06/Restart《2》

 公龍たちの容態は、事実として桜華が心配していたほどの大事ではなかった。

 震災後の薬剤効果の向上に伴い、当然ながら医療も目覚ましい発展を遂げている。まして二人が入院しているのは《リンドウ・アークス》の指定医療機関となった帝邦医科大学病院であり、つまりは《東都》最高峰の医療が受けられる現場である。

 震災以前は首都圏に乱立していた大学機関は、震災の混沌のなかでそのいくつもが閉鎖に追い込まれていったが、帝邦医科大学を始めとする医大に関してはその例外だ。

 神経毒に冒されてほとんど全身麻痺に陥っていたアルビスも、上腕骨から鎖骨、肩甲骨と胸骨に至るまで粉々寸前まで砕けていた公龍も、三日程度で退院することができた。

 二人は病院を後にする前、クロエを連れて挨拶にも来ない主治医の元へと向かった。

 大学病院の白亜の建造物ではなく、そこから少し離れた場所に立つ、ドーム状の黒光りする構造物。その中央には目を凝らさなければ分からないような扉がある。いつもなら南京錠と鎖で厳重に封じられているのだが、それが空いているということは中に彼女がいるということだった。


「「はぁ」」


 どちらからともなく、声に出るほどの大きな溜息。できれば積極的に会いたい人間ではない。

 医学や薬学、さらには生物学や物理学、法学、哲学エトセトラ……と、ふと列挙出来る限りのほとんどの学問に通じ、まして最初の二つに関しては知識だけでなく実務も申し分ない。アスクレピオスでさえ驚いてひっくり返るだろう神の手の持ち主なのだ。

 しかし性格、というか人格にかなり致命的な問題を抱えているので、意識がある状態で対面するのはかなり勇気がいることだった。もっとも意識がない状態では、一回全ての臓器をバラバラに取り出してじっくりと観察して頬擦りしてから元通りに戻す、みたいなことを平気でやられかねない。

 半歩前を歩いているアルビスはちらと後ろを振り返る。どうせ公龍も似たようなことを考えているに違いないが、特段交わす会話もない。

 扉の奥は段差の急な螺旋状の階段になっている。明かりはか弱い蝋燭がかなり広い間隔で置かれているだけなのですこぶる暗い。二段先まで見えればかなりの明るさを実感できるレベルだった。

 公龍は解薬士になる以前から彼女と付き合いがあったらしい。というのも、研究員だった時代にニュルンベルク綱領ガン無視もいいところの臨床実験に散々付き合わされてきたのだ。度が過ぎて公安やら厚生省やらから睨まれたことも一度や二度ではないそうだ。

 どういうわけかそのときから公龍を気に入って、偶然か必然か何かと関わりを持ってくる。

 アルビスとしてはいい迷惑だ。医療の腕は確かだが、それを差し引いても彼女は悪魔なのだ。

 ぼんやりと考えているうちに、扉が迫りアルビスは立ち止まった。銀髪が蝋燭に照らされてまるで自ら光を発しているように輝いた。

 扉にはアフリカの秘境とかにありそうな魔除けの仮面的なものがやたらと貼り付けられ、そのなかに〝天常研究室〟と書かれた立て札があった。

 元は古くなった医療器具の倉庫だったというこの部屋が、一介の医者の研究室に模様替えされているのは偏に彼女がそれだけの無茶を通せるだけの大物であることを示す。何故こんな離れを自分の研究室として欲したかは、どうせろくな理由ではないので考えたくもない。

 アルビスは律儀にノックをする。返事がないのでそのまま入ることにした。


「ドクター、いるか?」


 部屋のなかは暗い。デスクライトが灯っているが、前に置かれた質素な椅子は空いている。

 アルビスはゆっくりと奥へ進む。以前、悪戯で仕掛けられたトラップに引っ掛けられてニシキヘビのホルマリン漬けを頭から浴びそうになったことがあるので、その足取りは不必要なまでに慎重だった。


「おい、いねえのかよ。センセ」


 公龍も呼びかける。しかし返事はない。

 トイレにでも言っているのだろうかと思った瞬間、公龍の頬に冷たいものが触れた。


「ふふふふふ……僕はここさ」


 腕時計型端末が発するブルーライトに照らされて、背後にぬうっと顔が浮かびあがる。耳に吹きかけられた吐息が生暖かく、そして生臭い。


「――――!」

「はぁ……かくれんぼしてんじゃねえよ、センセ。あんたもう四〇超えたいい大人だろ」


 公龍にしがみついていたクロエは声なき悲鳴を上げて飛び上がったが、当の公龍は驚く様子もなく、クロエを落ち着かせるように頭を撫でてから深い溜息を吐く。

 刹那、部屋の明かりがところかしこで灯り、まだ薄暗いが部屋全体を見渡せる程度の光に満たされる。全貌を露わにした白衣姿の悪魔は肩を竦め、ぺたぺたと足音を鳴らしながら椅子に腰かけた。どうやら頬に触れた冷感の正体はこんにゃくだったらしい。まるで三流以下のお化け屋敷。


「なーんだ、そのつまらない反応は。君たちは相変わらずこの僕の歓迎を受け容れやしない」

「あれが歓迎してるっつうならまじで余計だ」

「貴様と意見が合うとは珍しいな。私も同感だ」


 公龍とアルビスが揃って頷く。


「こんなくだらない世界で、ユーモアなしにどうやって生きろというんだね? あ、そうかそうか。君たちは死にたがりだから解薬士なんて馬鹿げたことをやっているんだった。しかし不思議だ。死にたいというのなら、手段なんていくらでも僕が提供するのに。世界最高の品揃えでお送りしているが、最近のおすすめはこれだ。MRIなど使わずに、生きたまま身体断面図を作成する。人生の最期に僕の研究に貢献して死ねる。これほどまでに有意義な死はないだろうがね?」


 何故か得意気に言って、にやりと口角を上げる。

 医学と薬学、その他多岐に渡る学問を収めた自称・人類の叡智――天常汐あまつねしお。隈が色濃く刻まれた美貌に荒れた肌、割れた唇。動きやすいという合理性に基づいて選択された上下のジャージ姿に合成ゴムのサンダル。纏う大きめの白衣は怪しげな液体が付着し、前衛芸術的な模様を描く。

 汐は片手で弄んでいたこんにゃくをデスク脇のガスコンロの上に置かれている鍋に放り込む。何か変な色の液体が跳ねたがアルビスたちは全力で見なかったことにする。汐は椅子をくるりと回転させて公龍たちに向き直る。その影に隠れるように立っている少女にようやく気が付いたらしい。


「おや、子連れとは珍しい。それとも何だね、九重。人攫いでもしたかね?」

「人聞き悪いこと言ってんなよ。言ったろうが、うちの依頼人だ」

「冗談も通じないとは、君は死んだほうが世界のために貢献できそうだ」


 汐はにたりと口角を歪める。本人が妖艶の極みだと思って疑わないその笑みは向けられた者に強烈な寒気を催させるだけの破壊力を兼ね備えているが、いちいち突っ込むと面倒なので当然のようにスルーしていく。


「俺がこんな糞みてえな世界のためなんぞに死ぬ馬鹿に見えるか?」

「てっきりそうだと思っていたよ。まさか、君は自分の愚かさに気づいていないとでも言うつもりなのかい? まるで絶望的だ。三代前の受精卵からやり直すことを勧めるさ」

「アンタも遺伝子組み換えでもして、その性根を叩き直したほうがいい」


 公龍が肩を竦める。汐は頬杖をついて公龍とアルビスを交互に見た。


「随分と元気そうだね。残念なことに治療はすこぶる順調らしい」

「医者の風上にも置けねえ発言だな」

「ふふふ、君は愚かだね。細胞が分裂できる回数というのは、染色体の末端構造であるテロメアによって決まっているのだよ。急激な治癒を行えば、それだけテロメアは短くなり、細胞そのものの寿命が縮まる。いくら医学と薬学が発展しても、こればかりはどうしようもない。生身の肉体というのはそもそも、朽ちるようにできているんだ。そんなことも分からないで、どうやって天下の《リンドウ・アークス》様に研究員として入社したんだね?」

「それなら、どうやってアンタは生命と健康と幸福を司る医療従事者になったんだ?」


 軽快に罵り合う二人。公龍はこういうかたちでしか人と会話できないのだろうかと、アルビスは僅かな哀れみと多大なる軽蔑を相棒へ向ける。だがいつまでもそうしているわけにもいかない。意を決して、二人のやり取りに割って入る。


「ドクター。お得意のユーモアはその辺にしたい。このあとも向かわなければならない場所がある。例のものは用意してもらえたか?」

「誰にものを言っている。この僕にできないことなんてない」


 汐は言いながら資料が堆く積まれたデスクを漁り、五センチ四方程度のアルミケースをアルビスと公龍に投げて寄越した。中身は新たな特殊調合薬カクテル

 何を隠そう、医者としての仕事の合間に、アルビスたちが戦闘で使用する特殊調合薬カクテルを作っているのはこの天才女医なのだ。


「支払いはいつも通り口座に振り込んでおく」

「気にしなくてもいい。試験薬のようなものだ。治験ということにしておく。代わりに、使用した所感を報告してくれ。上手くいけば、組成式やらを《リンドウ・アークス》に売りつける。興味はないが、儲けという観点で言えばそちらのほうが有益だ」


 特殊調合薬カクテルの創薬は限られた人間にしかできない。群青色コバルトブルー深緑色エバーグリーンのようにある程度一般化された基底組成式を持つものであっても、作るには相当な技術と機材が必要で、その分価格も一発数万から十数万するのが普通だ。

 まして汐が作る特殊調合薬カクテルは、そうしたアンプルであっても公龍とアルビス専用のオーダーメイドであり、組成式なども独自のものが加えられていることが多い。価格で言えば、普通の三倍は固いところだが、天才は俗物に興味がないという例のごとく、かなりの格安で本当の意味で特殊な調合薬を譲ってくれている。たしか数十万相当のツケもあったはずだ。

 今回の注文は、経営が常に火の車であるウロボロス解薬士事務所にとって断腸の思いだったので、汐の申し出は素直に受け取っておくことにした。


「恩に着る」

「それで? その子供はどうするんだい? 最近、いい蛇の革が入ったんだ。そのサイズなら全身移植もできるが?」


 汐に視線を向けられ、クロエが慌てて公龍の背後に身を隠す。公龍は汐を睨みつける。


「無暗に怖がらせるな。あと変なこと教えるな」

「そうかい? 名案だと思うんだが」

「迷うほうの間違いだろ。医学薬学の天才も国語は小学生以下だな」

「なあ、ドクター」

「何だい、アーベント君。皮膚移植に興味がありそうな顔だね」

「いや全くない。だが移植した場合、その維持はどうなるんだ?」

「興味ありありじゃないか。維持は簡単だよ。一週間に一度程度、拒絶反応を押さえるために投薬を施す。もちろん普通の薬じゃないがね。どうせ理解できないだろうから説明は省くけど、簡単に言えば遺伝子変異の応用だね」

「そうか」

「ああ。興味があるならいつでも――」

「興味はない。全く」


 アルビスは少し語気を強めて否定する。懸命に否定したからと言って彼女がその気になれば抵抗できないのだが、意志表示は明確にしておく必要がある。


「そうか、残念だよ」


 ほとんど棒読みで汐が言って、さて、と一息。先ほどこんにゃくを放り込んだ鍋を手に取る。


「食べていくかね?」


 念のため差し出された鍋の中身を確認する。泡立つスライムじみた黄緑色の液体のなかには先ほどのこんにゃくと、ヒキガエルの頭が浮いていた。


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