12/Dancing with the blood《2》

 手応えがないことに違和感を抱いたのか、立ち込める粉塵のなかでアイアンスキナーが首を傾げる。六本の脚を振るって粉塵を払い、砕けてクレーターと化した地面を眺めている。


「……くそったれ。遅ぇ、ぞ」

「減らず口を叩く元気があるなら問題ないな。素直に助けてくれてありがとうと泣け」


 アルビスは腕に抱えた公龍を立たせ、医薬機孔メディホール鉄灰色アイアングレーのアンプルを打ち込む。公龍が小さく呻き、熱を持った体細胞が急速な再生を始めていく。


「それで、あの怪物は何だ?」

「さあ、な。てかよ、見りゃ分かんだろ」

「私の仕事は害獣駆除ではないんだがな。……まあいい。全ての事情は後で聞いてやる」


 アルビスが深緑色エバーグリーン若竹色ペールグリーンのアンプルを自らに打ち込む。感覚が研ぎ澄まされ、相対的に遅く感じられる周囲の景色が粘性を帯びる。公龍ももう一度、珊瑚色コーラルレッドのアンプルを自ら打ち込み、流れる全身の血液で一振りの刀を結ぶ。

 アイアンスキナーが鈍重な動きで振り返る。二人の姿をその目に捉え、口の端を吊り上げる。湛えられる狂気がより色濃く露わになる。


「来るぞ」

「分かってるよ!」


 背中を支点に宙に浮いているアイアンスキナーの身体が不規則に痙攣。六本の脚が放射状に伸展。狙いも定めずに放たれた六本の脚が音速にも匹敵しようという速度で振るわれ、空間を揺るがす。床や壁や柱を穿ち、抉っていく。

 回避すべく走り出していた公龍のすぐ横に脚の一本が振り下ろされて床を砕く。鋭い破片が飛び散り、身体を丸めて腕で顔を守る公龍の肌を切り裂いていく。

 アルビスも疾走しながら床へと滑り込み、頭上を擦過する脚の打撃を躱す。躱された脚は制御を失ったように壁に激突。打ち砕かれた壁から雨と風が吹き込んでくる。

 縦横斜めと無茶苦茶に振り回される脚の遠心力に振られてアイアンスキナーがよろめく。しかし撓る脚の速度も鋭さも陰りはない。

 もし一瞬でも立ち止まれば攻撃の餌食になる。加えて伸展する脚の前には距離を取ったところで意味がない。洗練された状況判断が、言葉を交わす必要さえなくアルビスと公龍を理想的な連携へと導いていく。

 左右に分かれた二人はアイアンスキナーとの間合いを半ば強引に詰めていく。

 振り下ろされた脚を公龍は紙一重で躱して血の刃で切り付ける。甲高い金属音とともに脚から鮮血が溢れる。伸び縮みする体組織は確かに強固だが、アイアンスキナー本体の皮膚ほどではない。

 一方のアルビスも薙ぎ払われた脚の打撃を繰り出した掌底で相殺。アイアンスキナーの懐へと潜り込んで跳躍。


「――使えっ!」


 完璧なタイミングで公龍が刃を投擲。振り被ったアルビスの両手に柄がぴたりと収まる。振り下ろされた血赤の刃がアイアンスキナー肩へと食い込む。


「ギィィッ、アアァァァァァァッ!」


 アイアンスキナーのほとんど反射的な蹴りがアルビスの胸を踏み抜く。アルビスは吹き飛び、間もなく肩に食い込んだ血の刀も公龍の手から離れたことで解かれていく。


「ゴォコォノノォエエェッ!」


 逆上したアイアンスキナーの脚が撓り、公龍の左右から迫る。強かに打ち据えられた公龍は紙切れより容易く吹き飛んで柱に激突。


「イダイ、イダイ、イダァァアアイッ! イギィ、生、逝キ、逝ギデイル!」


 アイアンスキナーが絶叫する。

 アルビスは柱の瓦礫に埋もれた公龍を引っ張り起こす。公龍の傷はもはや鉄灰色アイアングレーのアンプルなどで回復しきれるレベルではない。素人目に見ても、今こうして呼吸をしながら立っていること自体が不思議に思えるほどだ。


「アルビス……」

「何だ」

「一五秒……いや、一〇秒でいい。奴を、引き付けてくれ」

「お前、何をするつもりだ」


 アルビスの胡乱げな眼差しに、公龍はベストのポケットから摘まみ出した一発の特殊調合薬カクテルを翳す。半透明の特殊ポリマーに収められたそれは、見たこともない緋色のアンプル。


「俺の、いや俺たちの切り札だ」

「都合のいいやつだな」


 アルビスは走り出す。振り下ろされるアイアンスキナーの脚を掻い潜り、再度接近を試みる。

 公龍はその背中を見送り、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの銃把を強く握る。アルビスの前では軽口を叩いてみせていたがとっくに身体は限界だった。何度目か分からない吐血をし、膝から思わず力が抜けて地面に片膝をつく。心臓が不規則に脈打ち、それに合わせて全身を激痛が走り抜ける。もう目はほとんど見えていなかった。眼鏡が砕け散っているというせいもあるが、夥しい出血と度重なる打撃によって視力がほとんど奪われていた。

 指の骨が折れるような強さで、銃把を握りしめる。そうしていなければ、今すぐにも死んでしまいそうだった。手にした緋色クリムゾンのアンプルを装填して、ゆっくりと息を吐く。


「畜生が……狂ってやがるぜ」


 噛み殺すように呟く。しかし公龍の瞳に宿るのもまた、決して絶望などではなく、むしろ掛け値なしの狂気に触れ、それと全力で対峙することへの悦楽だった。

 公龍は辛うじて残る指先の感覚を頼りに空になっていた回転式弾倉に詰め、撃鉄を起こす。カチリ、という乾いた音は、まるで葉を滴る露が地面へと落ちるように、あるべきものがあるべきかたちへと収まっていくような感覚を覚えさせる。

 迷いはなかった。

 狂気を呑み込むのはそれ以上の狂気。

 暴力を踏み躙るのはさらなる暴力。

 根本的に解薬士とはそういう存在なのだ。

 毒を以て毒を制し、都市の礎として血を流す。

 今の公龍には《東都》の行く末などどうでも良かった。

 ただ、目の前の敵を屠り、その先へ。

 首筋の医薬機孔メディホールに注射針を差し込む。引き金にかかる指に迷いはなかった。


 ――パシュ


 この都市の、そして公龍自身の運命を左右するにはあまりに間抜けな音。しかし確実に、原初の特殊調合薬オリジン・カクテルにして禁忌の魔薬――緋色クリムゾンのアンプルは公龍の身体へと流し込まれる。

 どくん、と心臓が爆発したように脈打った。どくんどくんどくん――。

 早く強く胸を叩く鼓動が、公龍の全身に沸騰するような熱を帯びさせる。身体が泡立つ錯覚。回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを取り落す。炎を呑み込んだような激痛と高揚。抉られた脇腹の傷が、歪に膨らみ、萎み、新たな皮膚と筋肉、骨と血を形作っていく。

 どくん、どくん、どくんどくんどくん!

 鼓動の衝撃に、全身が痙攣する。生まれてくるのは途轍もない破壊衝動。近代以降、人類が信奉してきたちっぽけな理性は一瞬とかからずに掻き消え、代わりに原初的な欲求が公龍を覆う。

 殺したい、壊したい、犯したい。犯したい、壊したい、殺したい。――全てを。

 細胞の一つ一つに力が漲り、その溜め込んだ力に耐え切れなくなって弾け飛ぶ。


「――ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」


 悲鳴、あるいは咆哮。

 刹那、公龍の身体中の血管が浮き上がる。血流に耐え切れなくなった血管は破れ、それどころか皮膚までも突き破って噴き出す。

 視界が黒く濁っていく。何も考えられず、ただ全身を食い破られる痛みに嬲られる。腕が千切れ飛んだのか、脚が爆散したのか、その感覚すらもなかった。もはやこの頭さえ、体内で牙を剥いた血液に屠られ、原型を留めているだろう自信がない。

 塵芥よりも簡単に、公龍の意識は吹き飛んだ。死を確信した。幾多の命を奪い、屈強な精神を灰と化してきた緋色クリムゾンのアンプルは、公龍をも呑み込もうとしていた。

 薬が蔓延するこの社会で、裁かれることのない罪を背負った自分には似合いの結末だった。

 いや、違う。まだ――。

 声が聞こえた。

 公龍を呼ぶ声。氷よりも冷たく、鋼よりも硬い声。

 いつだって上から目線で傲慢だ。まるで血の通っていない無機物が喋っているのではないかと思うこともある。世界で一番聞きたくない声だ。だが同時に何よりも信じるに足る声でもある。

 それは外にあるようで、内にもあった。まるで今まさに賭けに敗北して、死に逝く公龍を繋ぎ止めるように。まだ戦え、と縋るように。

 三度声が聞こえる。今度ははっきりと。


「――――公龍っ!」


 そう、俺は、まだ終われない。

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