05/The raid of cardinals《1》

《東都》は東京と呼ばれていたかつての区画にほぼなぞらえるかたちで二五の区に分割されている。並び方はごく単純で、皇居跡の存在し、現在では《リンドウ・アークス》の本社ビルが建つ一区から順に時計回りの渦を巻くようにして数字が増えていく。外縁に行けば行くほど、規模の大きな廃区が目立つようになり、ウロボロス解薬士事務所がある廃区は二二区では最も大きな廃区になる。

 アルビスはすぐに事務所へと戻り、アンチマテリアルライフルの狙撃さえも受け止める特殊合金製の車に乗り込み出発した。

 途中、一晩中路上で酔い潰れていた公龍と合流し、澪との待ち合わせ場所――第一三区にあるカフェ・アルタイルへと向かった。

 アルタイルは隠れ家的な佇まいの古民家カフェでカウンターとテーブル席が並ぶ一階とソファが置かれた半個室席の二階に分かれている。こじゃれた内装で、インテリアの本棚にはアンティークの小物や洋書が並ぶ。しかし閑散としているのは立地と、さらには料理が全く美味しくないためだ。店には悪いが、人がいないので澪との密談場所として利用する場所の一つだった。

 アルビスと公龍の二人はクロエを連れ、すぐに二階へと上がる。階段を上がって左側、唯一近くに窓がない席がいつもの席だ。


「お疲れ様です、ミスター・アーベント」


 澪は既に到着している。机には豆乳ラテが置かれている。


「ああ」

「お疲れちゃーん。澪ちゃん今日もかわいいねぇ」


 公龍の名前が呼ばれないのはいつものことなので気にしない。

 アルビスと公龍は三人掛けのソファの真ん中にクロエを座らせて、自分たちも腰を下ろした。

 店員がすぐにメニューを持って上がってくる。アルビスはブラックコーヒー。公龍はロイヤルミルクティーを注文し、クロエには生絞りオレンジジュースを頼んだ。

 ドリンクが来るまでは誰も口を開かない。もし店員が注文したドリンクを運んできて、話の一端でも聞かれてしまうことを避けるためだった。

 二分と待たずにドリンクが机に並び、店員はごゆっくりと言い残して階段を下りていく。

 アルビスはコーヒーを一口含み、公龍はごくごくと一気に飲み干す。公龍はついでに、ストローの紙袋の開け方が分からずに睨めっこをしていたクロエのオレンジジュースにストローを差してやり、一口飲んで美味しさに悶絶するクロエを眺める。


「彼女が?」


 澪の質問にアルビスが頷く。訊くまでもないことだったが一応の確認だろう。あるいは彼女に聞かせてもいいのか、という問い。


「まずDNA鑑定の結果です」


 澪が差し出した封筒を受け取り、アルビスは目を通す。


「母親? どういうことだ?」


 てっきり親類が見つかったというのだから、まして殺されたなどというのだから助けてと頼まれていた姉だとてっきり思っていたアルビスは面を食らった。


「説明します。《リンドウ・アークス》のデータベースに照会したところ、名前は空木朱音うつぎあかね。住所不定、無職、年齢は二五歳。第一三区の廃区周辺の街頭カメラに頻繁に映っていることから、この近辺を住居にしていたと考えられます。また彼女と背格好の似た少女を連れて歩いていたという証言もあるので、間違いないかと」


 澪は一枚の写真を机に置く。それを見たクロエがぴくりと反応し、公龍の服を引っ張る。用意していたメモ紙とペンを渡され、クロエは文字を書く。

 慌てたような幼児の殴り書きは、確かにこう綴られる。――〝おねえちゃん〟と。

 頭の中で整理がつくと同時、アルビスと公龍の心は痛んだ。助けてほしいと言われたその人は、もうこの世にはいないのだから。

 澪は淡々と説明を続ける。


「おそらくはお姉ちゃんというのはただの呼称にすぎず、実際の関係は母娘です。空木朱音の遺留品にこんなものがありました」


 澪が腕時計端末でホログラムを投影する。遺留品をデータ化しておくために三次元スキャンを実行したのだろう。映し出されたホログラムはペンダントだった。


「写真などは入っていません。しかし裏側にはこう刻まれていました」


 ――私の可愛い愛娘My little girl黒慧KUROE


「今、私的な情報筋に周囲の情報固めを頼んでいますが、その娘の年齢から考えるに震災の動乱のなかで空木朱音が暴行を受けた末に産んだ子ではないかと。一五、六の少女が産まれた子供に戸籍登録をしようとはなりませんから。加えて身寄りのない空木朱音は産まれた子供とともに廃区に住むしかなかった。それでクロエさんはマイナンバーから抜け落ちたのでしょう」


 名前を呼ばれてクロエが首を傾げた。全くもって話を理解していないらしく、アルビスはほっとした。しかし曲がりなりにもクロエが依頼人である以上、仕事の失敗として彼女に真実を伝えなければいけない。


「だがよ、身寄りのない一五の少女がどうやって子供を育てるっていうのよ。そんな簡単に稼げる仕事つったら堅気じゃないぜ」


 公龍がもっともな指摘をする。クロエの件になると急に真面目なことを言い出す相棒に、アルビスは少なからず不信感を抱くが、真面目になることは美徳以外の何ものでもないので良しとする。澪も的を射た質問を無視するわけにもいかず、公龍を一瞥して答える。


「ええ。彼女――空木朱音は、薬の売人でした」


 ひゅうい、と公龍が口笛を吹く。アルビスが得心とともに頷く。澪が腕時計型端末で示す資料には〝鷹の爪〟〝羽箒〟〝種〟――非認可薬物デザイナーズドラッグを示す隠語が無数に並んでいた。どうやらそれが、空木朱音がクロエを守るために売ってきた薬の一部をリスト化したものらしい。

 興味深いのはリストにある〝種〟。おそらくクロエが持ち込んだラスティキックは、母親が売り捌いていたものの一部だろう。少なくともこれで、当初疑っていた罠の線はほぼ消えたと言っていい。


「だからコードαの可能性か」

「ええ。そうなります」


 澪が歯切れ悪そうに言う。

 定職に就くことが難しい廃区の住民にとって、簡単に金を稼ぐ方法はいくつか存在する。その一つが薬の売人だ。特別な技能も資格も卓越した容姿も何もいらない。ただバレずに息を殺し、指定されたものを指定された場所へ運び、指定された人間から金を受け取るだけでいい。

 きっと空木朱音は娘を育てるために必死だったのだろう。後ろ盾どころか戸籍すらなく、言葉を話すこともできない愛娘を守るためには金が必要だ。そのために売人へと身をやつした。守るべきものを見定め、そのためには手段を選ばずに危うい道を突き進んだのだ。それはどれほどの綱渡りだったことだろう。

 顔をしかめる公龍は、アルビス以上に心を痛めているに違いなかった。大切なものを抱こうとして、そして綱から転げ落ちた朱音に自分を重ねている。


「殺された原因は、組織内で揉めたか、あるいは中毒者による怨恨か?」

「いえ、まだ確定的なことは言えませんが、殺され方から見て後者の線はないと思います」

「殺され方?」


 澪はそれこそが核心だと言わんばかりに豆乳ラテを口に含み、ごくりと喉を鳴らした。


「〝赤帽子カーディナル〟という名を聞いたことはありますか?」


 アルビスは公龍と顔を見合わせる。どうやら公龍にも心当たりはないようだった。


「今、アンダーグラウンドで名を馳せている殺し屋です。国籍、性別などは不明。分かっているのは血色の帽子をかぶる二人組で、片方がアイアンスキナー、もう一人がキティ・ザ・スウェッティと名乗っていること。そして自分たちの殺しの証拠として被害者の脳髄でメッセージを残すこと」

「けっ、悪趣味な野郎どもだ」


 澪は一枚の写真をジャケットの内ポケットから取り出す。それが何かを察して、アルビスは公龍に言った。


「公龍、クロエを連れて外へ出ていてくれないか」

「あいよ。んじゃ、後は任せる」


 言外の意味を察した公龍はクロエの手を引いて席を立つ。元々、こういう細かい情報収集やその取捨選択は公龍の本分ではない。そういうことに費やす人生のリソースは、研究者時代に全て使い切ったのだ。クロエはどういうわけか昨日から公龍になついているし、状況をうまく呑み込めないままに特に抵抗するわけでもなく店を出ていった。

 アルビスは二人が店を出たのを確認して、澪から写真を受け取る。それは空木朱音の殺害現場の写真だった。首から上のない裸の死体は不必要に痛めつけられ、身体の輪郭が見る影もない。込み上げる吐き気を抑えながら、アルビスは死体の、頭があるべき場所に描かれたメッセージを読んだ。


「……〝赤帽子がやって来たCardinals ware coming〟」


 強烈な自己顕示欲。自らの強さと恐ろしさを周囲に刻み付けるような。とてもまともな人間のすることとは思えなかった。

 しかし〝赤帽子カーディナル〟は狂人ではない。ハチャメチャに解体されているように見える死体には、的確な医学的処置や薬学的な処理を施した拷問の痕が見て取れた。単に殺しているのではない。死ぬよりも辛い苦しみを味合わせ、生まれたことを後悔させるまで痛めつけてから殺すのだ。

 見ず知らずの女が味合わされただろう苦痛と恐怖に、アルビスは静かな戦慄を覚えた。


「事の発端は三カ月前。新興のベンチャー企業《アスメイク》の社長と秘書が同様の手口で殺害されたことがきっかけです」

「《アスメイク》と言えば、廃区の負の遺産としてブラックツーリズムの観光資源にしようと動いていた企業だな。たしか、遺体の凄惨さから錯乱状態に陥った過剰摂取者アディクトの犯行とされ、廃区に対して厳しい世論が向けられた事件だ。解決していなかったのか?」

「恥ずかしながら。手口こそ同じですが、当時はまだ脳髄でのメッセージはなかったんです。そしておよそ一か月の間を空けて、同様の手口の事件が立て続けに起きた」

「それは非公開だな」

「はい、このメッセージが現れてからの事件は全て非公開になっています。海外で製造された麻薬を個人輸入してネットで売り捌いていた会社員。廃区各所にて炊き出しなどのボランティアを斡旋していた団体の代表。薬害訴訟を起こしていた廃区住人の代理弁護団。そして、押収した薬物を横流ししていた解薬士と、そこからバックを貰っていた警官。あとは空木朱音殺害推定日時の二日後に現金輸送車が襲われ、乗務員と警備員が計四名殺されています」

「まるで意図が見えない殺しだな」

「殺し屋というのはそういうものです。金さえ積まれれば誰だって殺す。メッセージも、自分たちの力を示すための分かりやすいプロモーションでしょう。そこには理念も信条もない。だからこそ厄介なんです」


 アルビスは今朝手に入れてきたばかりの情報と今まさに目の前で示された情報を精査する。まとめられた情報が紐解かれ、他の情報に結びつき、色付けされ、アルビスの脳内に情報の地図を形作っていく。

 アルビスたちの元へ連れて来られた少女クロエ。都市に横溢する非認可薬物デザイナーズドラッグであるラスティキック。それをばら撒く都市伝説的存在〝脳男ブレイン〟の影。クロエが助けてくれと懇願した遺伝上の母親、空木朱音の無惨な死。その第一容疑者である殺し屋〝赤帽子カーディナル〟。意図のない殺し。金を積まれて振り撒かれた殺戮。


「空木朱音の死後二日後の事件。詳細は分かるか?」

「もちろんです。ただちょっと厄介で、被害者の経歴は全て詐称でした」

「そんなことができるのか?」

「物理的に可能かどうかということなら不可能ではありません。ただマイナンバーに蓄積される履歴を丸ごと改竄するにはスーパーコンピューター数台の並列処理に匹敵する神業じみたクラッキング技術が必要かと」

「あとで詳細を送っておいてくれ」

「わかりました」

「助かる。それと、〝脳男ブレイン〟と呼ばれる人物に心当たりはあるか?」

「〝脳男ブレイン〟ですか。いえ。警視庁のデータベースに検索を掛けてみますか?」

「いや、大丈夫だ。忘れてくれ」

「は、はぁ……?」


 澪はあからさまに勘繰るような視線を向けた。アルビスは強引に話題を変える。


「それで、私たちに何をさせるつもりだ?」


 澪は観念したように一つ呼吸を置き、アルビスがこれ以上何も喋るつもりはないことを悟って口を開く。


「警視庁は今、この〝赤帽子カーディナル〟を追っています。クロエさんの件もありますし、警視庁としてはウロボロス解薬士事務所に正式にコードαの協力要請を出すつもりです」


 アルビスは言葉に詰まる。パパスの怯えた声が脳裏を過ぎる。助けてくれというクロエの無言の叫びが耳の奥で響く。無数の不可解な糸が錯綜し、アルビスの判断を遅らせた。


「無論すぐにとは言いません。できるだけ早いに越したことはないですが。それと、別に金銭で貴方がたを釣ろうというわけではありませんが、報酬は四〇〇万。いっぱいいっぱいですが交渉は受け付けると警視総監から直々に言われています」

「……話は分かった。だがこの件は一度持ち帰らせてもらう。元はクロエの依頼だ。彼女がこの結果を受けて、これからをどう望むのか、一度話を聞きたい。無論この件について他言はしない」


 澪は少し残念そうに表情を陰らせた。アルビスはきまり悪そうにコーヒーを口へ運ぶ。つんと鼻に抜けるような雑味。


「分かりました。よいお返事を――」


 アルビスは澪の言葉を遮って、前へと飛び退く。澪に覆い被さり、ソファの後ろへと身を隠す。

 刹那、轟音が轟いた。

 火花が散り、壁も家具も何もかもが砕け散る。粉塵と破片が舞い、一階からは悲鳴が響く。


「な、なにがっ!」


 アルビスは慌てふためく澪の口を軽く抑える。

 警戒して然るべきだった。いや、警戒はしていたのだ。だから常にクロエと行動を共にしていた。しかし心のどこかに隙があった。あり得ないだろうと高を括っていた。


「……襲撃だ」


 アルビスは押し殺した声で、静かにそう言った。

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