05/The raid of cardinals《4》

 岩をも砕くだろう必殺の鉄拳が、仰け反る公龍の鼻先を掠める。衝撃に煽られながらも身体を捻ってアイアンスキナーの腕を取る。手首を捻じり上げ、肘関節に逆方向の力を加える。しかし機敏かつ的確に蹴りが繰り出される。公龍はそれを腕で払いのけるが、骨に亀裂が入る感覚。激痛に歯を食い縛りカウンター――至近距離からの血弾。当然のように弾かれる。しかしそれは陽動で、首に脚を絡めてアイアンスキナーを引き倒す。

 アイアンスキナーは転がる勢いを利用して起き上がり、すぐに間合いを詰めてくる。ノーモーションからの左フック。公龍が身を屈めて躱せば、今度はアッパーが迫る。

 だがそれは想定済みだ。

 パシュ、と新たな特殊調合薬カクテルの注入音――珊瑚色コーラルレッドのアンプル。

 刹那、右の五指に付着していた血弾が解かれ、刀のかたちを結んだ。

 繰り出されたアッパーを刀の腹で流し、そのまま斬り込む。火花を散らすような金属音が公龍の刀とアイアンスキナーの胴体の狭間で劈く。

 しかし今度はアイアンスキナーのカウンター。繰り出された拳が咄嗟に回避動作を取った公龍の頬を掠める。公龍はバックステップで距離を取り、血が流れる頬を乱暴に拭った。

 アイアンスキナーは公龍の予想をはるかに超えた強さだった。

 リミッターが外れ人外の力を手に入れた肉体に加え、強化キチン質によって覆われることで超人的なその力を存分に振るうことを可能にした超代謝の皮膚。おまけにアイアンスキナーの戦闘スタイルは廃区の地下決闘場で主流のキルボックスというボクシングと中国拳法を混ぜたような喧嘩殺法に似たものだった。

 力と力の勝負を挑むには、あまりに分が悪い。

 そうなれば真っ向勝負を挑むと見せかけて、絡め手で翻弄する他にない。特にキチン質の外骨格は関節が脆い。公龍の狙いは関節の破壊の一択だった。

 しかし自らの弱点など、アイアンスキナー自身も重々承知している。公龍が関節を取ろうとすればすぐさま反応し、当たればタダでは済まない威力の牽制を繰り出してくる。


「見え見えなのだよ。九重公龍」

「上等だぜ、蟹野郎」


 アイアンスキナーは公龍に向かって手招きをした。小細工を講じずに、正面から挑んでこいという安っぽい挑発だった。

 公龍は回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを構え、医薬機孔メディホールに打ち込む。今度は二発分――深緑色エバーグリーンのアンプルと、脳の一部を麻痺させて痛覚を遮断する檸檬色ビビッドイエローのアンプル。

 安っぽい挑発――乗ってやる。

 どの道目の前の男を倒す以外に、クロエを守る方法がない。

 公龍は地面を蹴った。

 腕を引き絞る公龍の一変したプレッシャーに、アイアンスキナーの頬が綻ぶ。強者の本気を前にした挑戦者の笑み。典型的な戦闘狂の性質。

 公龍が引き絞った刃を解き放つ。空気を引き裂く音が轟き、振り抜かれる血の刃が獰猛に唸る。

 対するアイアンスキナーも拳を繰り出していた。

 互いの腕が交錯し、渾身の一撃がぶつかり合う。胸を穿つ両者の打撃はほとんど同時に相手へと到達し、その破壊力をいかんなく発揮する。

 いや、僅かに――。

 ほんのコンマ数秒に満たない僅かな時間だけ、ノーモーションで打撃を放つアイアンスキナーの拳のほうが早く公龍の胸へと届いていた。そのせいで公龍の一撃は切っ先が固い脇腹に触れただけ。


「――――っっ!」


 肺から空気が絞り出され、情けない呻きが漏れる。

 僅かに斜め上から繰り出されていたアイアンスキナーの猛烈な一撃は、公龍の体勢を崩し、腰から床へと叩きつける。あまりの衝撃に床でバウンドした公龍の体躯は、何度も床や陳列棚に打ち付けられながら壁にぶち当たってようやく止まった。

 アイアンスキナーは床を擦って僅かに後退したのみで、粘着質な笑みを浮かべながら縒れたジャケットの襟もとを正した。

 倒れ伏す公龍の元に、クロエが駆け寄ってくる。大丈夫かと揺り動かされるが、まともに立ち上がることができない。檸檬色ビビッドイエローのアンプルが効いているので痛みは全くなかった。ただ本来ならば激痛を伴うであろう負傷――鎖骨と胸骨の骨折が感覚ではなく、ただ認識された。公龍は四肢に力を込めようとしては、何度も地面を舐めるように這いつくばった。


「……大丈夫だ。お前は、俺が守ってやる。絶対だ。絶対に、だ」


 譫言のように繰り返す。

 しかしようやく身体を起こしたと思えば、目の前まで歩いてきていたアイアンスキナーに足蹴にされ、壁に叩きつけられる。


「無駄なのだよ、九重公龍。貴様と私では、力の差が歴然としているのだよ」

「……黙れ、蟹野郎っ」


 足を掴み、退けようとする。しかし力が入っていないのか、それともアイアンスキナーの力が強すぎるのか、肩を踏みつける足はびくともしない。


「さて、これで幕引きなのだよ。最強の名はまるでハリボテ。実につまらない男なのだね」


 金歯と銀歯をちらつかせ、アイアンスキナーが公龍へと嘲笑を向けた。


「てめえ、ぶっ殺す……っ!」


 公龍は激しく抵抗した。しかし最強の解薬士の名をほしいままにしていた男の抵抗は、鋼の皮膚を持つこの殺し屋の前では全く無力だった。

 敵わない。このままではクロエを守れない。その事実が公龍を堪らなく苛立たせた。

 不意に、サイレンの音。

 都市部での尋常じゃない破壊行為を誰かが通報したのだろう。アイアンスキナーは小さく舌打ち、だいぶ古い年代ものの携帯電話を懐から取り出す。


「私なのだよ。警察が来た。撤退するのだよ。不本意だろうが仕方あるまい。騒ぎを大きくするなとは、依頼主クライアントたっての申しつけなのだよ。では後程」


 話し相手はおそらくアルビスたちの元を襲撃していた片割れ――キティ・ザ・スウェッティだろう。こともなげに会話を終えた感じを見るに、アルビスたちもどうやら手玉に取られていたようだった。


「さて。本日の饗宴はここまで、なのだよ。またいずれ近い日に」


 アイアンスキナーがバックステップで遠退く。一跳びで路上へと躍り出て、サイレンとは反対の方向へと消えていく。

 公龍はふらふら立ち上がったが、身体が思うように言うことを聞かず膝をつく。当然アイアンスキナーを追うことなどできない。そのままガラスや壁の破片と商品だった衣服が散らばる床に仰向けに寝そべった。

 言い訳のしようがない敗北の悔しさを噛み締めると同時、助かったという安堵が込み上げてくる。その情けない感情が、公龍をまた苛立たせる。

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