07/Wrapping in smoke《2》
「――死体から離れろっ!」
刹那。
広がった炎は凄まじい威力をもって、空間ごと爆ぜた。
音も視界も何もかもが消え、不気味な浮遊感だけが残る。
公龍は腹から地面に叩きつけられ、掴んでいた三角が路上に投げ出される。吹き飛んだアルビスが転がり、スーツのスラックスが裂けて血が滲んだ。
視界が焦点を結び、鼓膜が機能を取り戻す。周囲一帯に集まっていた野次馬は悲鳴と狂乱のなか逃げ惑い、バーウィックの自宅からは黒煙と炎が立ち昇る。
「何が起きた」
「たぶん死体と部屋中にアミン系の可燃性ガスを仕込んでやがった。それが体内の時限発火装置に反応して引火したんだ」
「メタンアミンか」
「知らねえよ。畜生、コケにしやがって! 完全に読まれてやがった!」
「いや、おそらく読まれたんじゃない。私たちは、警察も含め、奴らの掌で転がされていたにすぎない。匿名の通報者は奴らのうちのどちらかだろう。迂闊だった。奴らはバーウィックの殺しを見つけさせ、私たちが合流するタイミングに合わせて仕掛けたんだ」
「糞野郎めっ!」
悔しさのあまり歯嚙みをする。しかし息つく暇さえなく、パパン、と乾いた銃声が二発。爆炎に彩られた朝の空気を切り裂いた。
見ればアルビスの車が路駐してある方向、警備についていた刑事たちが揃って車の上に拳銃を向けていた。
「ご機嫌よう、なのだよ。そしてあれ……? 随分としぶといのだね、君たちは」
両の掌に受け止められた銃弾が、ぱらぱらと地面へ落ちた。車上には、飴色のサングラス越しにこちらを見て、粘着質な笑みを浮かべる男が立っていた。
「――アイアンスキナァーッ!」
公龍が地面を蹴る。腰の後ろから
地面を砕く勢いで踏み込んで跳躍。無防備に肩を竦めるアイアンスキナーへと斬りかかる。
「さっせなぁーい」
横合いから弾丸のように何かが飛んできた。それは的確に空中の公龍へと蹴りを見舞い、近くの民家まで吹き飛ばした。
公龍を吹き飛ばした何かは華麗に着地。下駄履きとは思えない脚力とバランス感覚。
「かはは、またあったな。銀髪」
アルビスは青く冷たい双眸に、確かな闘志を宿らせる。
キティ・ザ・スウェッティ――汗として体内で生成される神経毒を撒き散らす、歩く生物兵器。
「ミス・アスカ。動けるなら避難誘導しろ。犯人自らお出ましだ」
アルビスは返事も待たずに、駆け出す。サスペンダーに挟んでいた
キティ・ザ・スウェッティが大口径の拳銃で牽制。射線を予測し、引き金を引くコンマ数秒前のタイミングでそこから外れる神業で二度銃弾を躱す。距離が詰まり、キティ・ザ・スウェッティは銃による対処からコンバットナイフによる近接戦へと素早く切り替える。
抜くと同時に横薙ぎに振るわれる黒い刃を屈んで躱す。懐へ潜り込み、平たい胸に全体重を乗せた掌底を放つ。しかしキティ・ザ・スウェッティも寸前で身を切ってこれを躱す。両者が交錯し、立ち位置が入れ替わる。
前方のブロック塀を突き破り、血の野獣と化した公龍が躍り出る。キティ・ザ・スウェッティの脇腹に的確な意趣返し――鋭い蹴りを叩きこむ。
キティ・ザ・スウェッティの意識がアルビスから逸れた一瞬を逃さず、アイアンスキナーのもとへと疾駆する。
アイアンスキナーは五〇〇グラム相当のプラスチック爆弾にもびくともしない要人護送車なみにカスタムされた車のバックドアをキチン質の拳で殴りつける。あろうことか扉が拉げ、まるでバナナの皮を剥くようにずるりと引き剥がされる。既に警護についていた刑事は既に殺され、アルビスの車のボンネットには血と内臓がぶちまけられている。
繰り出したアルビスの掌底は、振り返ったアイアンスキナーの胸骨を穿つ。確かな手応え。しかし腕を取られ、アルビスの体躯は宙で一回転し地面へと叩きつけられる。地面を転がって振り下ろされる拳を躱す。波状に広がる亀裂。
「八卦掌、なのだね。久しぶりに良き使い手に出会ったのだよ」
手応えはあったがまるで効いていない。一方のこちらは当たれば即死。掠っても骨が砕けるだろう必殺の拳。それをアイアンスキナーは何の気なしに放つのだ。
アルビスはすぐに立ち上がり、再びの接近。しかし車の奥へと手を伸ばしたアイアンスキナーが涙と恐怖で顔をぐしゃぐしゃに歪めるクロエを引き摺りだした。
「悪いが、今日は君たちと戯れることはできないのだよ。目的は果たされたのだよ」
「こっちの用事が済んでいないっ!」
アルビスの蹴り。凄まじい威力が乗った一撃は、しかし顔の横に構えられた腕で事も無げに阻まれる。アイアンスキナーはアルビスの脚を弾き、体勢が僅かに崩れる一瞬の隙をついて跳躍し、適当な民家の屋根の上に着地した。
「キティ。宴はそのへんにしておくのだよ」
「ああん? 今がちょうどいいとこなんだぜぇ? まだこんなんじゃイケねえっつの」
キティ・ザ・スウェッティが公龍の斬撃を躱し、さらに大きく跳躍。電柱の上に降り立つ。
「ったくつまんねえつまんねえつまんねえっ!」
声を荒げながら、キティ・ザ・スウェッティが五指に挟んだ四つの球を地面へと投げつける。大きな音を立てて破裂したそれは白煙を巻き上げる。ものの一瞬で〝
「くそっ! 待ちやがれっ!」
公龍が吼え、煙の広がる範囲から飛び出す。しかし見渡しうる限りのどこにも〝
「くそっ! くそぉぉっ! 出て来い〝
何度も地面を殴りつけ、拳に血が滲む。その手を背後からアルビスに掴まれる。
「落ち着け」
「俺はっ、俺は約束したんだっ! あいつを、クロエを守るって! 何があっても守ってみせるって約束したんだ!」
アルビスの拘束を振り解き、胸ぐらを掴み上げる。アルビスは感情のない眼差しを公龍へと向けていた。この相棒に当たるのは間違いだと分かっている。アルビスにも、公龍にも落ち度はなかった。ただ単に、最良の選択を積み上げた結果の力が〝
「私は落ち着けと言っている」
「俺は、俺は、お前とは違うんだよっ! 感情の死んだ――」
「見苦しいぞっ!」
アルビスの怒声が響いた。公龍は我に返り、アルビスの胸ぐらから手を離す。緩んで捩れたネクタイを整え、スーツの襟を正す。
「一度ならず二度までも奇襲を受け、保護を求める依頼人さえもいとも簡単に攫われた」
冷たい声が、静かに現実を突き付けた。
「私たちは敗北した。――だが、まだ終わりじゃない」
銀髪の隙間から覗く刃物のような青い双眸に、怒りが宿っていた。
「最後の交錯で、奴の衣服に発信機を仕込んだ。おそらくはクロエを雇い主のもとまで連れていくつもりだろう。そこで今度は私たちから奇襲をかける。クロエを救い、敗北の恥辱を雪ぐ」
目の前の相棒が不敵に歪む。
曖昧な表情筋の痙攣ではなく、憤怒という確かな感情を宿した表情がそこにはあった。
アルビスの腕時計型端末が投影するホログラムのマップは既にかなり離れた地点を指し示していた。しかし確実に、赤い光点が奴らの足取りを示している。
公龍の胸にアルビスの拳がそっと置かれた。
「いいか。勝手に終わった気になるな。戦っているのは貴様だけではない。私もいる。そして私と貴様がいて敗北が終わりであることなど、万に一つもあり得ない。終幕のその瞬間、私たちは常に勝者の側にいる」
公龍はアルビスの拳の上に自分の拳を重ねた。頭は下げなかった。代わりに短く、できるだけ素っ気なく言った。
「くそっ…………クロエを助けんぞ」
「ああ。分かっている。彼女は正式な依頼人だ。それにすぐには殺されないだろう。すぐに殺すならば、誘拐などというリスクを負う意味がない」
「心配だって素直に言えよ。モテねえぞ」
「そういう趣味はない」
「俺だってねえよっ! どう考えても家族的な意味だろうが」
公龍は声を荒げ、重ねた拳を弾くようにアルビスの拳を押し返した。
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