断された四肢は皮膚の剥がされた胴体の乳房や陰部を隠すかのように絡みつく。繰り抜かれた両目と無理矢理に抉じ開けられた口や鼻や耳――顔にあるありとあらゆる穴から、カラフルな錠剤が溢れている。縦に引き裂かれた腹には仔犬と思わしき動物の頭骨が外向きに埋め込まれ、まるでこの世に生まれ出ることに怯えているかのように鼻先を突き出している。

 一見するとセンシティブなアートじみていたが、死体に防腐処理などはされておらず、少なくとも半日以上の時間が経過しているスサーナの肉体は腐乱臭を発して、端から崩れかけている。

 拷問、などという生易しさはとっくに超えていた。

 スサーナの遺体は、見る者に、あるいはこの一連のコードαに関わる者全てを嘲笑い、戦慄させるためだけにそこに存在させられていた。


「盛永氏の遺体は中央広場にある、この噴水を模した立体映像ホログラムの内側で発見されました。今朝方、園内をランニングしていた女性が立体映像ホログラムに歪みが出ている旨を管理会社へと通報。午後になって訪れた管理会社の職員が第一発見者ということになります」

「全く悪趣味だ」


 にわかには受け入れがたい有様に、アルビスはただただ眉を顰める。だがスサーナの悲惨な末路から目を背けるわけにはいかなかった。

 元はと言えば、スサーナが拉致されてしまったのもアルビスの落ち度だ。あの立体駐車場で、メルティとジェリーの両名を問題なく撃破していれば、スサーナはこんな目に遭う必要はなかったのだ。

 己が無力が招いた死に、アルビスは奥歯を噛む。この悔しさは、スサーナが受けた恥辱は、必ず雪がねばならない。握り込んだ拳のなかで、骨が軋んだ。


「強烈な拷問痕が目立ちますが、四肢の切断や皮膚を剥ぐなどの残虐行為は死後おこなわれたようです。直接の死因は溺死」


 澪が説明を続け、アルビスは我に返る。怒りに呑まれるのも、自らの弱さを悔いるのも、今すべきことではなかった。いつものように感情を殺し、自らを凍りついた鋼へと転じさせる。


「溺死……窒息死ではなくか」

「はい。あくまで推測ですが、肺から検出された水分に、ジェリー=ハニーのDNAが残っているかと思います」

「なるほど。奴の身体ならば窒息死も溺死になるということか」


 スサーナの遺体を指の爪程度の大きさの鑑識ドローンが這っている。転送されてくる解析データを、鑑識官がメモを取りながら浅い呼吸を繰り返している。


「周囲の街頭スキャナに映像は?」

「はい。確認したところ、今日未明……時刻にして午前三時過ぎにジェリー=ハニーらしき人物が公園の西側から入り、その二〇分ほど後に南側の出入り口から出て行くのが目撃されています。その後の足取りに関しては、現在《イーストアクセル》に街頭スキャナの記録映像の開示要求を打診していますが、ジェリーの能力上、あまり期待はしないでください」

「分かっている」


 アルビスは言って、思考の海へと半身を突っ込む。

 澪の言う通り、ジェリーは透明化する肉体によって容易に街頭スキャナの目を掻い潜り、それどころか誰に気取られることもなく《東都》中を移動することができる。

 だがそれは裏を返せば、この復興記念公園での動きでさえ街頭スキャナなどに記録を残すことなく、スサーナの遺体を配置できたということを意味する。

 いくら人を逸脱しようと、たった二年という短い期間だろうと、ジェリーが傭兵として一流プロフェッショナルである以上、そんなヘマはあり得ない。たとえ透明化できない理由があったとしても、街頭スキャナの死角を通るくらいのことはアルビスだって思いつく。つまりジェリーはこの復興記念公園でわざと姿を晒したのだ。

 一つは遺体を見つけやすくするためだろう。ジェリーとその背後の人物は宅間の件から一貫して、何かに対してメッセージを発し続けている。今度こそ本当に〝全てを知る〟ことが出来ているならば、確実にここでもメッセージを突き付けてくることが予想できた。

 だが遺体の発見しやすさは、立体映像ホログラムの裏に配置することで既にほとんど達成されている。不自然に歪んでいる立体映像ホログラムがあれば、誰しも気になるものだし、《リンドウ》の標語コピーよろしくに生きる市民ならば、管理会社に連絡を入れるくらいわけもない。

 ならばジェリーがわざわざ姿を晒したのには別の意味があるはずだった。

 アルビスはそこで思考を中断する。メモを取っていた鑑識官が立ち上がり、怪訝そうな表情でアルビスの隣りの澪に報告を入れたからだ。


「メッセージか?」


 鑑識官からの報告を聞き終えた澪は、アルビスの問いに頷く。


「はい。まだ確証があるわけではないそうですが、ドローンの解析上、右の腎臓に不自然な裂傷があるそうです」

「そうか」


 アルビスは頷き、スサーナの遺体へと近づく。鑑識官が気圧されて退き、澪は慌ててアルビスの肩へと手を伸ばす。


「ちょっと待ってください。何をお考えかは分かるんですが、遺体は検死に回しますから」

「時間がない。今度こそ奴らはファイルを手に入れている可能性が高い。後手に回れば、取り返しのつかないことになるぞ」


 アルビスは澪の手を払う。スサーナの腹に埋め込まれた仔犬の頭蓋を引っこ抜き、その空洞へと躊躇なく自らの手を突っ込んだ。


「ああぁ……」


 澪が後ろで肩を落としていたが、アルビスは構わずスサーナの腹を弄る。肝臓を退かし、その下の右腎を取り出す。呆気にとられる鑑識官からペンを奪い、その先端で腎臓を裂いていく。既に腐りかけているせいもあって、ペン先でも容易く中身を開くことできた。


「…………〝私は全てを手に入れたI GOT ALL.〟」


 後ろから開いた腎臓を覗きこんだ澪が、そこに刻まれたメッセージを読み上げる。

 挑発的を過ぎ、さらなる不遜に。あるいは蠱惑的を過ぎ、痛烈な支配の宣告へ。

 やはりジェリーはスサーナからファイルの在処を聞き出し、既に手に入れていることが伺えた。

 アルビスはもう一度、腹の穴に手を突っ込んで今度は左腎を引っ張り出す。同じ要領で裂いた内側は既に腐食で崩れかけていたが、辛うじて文字が判別できた。


「〝誰もこの祝祭は止められないNOBUDY CAN STOP THIS CEREMONY.〟」


 その意味を正確に理解することはまだ難しい。だが〝祝祭セレモニー〟とやらがろくでもないことなのは確かで、アルビスはにわかに戦慄を覚えた。


「どういう意味でしょう……」

「少なくとも、準備が整ったということだろう」


 アルビスの重く、鋭い応答に、澪も息を呑んだ。


「ミスター・アーベント、すぐに動き出しましょう」

「当然だ。まずは街頭スキャナの記録映像だ。時間が掛かるようであれば、私が直接《イーストアクセル》へ出向く。これでも先日の件で、多少は顔が効くはずだ」

「分かりました」


 アルビスは立ち上がり、澪とともに踵を返す。

 だがちょうど同じタイミング。二人の行く手を阻むように、アリストクラタ・ホテルでの一件で顔見知りとなった中年刑事が立ち塞がった。背後には小田嶋よりも頭一つ背の高い、黒服の男たちが控えている。アルビスは彼らのジャケットの襟で煌めく、紋章によく見覚えがあった。


「……小田嶋さん。どうしてここへ? それに彼らは何です?」

「そこを退け」


 困惑する澪の前に進み出て、アルビスは言い放つ。だが小田嶋は一歩たりとも退こうとしなかった。それどころか、後ろに控えていた男たちが小田嶋を庇うように割って入ってくる。小田嶋は黒服らの肩越しに、これは自分の意志ではないとでも言うように、顔をいっそう顰めてから首を横に振った。


「この件は幕引きだ。捜査は終了。以後、医薬特区に関わるコードαは全て《リンドウ・アークス》第四部門フォース・パワーの管轄になる」


 第四部門フォース・パワー――。解薬士の前身である《リンドウ・アークス》の医療軽武装組織、通称メディガンズを起源とする《リンドウ》屈指の武闘派部門。同時に、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターのような解薬士の装備品の研究開発や新人解薬士の育成・研修を担うセクションでもあり、解薬業務の民間委譲後は後者のイメージのほうがより色濃く、あまり表舞台には現れなくなったと聞いていた。

 気が付けば、鑑識官やドローン含め、何一つとして周りには残っていない。こいつらが人払いをしたのか、あるいは危険を察知して早々に撤退したのか。いずれにせよ、ただならぬ方向へ事態が急転していることは確かだった。


「上の指示だ。飛鳥警部。いくらあんたが警視総監のお気に入りでも、こればっかりは従ってもらうしかねえよ」


 上からの物言いとは裏腹に、小田嶋の視線は縋るような様子で澪に訴えている。おそらく指示に従わない場合、第四部門による拘束許可が下りているのだろう。


「ですが、小田嶋さん。これはわたしたちの――」


 食い下がろうとする澪を、アルビスは手で制した。


「ミス・アスカ。行こう。もうここは、私たちの戦場ではなくなった」

「でもアーベントさん!」

「これは決定だ。《リンドウ》の意志は《東都》の意志。……そういうことだろう?」


 アルビスはありったけの皮肉を黒服たちに向ける。黒服たちは興味ないと言いたげに、表情筋の一つさえ反応させなかった。

 澪は小さく舌打つ。アルビスは見せつけるように溜息を吐き、黒服たちの間を抜けてブルーシートから外に出る。澪は不満を隠しきれないようで、不機嫌に眉を歪めながらすぐ後を続いてくる。


「本気ですか? アーベントさん。こんな横取りみたいなやり方……」

「ミス・アスカ。落ち着け。私も苛立ってはいる。だが事態が全く呑み込めないまま動くのは危険だ」

「それに何なんですか、第四部門って。あんなのただの戦闘指導の教官の集まりじゃないですか」

「そうではないから、この場に出張ってきたんだ」


 アルビスはハンカチで血塗れの手を拭う。苛立ちを露わに踵を鳴らす澪に続いて、復興記念公園に隣接する専用駐車場に停めてある澪の車へと乗り込む。


「どこへ向かう気ですか?」

「事態は急を要するが、まずは状況を正確に知る必要がある。進んで会いたい男ではないが、この状況を問いただすに最も相応しい男がいるだろう」


 アルビスは心底うんざりした調子で言って、深く深く溜息を吐いた。

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