12/Dancing with the blood《3》

 走り出したアルビスに脚が殺到。横に飛んで躱し、腕の力だけまた跳躍。風圧がアルビスを嬲り、着地の体勢が崩れたところを見計らって刺突が飛んでくる。アルビスは僅かに身を切るも躱しきれず、鋭い槍と化したアイアンスキナーの脚が脇腹を抉る。


「ほおおおおおおううううらああああっ!」


 激痛を噛み殺す雄叫びとともに手刀を振り下ろす。狙いは硬質な脚を繋ぐ関節。アルビスの骨が砕ける代償に、アイアンスキナーの脚が歪な音を立てて折れる。

 再び地面を蹴りながら回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの弾倉に特殊調合薬カクテルを装填。鉄灰色アイアングレーのアンプルを打ち込んで脇腹の傷を強引に塞ぐ。

 公龍の切り札の正体ついては、アルビスも聞いたことがある。

 原初の特殊調合薬オリジン・カクテル。現行の特殊調合薬カクテルとは比較にならない劇薬であり、主に天常汐による開発だが、命さえ奪う副作用ゆえにそのままの実用化は見送られ、廃棄が命じられたと聞く。原初の特殊調合薬オリジン・カクテルの効果を極限まで押さえ、人体とより親和するように開発し直されたものがアルビスたち解薬士が用いる通常の特殊調合薬カクテルなのだ。

 公龍は類まれな赤色系統の適性者であり、尚且つ耐薬体質という資質の持ち主である。しかし魔法に近接するレベルにまで発展した薬学の粋――否、蹂躙を無事に受け止め切れるとは限らない。

 確率は五分。いやもっと低いだろう。

 だがその分の悪い賭けに乗ることを公龍は選択した。その賭けに勝つことが、最凶の敵を打ち破る唯一の活路なのだ。ならば全身全霊をもって、道を切り拓く他にない。公龍が背負った決意に対する自らの意志を示してこその相棒だ。

 地を這って放たれた脚の刺突がアルビスの肩を抉る。接触の刹那に叩きこんだ掌底が脚のキチン質に亀裂を走らせる。

 アルビスは脚に飛び乗って上を疾走。脚が跳ね上げられて宙に放り出される。空中を舞いながらアルビスは回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの引き金を引く。山吹色ブラッドオレンジのアンプルで感覚を拡張し、間もなく効き目の切れる深緑色エバーグリーン若竹色ペールグリーンのアンプルを追加投与。


「ぐ、ぁっ!」


 度重なる死闘とそれに伴う特殊調合薬カクテルの過剰投与に肉体が悲鳴を上げた。全身の筋繊維に針金が通ったかのように強張る。だが握り込まれた拳に籠る力が、まだ動けると訴える。

 空中のアルビスに向けて、容赦のない打擲が迫る。アルビスは自らが持てる全てを研ぎ澄ませ、アイアンスキナーの攻撃を迎え撃つ。

 落下しながら身を翻し、一撃目を躱す。脚の掠めた左腕が砕け、使い物にならなくなる。だが右手はアイアンスキナーの脚をしかと掴んでいる。

 反転。頭上の脚を足場にして蹴る。目下のアイアンスキナーへ向けての垂直落下。尚も迫る打擲。肉体を削り取られながらも紙一重で受け流し、さらには足場にして落下速度を加速させる。


「はぁぁあああああああっ!」


 咆哮とともに繰り出される掌底が、重力さえも味方にした流星のごとき一撃となってアイアンスキナーを穿つ。

 轟風と爆音。アイアンスキナーの巨躯が吹き飛び、奥のエレベーターホールへと突っ込む。薬学部棟そのものが大きく揺れる。粉塵が立ち込める。

 アルビスは辛うじて立っていたが、掌底を放った右腕は威力に耐え兼ね、砕けた尺骨と橈骨が皮膚を突き破って露出している。

 アルビスは地面に膝をつく。躱しきれなかった打擲に太腿がごっそりと抉られていた。肩越しに振り返り、相棒の姿を探す。


「公龍!」


 アルビスは叫ぶ。しかし声は届かない。

 夥しい量の出血。そしてその血が帯となり、公龍の周囲をたゆたっている。当然ながら公龍の意識はなく、鮮血の帯は黒く変色して今にも崩れようとしている。全ての帯が崩れる瞬間が、公龍の命が潰える瞬間になることは直感的に理解できた。


「――イィ、良い、善い、酔い……いい痛イッ!」


 歓喜の絶叫とともに、粉塵に異形のシルエットが浮かぶ。背中から突き出した脚は既に五本が失われ、残り三本になっている。上半身の服は掌底の衝撃で爆散し、穿たれた胸には蜘蛛の巣状の亀裂が走って血を滲ませている。


「これでも、駄目か」


 先のアルビスの一手は、凌ぐだけの時間稼ぎなどではなく、全身全霊をもって勝負を決しにいった一撃だった。そして全てを出し切った。だがそれでも、届かないのだ。


「コレだッ! ワワ私が、求メてイタのハ、これダァッ!」


 アイアンスキナーが自分本来の脚で歩きながら胸を押さえる。与えられた痛みに歓喜し、感動し、打ち震えていた。


「公龍っ!」


 アルビスはもう一度叫んだ。口腔に込み上げた血を吐きながら、力を振り絞って叫んだ。


「どうしたっ! 一〇秒経ったぞっ! 貴様はその程度でくたばる男か! クロエが待っている! 勝てッ、公龍ッ!」


 刹那、公龍を覆う血のヴェールがまるで生物のように胎動。その色濃さを増していく。

 それはまるで、何か神秘的な創作映像を見せられているようだった。

 体外へと噴き出していた血は、逆再生されるかのように公龍の身体へと吸い寄せられ、体内に引き戻される寸前で花弁が開くように公龍を包み込む。深紅の螺旋が渦を巻き、右腕、左腕、右脚、左脚、そして胴体と、公龍の体表に固定されていく。

 ――血赤の鎧。

 世界各地の伝説で語られる竜の鱗のように歪で美しい、力の顕現。

 遺伝子変異などという言葉では語り得ない超常的な現象が、公龍を急速に書き換えていった。

 間もなく、全ての血が公龍の身体へと固定される。

 顔の下半分までを隈なく覆った血赤の鎧は、まるで公龍を呑み込む狂気のようだったが、その悪人じみた目つきに陰りはない。


「ヨォ、ダよぉ、オヨおよオヨオヨ……」


 アイアンスキナーが理解不能な奇声を発する。

 公龍が地面を蹴った。爆発的な踏み込みではなく、まるで水面に降り立つように柔らかな。しかし公龍の身体は残像を残すほどの速度でアイアンスキナーへと向かっていく。

 奇声を上げたアイアンスキナーも電撃的な速度で応戦。残る三本の脚が次々に伸展し、公龍へと襲い掛かる。

 公龍は稲妻のような軌跡を描いて間合いを駆け抜け、そのことごとくを躱してみせる。血赤の鎧に覆われた右腕に螺旋。引き延ばされた赤い渦が槍のような形状へと変化する。公龍は跳躍してアイアンスキナー本体へと肉薄。一瞬にして右手に握られた槍を振り抜く。

 咄嗟に折り畳んだ脚で刺突を防御。衝撃に血の槍とともに脚の一本が爆散。しかしアイアンスキナーはすかさず反撃。歪な三日月を描いて公龍の斜め後ろの死角から鋭利な鎌状に変異した脚が殺到する。空中の公龍はまともな回避行動など取ることもできず、されるがままに切り裂かれる。鮮血が散った。

 アルビスは朧げな意識のなかで息を呑む。

 攻撃、回避、防御――。そのどれをとってももはや人間業を遥かに逸脱した戦闘。白濁した公龍はただアイアンスキナーだけを見据えている。

 落ちるように床に降りた公龍はバックステップで距離を取る。追撃を加えてくる二本の脚を、再構成された槍で薙ぎ払う。

 切り裂かれたはずの公龍の身体には傷の一つさえなく、破れた血赤の鎧が螺旋を描きながら瞬く間に修復されていく。

 あの血赤の鎧は公龍の血でありながら、肉であり骨だった。そして剣であり盾なのだ。

 攻防一体の強化戦闘服バトルドレス

 血より鮮やかな緋の特殊調合薬カクテルで編み出されただろうそれは、しかし確実に諸刃の剣であることが伺えた。上半分だけ露出した公龍の顔は、明らかに青ざめていた。もはやそれは死人同然と言っていい顔色だった。血赤の鎧は確実に、公龍の命を削っていた。

 公龍の攻撃はすさまじい。だがアルビスの渾身の一撃がその命に届かなかったように、公龍の血の連撃も決め手に欠ける。加えて限りある血液を纏って戦う以上、公龍の持久力は期待できない。


「全く……世話の焼ける、クソ野郎だ」


 アルビスは無理矢理に口の端を歪め、ぼろぼろの身体を奮い立たせる。



 公龍は頭上から降り注ぐ脚の刺突を躱し、横から薙がれる攻撃を跳躍で回避。弄ぶようにアイアンスキナーの脚を足場にして柱まで跳躍。血赤の鎧が自動的に変化し足裏にスパイクを形成。地面と水平に柱の側面に立つ。左右から迫る、鞭のように撓る脚。

 公龍は跳躍。迫る脚を紙一重で掻い潜ってアイアンスキナーの背後へ。アイアンスキナーが機敏に反応して脚の尖端を突き下ろす。公龍の左腕から肩にかけて広がる血の螺旋。傘のように広がってアイアンスキナーの脚と衝突。砕け散る鮮血。

 飛散する血赤の雨から飛び出した公龍は右腕に血の長槍を形成。螺旋の収束と同時に、アイアンスキナーの本体目がけて左斜め下方から振り上げる。

 今度こそ確かな手応え。アイアンスキナーの脇腹に食い込む血の長槍。穂先で抉るように引き抜くと、罅割れた強化キチン質がぱらぱらと床に落ちる。


「ォォ、さイ強、き、き、きょ、ギィ、アァ……」


 体勢を立て直したアイアンスキナーの反撃。公龍は後退。血の螺旋が織り成す盾で、伸展し追い縋る脚の攻撃を凌ぐ。公龍は回避を続けながら、躱しきれない攻撃を比較的短い投擲用の長槍を生成して迎撃。一撃の威力よりも手数を優先した対処的攻撃。

 脚の刺突を長槍の柄で受け流し、公龍は身体を捻る。攻撃を片手で受けたので血赤の鎧とは言えども支えきれず、下腕骨に亀裂が入るのを感じた。しかしもう一方の手には既に展開を終えたもう一振りの長槍。勢い余ってすぐ脇を走る脚に突き立てる。

 地面と垂直に振り下ろされた血赤の槍は、地面もろともアイアンスキナーの脚を縫い付ける。

 自在に伸縮する脚にどれほどの効果があるかは未知数だったが、当初の想定を裏切ることなくほとんど大きな意味はない。アイアンスキナーは脚を引き千切り、公龍へ向かって駆け出す。


「ャャァァッ! い、いだ、イダい、いだイ、イィィィィ生きテルッダォ!」


 激痛に歓喜。昂る感情に呼応するように、アイアンスキナーの腹部に隆起。食い破るように現れる九本目を数える新たな脚。

 視界が霞んだ。

 運動能力が下がっているのも理解できた。身体が重い。まるで骨や筋肉が金属に変換されたようだった。動かすたび、ギシギシと軋むような感じがした。

 状況判断能力も推測能力も同様だった。さっきからほとんど反射的に――悪く言えば本能的に動いているだけであって、アイアンスキナーの動きを読もうにも何かを考えようとした時点で思考が霧散した。

 緋色クリムゾンのアンプルを乗りこなすという賭けに勝ってから、これと言った大きなダメージは受けていない。だから理解できた。自らの血を剣と盾として纏いながら戦うというこの状況そのものが、大きなダメージなのだ。

 もはや全身の感覚は希薄だった。腕の骨折は頭で理解こそできていたが、痛みらしい痛みはほとんど感じられない。

 公龍とアイアンスキナーが同時に跳躍し、空中で交錯。二本の脚の刺突を躱して槍を振るうも、間合いの内側へと入り込んだアイアンスキナーの拳が一瞬早く鼻梁を砕く。

 吹き飛んだ公龍はアルビスの元へ。アイアンスキナーの追撃を回避すべく、公龍はアルビスを抱えて飛び退く。


「逃ぃぃガさんノダヨォッ!」


 回避先へと回り込まれ、アイアンスキナーの脚による打擲が二人を強打する。二人は吹き飛んだ先の壁もろとも棟の外へ。降りしきる雨が一瞬で二人を濡らしていく。


「……公龍、今度は、私に付き合え。考えがある」


 青ざめた顔でアルビスが言う。掲げた右手には千切ったスーツの切れ端で強引に巻きつけられた回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターがある。公龍は頷いた。


「まダッ、ナノだヨォッン!」


 跳躍してきたアイアンスキナーが拳を振り下ろす。公龍は再びアルビスを抱えて回避。追撃の打擲が迫り、並木道の石畳を砕く。公龍は血の盾を展開して防ぐも、衝撃が殺しきれずに並ぶ桜の木を薙ぎ倒して吹き飛ぶ。

 全身が凍えるように冷たかった。降りしきる雨がまるで火の粉のように熱く感じられた。

 泣いても笑っても次の一撃が最後だと直感で悟る。おそらくはアルビスも精神力だけで意識を保っているに過ぎない。次で決めなければ公龍たちは負ける。

 だが公龍に気負いも不安もなかった。アルビスが付き合えと言ったのだ。多少は癪に障るが乗ってやる。生き残るために。救うために。帰るために。共に。

 雨水を蹴立てて迫るアイアンスキナーの姿。撓る脚が鋭く突き出される。

 肉が裂け、骨が砕ける音。

 一瞬雨音さえ消え去ったと思えるほど鮮明に響いたそれは、公龍の前に立ったアルビスのもの。腹を貫いた二本の脚を抱えたまま、臓腑から噴き出す血とともにアルビスが叫ぶ。


「――公龍、やれっ!」


 この満身創痍の身体のどこに、力が残っているのか分からなかった。だが身体はまだ動く。心はまだ折れていない。


「ぐぅぅううううううううああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 公龍の雄叫びに呼応するように、重ねた両掌の上に血の螺旋が生まれる。これまでのどんな剣や槍よりも美しく、そして鋭く赤い槍が形を結ぶ。

 公龍の手がその柄を掴み、振り被る。アルビスの背後から公龍の全てを込めた槍の投擲。

 豪速で放つ一条の緋はアルビスの頬を擦過。真っ直ぐにアイアンスキナーの罅割れた胸を穿つ。

 衝撃で雨が散る。アイアンスキナーの脚が引き千切れ、身体は槍ごと吹き飛び、再び薬学部棟のなかへ。公龍は倒れ込もうとするアルビスを抱えて棟へ向かって即座に駆け出す。

 瓦礫に埋もれたアイアンスキナーの姿が見えた。胸には血赤の槍が突き刺さり、背後の壁へとアイアンスキナーを縫い付けている。


「ヌゥあっ、マダ、まだナノ、マダなノダよォッ!」


 公龍に抱えられたアルビスが回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの撃鉄を歯で起こす。アイアンスキナーの胸に刺さる槍が解かれ、血の螺旋となって消える。その胸には虚空。それこそがようやく抉じ開けた勝機。


「はああああああああああっ!」

「うおおおおおおおおおおっ!」


 アルビスと公龍、二人の雄叫びが重なる。

 抉じ開けた勝機をその手に掴むように、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを撒きつけたアルビスの腕がアイアンスキナーの胸へと突き刺さる。

 そして空気の抜ける間抜けな音が、勝敗が決したことを静かに告げた。


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