08/On the border《2》
賢政会の前身組織――有限会社KMカンパニーは死体処理業者だった。
いわゆる特殊清掃というもので、身寄りのない老人や自殺者、身元不明者などの遺体を回収し、現場を元の状態に回復させるというものだ。
そしてKMカンパニーは回収した死体を、医薬特区の加盟企業へと流し、実験素材や検体として提供していたという。
無論、そんな事実や噂はアルビスの調べられる範囲では存在しない。だがKMカンパニーが優良企業だったとは言い難いことは確かで、黒い噂は絶えずあったようだった。
事実、医薬特区の設立から間もなく、サイドビジネスであった売春宿の経営によってKMカンパニーは財を成し、廃区に存在する在野の風俗店を次々と買収――賢政会という廃区有数の反社会組織を編成に至るまで、アンダーグラウンドの階段をのし上がった――ということになっている。
銀が引っ張ってきた情報の通り、医薬特区の設立と賢政会が力をつけた時期は確かに重なる。
だがそれだけでは証拠にも何もならない。医薬特区と賢政会の関わりを決定づけるための何かが必要だ。
医薬特区と賢政会の繋がりと同様に、〝六華〟に関しての情報も同じだった。
国籍不明、人数不明の傭兵集団。戦闘から破壊工作、潜入に拉致監禁に拷問――。あらゆる手段を用いて対抗組織を切り崩すプロフェッショナル。
都市伝説のように語られるそれらも、やはり事実無根だった。
アルビスは昔の伝手を使って、かつての同業たちと連絡を取っていた。だが実際に同じ戦場に立っているであろう彼らの〝六華〟に対する認識も、凄まじい噂程度のものであり、少なくとも面の割れているジェリーやあまりに外見が特徴的なメルティでさえ、確かな情報は何一つとして得られなかった。
不確かなカードが増え、状況がより複雑化しただけだった。だがこれまでの経験上、パパスから得た情報が全くの誤情報だったことはたったの一度としてない。
だからもし〝六華〟の存在が事実だとして。
おそらく戦場で実際に対峙した者は皆殺されているのだろう。ただの一人たりとも生かすことはなく、徹底して自分たちの存在を隠匿する傭兵集団。
だがそんなことが可能だろうか。
傭兵である以上、〝六華〟にも雇用主が存在することになる。ゲリラの長であれ、政府の高官であれ、傭兵は組織を率いる者と取引をし、命と武力を差し出す対価として金銭を受け取る。
そこで最も重要なのは信頼だ。
実績や人となり――こいつらならばこの戦いの目的を果たすのに一役買ってくれるはずだと、思わせられなければ傭兵は食い扶持を失う。
存在するかも分からず、誰も姿を見たことがない。そんな傭兵を使いたいと思う者がいるとは思えない。
「……
アルビスは中空に浮かんでいる無数の
あらゆる
そこまで考えて思考を止めた。逸れている。分からないことがあり過ぎて、考えが上手くまとまっていなかった。
アルビスは意識を事務所の入り口へと向ける。誰かが階段を上がってくる。微かな足音から体格を推測。女ではなく、体格のいい男でもない。おそらくは長身。僅かに左側に重心が傾いているのは足が悪いからだろう。
訪問者はアルビスの予想通り、事務所の扉の前で立ち止まる。ノックもなく、いきなり扉が押し開けられた。
入ってきた男は見立て通りの長身。公龍よりも少し高く、アルビスよりは少し低い。伸ばした黒髪を後ろで結わき、顎には薄っすらと無精ひげが浮かぶ。服装は雪駄にだぶついたジーンズ。縒れたシャツは第三ボタンまではだけ、薄い胸板を覗かせる。
男は事務所のなかへと入ってくる。男の左足が床を擦った。執務机についているアルビスを見つけ、口元を綻ばせた。
「やあ! アルビス! 久しぶりだね!」
妙に剽軽で鬱陶しいくらいに陽気な調子。男はアルビスに向けて両手を振ってウインクをした。
アルビスも男を知っていた。だがまさか訪問してくるとは夢にも思っていなかったので、適切な反応に遅れ、挨拶もできないままに男の名前を呟く。
「……
名前を呼ばれ、男は笑みを深くする。足を引き摺りながらアルビスへと近寄り、机越しに手を伸ばして強引に握手を交わす。きっと机がなければ抱擁とキスを強要されていたに違いない。
「元気にしてたかい? 僕は元気さ。久しぶりに《東都》に帰ってきたら、君も戻ってきていると聞いてね! 居ても立っても居られなくて会いに来ちゃった!」
泉水と呼ばれた男はアルビスの腕をぶんぶんと上下に振った。
「ずっと心配していたんだ。とは言っても、君は優秀で身体も丈夫だったからね。万が一のことはないだろうと思っていたけれど、またこうして会えるなんて……ほんとうに嬉しいよ! ちょっと痩せた? というか大きくなったねぇ!」
薄っすらと涙さえ浮かべて再会を喜ぶ泉水に、アルビスは苦笑いを隠しきれない。
「そういう貴方は相変わらずだな。……相変わらず忙しなく、うるさい」
「うるさいは酷いなぁ、アルたん」
泉水はへらりと笑って、応接用のソファへと腰を下ろす。
「……ア、アルたん……」
「ここってさ、解薬士の事務所だろう? アルたん、解薬士なの?」
「見ての通りだ」
「へぇ、中身は変わるもんだねぇ。昔のアルたんからは想像できないよ」
「人は変わる。……それで、何の用だ?」
軽やかで人懐こい笑みを浮かべている泉水に対し、アルビスは剣呑な声音。氷柱のような視線がソファでくつろぎ、お道化る泉水を見据える。
「言っただろう? 久しぶりに会いたかっただけだってさぁ……って言ったら信じてくれる?」
「本気で言っているなら、私は貴方への評価を改めざるを得ない」
「その言葉が聞けて良かったよ。…………目的は、復讐かな?」
鋭さを帯びた泉水の声に、アルビスは電撃的に反応。跳び上がるように立ち、胸から
「どーどー。落ち着いて。僕はアルたんの味方さ」
「それこそ信用できんな。何がしたい?」
「贖罪と言ったら?」
「笑わせるな」
アルビスの声に、これまで誰にも見せたことがないほどの冷たく激しい怒気が籠る。握りしめる
「お近づきの証拠に、面白いものを見せてあげるよ」
泉水は言って、
画面いっぱいの赤――血液。それが辛うじて動画だと分かるのは、血に溺れるように映り込んでいる無数の肉塊が時折、びくびくと痙攣するように動いているからだった。
「異所性移植か」
「よく勉強してるね」
茶化すように言った泉水を、アルビスは睨みつける。泉水はつれないな、と肩を竦め、その映像について口を開く。
「異所性移植。本来あるべきではない場所に、新たな臓器を足す医療技術のこと。既に一〇年代の初めには心臓の異所性移植が成功しているね」
重要な疾患を抱えた臓器の移植手術の際、様々な理由から疾患を抱えたり機能低下している臓器を摘出できない場合において、この異所性移植は用いられる。
泉水が口にした心臓の異所性移植は、元の心臓を取り除くことで生じる肺高血圧の負荷に移植される心臓が停止する恐れがあるために敢行された。結果として二つの心臓がかかる負荷を分担することにより、死を待つだけだった患者は僅かな時間だけ生き永らえることができた。
だが目の前で流れる映像は、医療の域を遥かに逸脱している。
「心臓が四つに肝臓が三つ。胃と左肺が二つ。小腸に関しては無用な分岐が六本。膵臓も三つ、いや四つあるな」
「惜しい。小腸の分岐は七本だ。ほら二つ目の胃のすぐ下」
泉水が指を鳴らし、アルビスの見落としを指摘する。だが正確な胃の数などここでは大した問題ではないだろう。
「これは何だ」
もはや問いではない。生命の冒涜に対する痛烈な怒りだった。
「僕が留学していたアメリカに新設された医療軍の実験に関する機密データだよ。ちなみに被験者はこの三分後、拒絶反応を起こして死亡した」
「当たり前だ。こんなでたらめな人体実験が成功していいはずがない」
「でもアルたんは、一体何のための実験だ、っていう顔してるね」
当然だろう。いきなりこんなものを見せつけられ、一体どんな事情があればこんな非道に走ることが許されるのか、知りたくもなる。
「目の付け所は悪くなかった。だけどこれはね、異所性移植じゃあないよ」
「じゃあ何なんだ?」
「それは君ら解薬士が、よく知ってるはずだ」
煙に巻くような泉水の言葉の意味を、アルビスはにわかには理解できない。
「そう、訝しむことはない。アルたんたちは確実に、正解に、全ての核に近づいているから」
泉水は左脚を庇うように、ゆっくりと立ち上がる。
「まずは〝解薬士狩り〟を倒すところから始めるといいよ。そうすればきっと、この《東都》で何が為され、何が起きようとしているのか、少しだけ見えてくるはずだ」
「貴方は知っているのか?」
「全てではないけど、アルたんよりは爆心地の近くにいるかな」
泉水はさっきまでのへらへらした調子で口の端を歪める。真意を図りかねているアルビスを置き去りに、泉水は踵を返して扉へと向かう。
「大丈夫だよ。アルたんが復讐を望む限り、必ず真実は見えてくるから。そのとき、きっと僕とアルたんはもっと仲良くなれるよ」
「…………」
アルビスは答えなかった。表面的な言葉をいくら交わしたところで、自分が一方的に追い込まれるだけのような気がした。
「あ、そうそう。あの、何だっけ、あの子。保護している子」
扉に手を掛けた泉水が立ち止まり、思い出したようにアルビスを振り返る。
「あの子のこと、大事にしてあげなね」
「どういう意味だ?」
「それじゃ。また会おうね、アルたん」
泉水は最後にもう一度笑みを浮かべ、帰っていった。
静かに、だが嵐の只中に突き落とされたような騒めきを孕んだ事務所のなかで、アルビスは泉水の言葉を反芻する。
一体、自分たちは何に巻き込まれているのだろうか。
もしかするとアルビスが敵と定めたその相手は想像よりも遥かに、とてつもなく強大で、そして深い闇と狂気を抱えているのかもしれない。
何が敵で、何が味方なのかさえ、曖昧に移ろうようで、分からなかった。
《東都》を統べる一族のなかでも稀代の天才と称された男の、水のように掴みどころのない不可解な言葉が、アルビスの耳に不愉快にこびりついていた。
†
アルビスは嫌な疲労感に小さく息を吐き、執務椅子に深く身体を沈みこませる。
昔からあの男は苦手だった。親しげに近づいてくる割りに、常に遠く隔たっているような、不気味な雰囲気がするのだ。
何を考え、何を見ているのか。
それが全く掴めない。
アルビスはもう一度、今度は深く溜息を吐き、デスクから煙草を取り出して火を点ける。
一度、全ての思考をリセットする必要がある。そう思いながら紫煙を吐き出し、だが現実はアルビスのことなど一切考慮しないということをすぐに思い知らされた。
振動した
通信相手は澪だった。
『お疲れ様です。ミスター・アーベント』
もはや声音だけで、彼女の用事がアルビスにとって好ましいものでないことは理解できた。澪は一度、深く息を吸い、意を決したようにアルビスへと告げた。
『……盛永スサーナの死体が上がりました』
状況は、考えうる限りの最悪へと転がり落ちていく。
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