05/The raid of cardinals《2》

 ビル風が吹き抜け、忙しなく歩き去る人々とすれ違う。広告ホロが目まぐるしく入れ替わり、心身ともども健康であることの重要性をあの手この手で訴える。

 公龍は、見慣れぬ都市の景色に視線を右往左往させるクロエの手をしっかりと握る。

 傍から見れば、いかにも怪しい風貌が薄汚れた衣服の少女を連れているのだ。悪ければ誘拐犯、良くても廃区から出てきたろくでなしの父親に見えるのか、やけに視線が痛い。

 外へ出ていろと言われたが、段々と居心地が悪くなってくる。しかし生々しく胸糞悪い事件の話が終わるまで戻ることはできない。おまけにカフェ・アルタイルから遠く離れることもできない。頃合いがくればアルビスからの連絡が入るので、帰りやすい場所にいなければならなかった。

 公龍の不愉快を敏感に感じ取ったのか、クロエがこちらを見上げていた。

 薬の売人の暮らしは決していいものではなかっただろうが、それでも大切な人と過ごす時間はかけがえのないものだ。それを唐突に失い、訳が分からないまま連れて来られた先で見知らぬ男二人に囲まれて過ごす。それがどれほど心細いことなのかは想像して余りある。

 それもきっと公龍たちが母親を助けてくれると信じているからだ。

 しかしそれは絶対にありえない。公龍たちが行動を起こすよりも先に、クロエと出会うよりも早くに、クロエの母親は無惨に殺されていたのだ。

 怒りが湧いてくる。〝赤帽子カーディナル〟の残虐さにではない。自分の無力さにだ。

 全てを失った少女に、公龍がしてやれることなど一体何があるというのだろうか。

 公龍は人の流れに逆らって立ち止まり、周囲を見回す。今日は平日だったはずだが、通りはショップ袋を持った人で賑わっている。皆、小洒落た格好をし、にこやかな表情で歩いている。


「そうだよな。俺がこんなだったら不安になるよな。よし、決めた。せっかくだし、服買ってやろう。そんなぼろじゃ目立つしな。……んー、子供服なんてあるのか?」


 もう一度、注意深くぐるりと見回す。大人から子供までを幅広く取り扱う洋服屋を見つける。ファストファッションと呼ばれる部類の衣料品店なので、そんなに高くはないはずだったが、元から懐の寒い公龍はポケットに手を突っ込んで手持ちを確認する。子供服など買ったことがなかったがいけるはずだ、多分。


「どうだ? あそこ。可愛い服、買ってみるか?」


 なんだかぎこちなくなってしまう。しかしクロエは少し季節早めの向日葵のような笑顔で頷いた。


「よし。んじゃ、決まりだ」


 手を繋いで歩く自分たちの姿が少しでも仲睦まじい親子に見えたらと、柄にもなくそんなことを考えながら少しだけ軽い足取りで洋服屋へ向かう。


        †


「おーい、まだかー?」


 公龍は試着室のカーテンに向かって言う。カーテンの向こう側でごそごそと動く音が聞こえたあと、そろそろとカーテンが開いた。


「…………まじかよ」


 顔を赤らめて俯きがちにこちらを見上げるクロエに、公龍はそれだけ絞り出すのがやっとだった。

 ワンウォッシュのデニムジャケットにボーダーのTシャツ。裾にレースをあしらった紺色のロングスカート。下ろしていたボサボサの髪は、着替えるのに邪魔だろうと公龍が適当にハーフアップで結わいただけだったが、それがまたどこか垢抜けた印象を醸す。

 マネキンが着ていたものをそのまま着せてみただけだったが、想像の遥か上をいく可愛さだった。今すぐにキッズモデルのスカウトが来てもおかしくない。

 最初は明らかに不審な男と小汚い少女の来店に内心顔を顰めていたであろう店員も、これには驚いたらしく、次の衣装を持って近づいてくる。

 女児のファッション事情など知るはずもない公龍は二つ返事で頷いて試着室のクロエへと渡す。

 パステルカラーのブルゾンに、フリルの付いたシフォンスカート。

 あるいはエバーグリーンのカーディガンに生成りのシャツ、タック入りのチノパン。

 あるいは袖口にさりげなくリボンをあしらったTシャツに、タータンチェックのパンツ。

 あるいはシックなハンチング帽に総柄のシャツ、ハイウエストのワイドパンツ。

 子供服でここまで拘るかという感じもしたが、どれを着せても似合うので公龍は段々と自分のことのように誇らしくなってくる。店内の衆目を一身に集め、着替えるたびにクロエの顔は真っ赤になっていったが、やっぱり楽しいのか、はにかむような笑顔が溢れる。


「クロエ、楽しいか?」


 当たり障りのない質問に、クロエが頷く。

 さっきまでの居心地の悪さはいつの間にか消え去っていた。それも全て、クロエの笑顔のおかげだった。クロエの笑顔が公龍を変え、そして周りの人々さえも変えてみせたのだ。

 人々が薬を飲んで追い求める健康さや清浄さというのは、案外こういうことなんじゃなかったのかと思い直す。人と人との繋がりとは煩わしく面倒でありながら、根源的な部分では癒しであり、温かいものなのだ。

 ふと、後ろから肩を叩かれる。振り返ると伊達男然とした男が立っていた。

 ブラックレザーのテーラードスーツに紫色の開襟シャツ。胸元には銀色の十字架が煌めき、五指は人獣を問わず髑髏を象ったリングで飾られる。ウェーブのかかった髪は肩のあたりまで伸び、口髭を蓄え、飴色のサングラスかけている。


「九重公龍、なのだね?」


 半音ずれたようなイントネーション。声帯だけ別人のような、外見に似つかわしくない高い声。

 よくあるやつだ。こういうファッションに敏感な街をうろつき、少年少女に甘い話をチラつかせる。そうだ。こういう胡散臭い奴が何なのか、公龍は大幅に偏った私見をもって知っている。


「ああ。だが、スカウトならお断りだ。悪いが帰ってくれ」

「――帰らないのだよ」


 男が言って、にやりと口角を上げる。交互に並んだ金歯と銀歯。粘着質な表情に公龍は身構えたが、それは不十分かつあまりに遅かった。

 刹那、公龍の身体に鈍い衝撃が走り、陳列ラックやマネキンを巻き込んで壁まで吹き飛んだ。

 衝撃が肺から空気を絞り出し、数秒だけ呼吸が止まる。咽返り、込み上げた胃酸を吐き捨てる。遅れて、蹴り飛ばされたのだと気づく。


「てめえっ! 何しやがんだっ!」


 声を荒げ、顔を上げる。そのタイミングを待っていたかのように男が被った深紅のハットが全てを物語っていた。


「どうやら、この私が当たりを引き当てたようなのだね」

「てめえはっ……」

「知っているのだね、この私を。そう、ご存知の通り、私こそアイアンスキナー。〝赤帽子カーディナル〟の片翼を担う者なのだよ」


 アイアンスキナーは興味なさそうに公龍へ背を向ける。サングラス越しの視線の先には、試着室のカーテンにしがみついたクロエと彼女を庇うようにして座っている女性店員。


「さて淑女レディ、そこを退くのだよ。用があるのはそこのお嬢さんリトル・プリンセスだけなのだよ」


 肩を竦めるアイアンスキナー。足を振り上げ、革靴の爪先で店員の顔面を抉った。鼻が潰れ、血が噴き出す。店員は獣のような悲鳴を上げて仰け反り、床に転がり悶絶した。


「あーあー、服が汚れたのだよ」


 アイアンスキナーは無感動にそう吐き出し、激痛に悶える店員の顔を何度も踏みつけにする。血と脳漿が飛び散り、崩壊した顔面からこぼれ落ちた眼球が床を転がる。

 分かっていたことだ。こいつは正気ではない。

 公龍はアイアンスキナーがクロエに向き直る前に立ち上がっていた。腕時計型端末でアルビスへの緊急事態を意味する符牒を送信。だが救援はもちろん、返事も望めないだろう。アイアンスキナーは当たりを引いたと言っていた。つまりは外れを引いた者がいるのだ。澪の前情報通り、〝赤帽子カーディナル〟が二人組ならもう片方によって、アルビスたちが今頃襲われているに違いなかった。

 カフェに向かう途中、着替えと一緒にアルビスに渡されていた回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを腰の後ろから抜き、ベストから取り出した色とりどりのアンプルを装填。そのうちの一発を、自らの首筋――医薬機孔メディホールへと打ち込んだ。

 使用したのは唐紅色カメリヤのアンプル。珊瑚色コーラルレッドと同じく、血液操作のアンプルである。

 血液操作は使用者のイメージに大きく由来する。そのイメージを補強するのがアンプルによる色分けだった。珊瑚色コーラルレッドが刀ならば、唐紅色は――。


「クロエから離れろ――っ!」


 公龍は吼える。

 両五指の先から真っ赤な血液が滲み、球状に膨張。そして収縮。公龍が両腕を薙ぐや、指先の血弾が弾け飛ぶように飛翔した。

 血球はアイアンスキナーに殺到。弾丸さながらに投射された血弾は、アイアンスキナーの急所に的確に命中し、そして弾かれた。


「な」


 切り裂いたのは衣服だけ。破れた衣服の下には傷一つない肌が覗いた。


「……軽い。まるで興が削がれる、くだらん攻撃なのだね」


 反撃。いつの間にかアイアンスキナーが肉薄。背面から繰り出す鋭い蹴りが公龍の鳩尾を穿つ。呼吸が止まり、たたらを踏む。大きな弧を描いた脚が鉄槌のごとく振り下ろされ、衝撃が脳天から足先へと公龍を貫く。


「かはっ――」


 公龍は床に叩きつけられる。一撃が異様に重い。まるで重機に追突されているような錯覚を覚えるほどに。

 横になった視界に、今にも泣き叫びそうなクロエの顔が映る。

 負けるわけにはいかない。そこにはどんな理由もない。クロエにこれ以上の哀しみを、痛みを味合わせるわけにはいかないのだ。

 公龍は頭を踏み躙るアイアンスキナーの足を掴み、寝返りの勢いで引き倒す。背筋の力で跳ねるように起き上がり、床に横たわるアイアンスキナーの腹に再び生成した血の弾丸を発射。突き抜けるような衝撃が床に亀裂を走らせるが、当のアイアンスキナーはねっとりとした薄ら笑いを浮かべるだけ。


「なるほどな。名前の通り、〝|鋼鉄の皮膚(アイアンスキナー)〟ってわけか」

「ご明察、なのだよ」


 アイアンスキナーが横たわるまま拳を薙ぐ。公龍が上体を逸らして躱した隙に、アイアンスキナーは拘束から逃れ、腕の力で跳ね起きる。その隙を逃さず、公龍はクロエを背にするよう回り込む。

 両者の間合いが開き、空気が張り詰める。公龍は油断なく血弾を携えた両手を構えながら、目の前の伊達男をつぶさに観察し、思考した。

 鋼鉄の皮膚。何らかの遺伝子変異が疑える。しかしどんな薬を使っているのかは皆目見当がつかない。何故ならアイアンスキナーの動きは機敏さそのものだ。体表が鋼鉄のように硬化しているからと言って、関節の稼働が制限されたりする様子はない。そもそも硬化しているというのがおよそ信じがたいことだった。

 そして爆発的な運動能力。こちらはある程度分かりやすかった。これはアルビスが好んで戦闘時に用いる深緑色エバーグリーンのアンプルに近い。アイアンスキナーの運動能力の増強は、身体に目立った変化がないことから脳の操作に由来する。運動野を一時的に超活性化させ、大量放出されるアドレナリンで脳が身体に掛けているリミッターを解除する。つまりは人為的に火事場の馬鹿力を発生させているのだ。


(……真正面から殴り合おうってか。悪いが、その手には乗れないんだわ)


 今の公龍には背中に背負うものがある。目の前の敵を打ち倒すことは目的ではなく、公龍の背後で小さな肩を震わせているクロエを守るための手段なのだ。そのことを忘れてはいけない。


「何故、その娘の前に立ち塞がるのだね? 娘を守ることが君のどんな利益になるというのだよ?」


 アイアンスキナーはさも不思議そうに言う。まるで同じ境遇に立っていながら、根本的に異なる考えを持つ人間を見るような表情。

 公龍はただ無言を貫き、苛烈な敵意をもって男を睨みつけた。


「まあいいのだよ。言葉は無粋なのだからね。退かないというのならば退かすまでの話なのだよ。代償は君の命。――さあ、始めるのだよ。血と狂気の饗宴を」

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