サウナのひと



 中にいたのは全裸の男、ただそれだけだった。

 接舷した貨物船のユニットの中にあったのは、食料でもなく、救命艇でもない。それどころか貨物ですらない。

 全裸の太陽系人の男。

 ユニットに乗り込むのに、わざわざ重苦しい宇宙服に着替えたアタシとは対照的に、宇宙にいるとは思えないほど軽装の、腰にタオルを巻いただけの男がいる。

 ユニットの中にあるものはそれだけだ。他には何一つない。しいて言うなら、一面にひかれたタオルがあるだけ。灯りのほとんどない薄暗い空間に、ただ男がいるだけだった。

 ――あんまりだ。あんまりじゃないか。

 確かにアタシはあまり期待していなかった。このユニットが太陽系人の貨物船の一部だからと言って、必ずしも自分に都合良い物資があるとは限らない。

 それどころか、アタシのことだ。きっとうまくいくわけはないとは思っていた。

 だからといって、この仕打ちはない。よりにもよって死の瀬戸際に全裸の男だなんて!

 男はアタシを見るとニヤリと不敵に笑い、おもむろに立ち上がる。それを見て、警戒することすら忘れていたアタシは咄嗟に銃を向けた。相手はきっとアタシたちの海賊船が襲った貨物船の船員だ。敵同士。にも係わらず、動揺して銃を握ることすら忘れるなんて、やっぱりアタシはドジだ。


「動く……」

「ようこそ、至高のサウナへ」


 「動くな」と言おうとしたアタシを遮って、男は笑みを浮かべたままに手を広げて立ち上がった。その拍子にかろうじて腰に巻いていたタオルはひらりと落ちた。アタシは銃を向けたまま、とっさに視線だけを逸らした。

 しかし、男は銃を気にかける風でもなく、落としたタオルを拾い直した。


「おい! 動くなって」

「まぁ、そう警戒するなよ。見たとおり丸腰だ」


 タオルを腰に巻き直すと、また元のように大きく手を広げて、男は無害をアピールしているようだった。

 確かに男は丸腰で、それ以上に全裸であるが、しかし、全裸である故に余計、警戒をしているのだ。アタシとて女だ。それが異星人であったとしても、全裸の男に対して、警戒を解けという方が無理だ。

 アタシは銃を構えたまま、じっと男を観察した。

 信じられないことに太陽系人は樹上の猿から進化したと聞く。男は髪の毛こそ短く切り揃えているが、進化の名残か、体中を薄い体毛に覆われている。なるほど猿のようにも見える。体毛を除けば、男の姿はヘルジン軌道人とよく似ていた。ウーパールーパーから進化するという、ごく自然な進化を経たアタシたちと太陽系人が似ているというのは、どうにも腑に落ちない話だった。

 男を視界の中に入れたまま、今度はまわりをよく見てみる。

 ユニットの内部は薄暗い。床はほとんどタオルが敷かれて見えないが、よくよく観察すると、床や壁は、そのほとんどを木の板で覆われていた。木を好むのは樹上生活の名残なのだろうか。

 しかし、このユニットで最も奇妙だったのは、――全裸の男を除けばの話だが――その室温だった。

 宇宙服のバイザーに表示された室温は九十度を越えていた。宇宙服はその高温からアタシを守ってくれているが、ヘルジン軌道人には考えられない室温だ。あるいは太陽系人は、こうした高温を好むのかとも思った。だが、体中に汗をかき、少し辛そうに息を切らした男を見るに、どうもそうではないらしい。

 ――刑罰、なのだろうか。

 異常なほどの高温の何もない部屋で、しかも全裸。何かの罰としか思えない。罪を犯して、この奇妙な部屋に閉じ込められ、そのまま貨物船が襲撃に遭い、漂流した。そうとしかアタシには思えなかった。こんな熱い場所に好き好んで全裸で入りたがる者がいるわけがない。

 アタシの動揺を感じ取ったのか、ふいにまた男が声をあげた。


「なぁ、その銃をまずは下ろせ。マナー違反だ」

「マナー違反? 何のマナーだ?」

「サウナのに決まっているだろう。それにその宇宙服もマナー違反だ。早く脱げ。無粋なやつめ」


 この男は一体何なんだ。

 どう見ても何かの刑罰にしか見えないこの部屋で、マナーを語るとは。サウナ?とはこの場所のことであろうが、奇妙なヤツだ。太陽系人はマナーにうるさいとは聞いたことがあるが、しかし、牢獄でまでマナーを語るとは思いもよらなかった。


「牢獄でマナーを語るなんて……。変なヤツ」

「牢獄? 何のことだ? ……いや、待て。何か哲学を感じる。サウナを牢獄と表現するとは……」

「いいから動くな!」


 広げた手を、今度はあごに当てて何かを考え込もうとする男にそう言った。けれど、ヤツはアタシなど眼中にないらしく、うんうんと唸り混んでいる。

 構っていられるか。


「動くなって言ってるでしょ! それより、ここには何か物資はないの? 食べ物だとか、救命具だとか」


 無駄と分かっていても聞かずにはいられなかった。どうせここには何もない。見れば分かる。無駄な熱気のある空間があるだけだ。


 しかし、男は意外な顔をして答えた。


「サウナがある」


 男は自信満々に答えた。

 サウナ? だから、さっきから言っているサウナとは何なんだ。この牢獄のことじゃあないのか?


「……サウナって何?」

「その疑問もまた哲学的だ。サウナとは何か。非常に難しい質問だ」

「いいから答えて!」

「貴様は人生とは何かと聞かれて答えられるのか?」

「人生ってのは最悪に決まっている。いや、アンタと禅問答している暇は……」

「人生は最悪? それは貴様がサウナを知らないからだ」

「だからサウナって何!?」

「服を脱げ。話はそれからだ」

「服っ……!? 脱っ……!? 何を言っている!?」


 突然、全裸の男に脱げと言われて同様しない女がいるだろうか? いや、確かにアタシはもう死んだようなものだが、だからと言って簡単に服を脱ぐ女じゃない。ネオン街の売女だってこんな文句じゃ服を脱がないだろう。


「いいから脱げよ。銃は下ろさなくてもいい。妥協してやる。ともかく服を脱げ」

「な、なんで脱ぐ必要がある!?」

「貴様が聞いたんだろう。その答えだ」

「何の……!?」

「サウナとは何か。その答えだ」


 そうしてアタシがしどろもどろに動揺していると、いつのまにかヤツはアタシの目の間に来ていた。宇宙服のバイザーを挟んで、すぐ目の前に男の顔が現れて、思わずぎょっとすると、その隙に男はアタシの宇宙服に手をかけた。

「早く脱げ」

 有無を言わさぬ、その一言を発すると、男は宇宙服のヘルメットを外して、本当に脱がしにかかってきやがった。抵抗しようとしても、男の腕力は意外にも――いや、ヤツの筋骨隆々の裸は見ていたから意外ではないが、ともかく抵抗を許されずに脱がされる。

 ――おっ、犯されるぅー!!

 声にならない叫び。恐怖すると人は声が出なくなると言うが、全くその通りだ。アタシは抵抗もままならぬままに脱がされた。

 ――あぁ、恋も知らない上に、こんなふうに犯されて死ぬなんて。

 アタシはじっと力を込めて目をつむり、恐怖が過ぎ去るのを、台風が過ぎ去るのを待つように、どうにもならないことを我慢するように、耐えようとした。

 しかし、返ってきたのは意外そうな男の声だけだった。


「お前、女だったのか」


 男がそう言ったのは、宇宙服のみならず、その下に着たインナーまで全て脱がされて、本当に生まれたままの姿にされた後だった。

 悪かったな、女らしくない体で。

 男は気まずそうにタオルをアタシの方へ放り投げた。それを慌てて手に取ると、急いで体を隠して、距離を取った。


「悪かったな。だが、宇宙服越しじゃあ、男女の区別はつかんだろう」

「顔を見りゃわかるだろ!」

「太陽系人から見たら女の顔でも、他の種族じゃそうとも限らんからな……」

「ヒューマノイド型なら大抵は同じだ!」


 男をにらんだが、ヤツは首をすくめたままだった。男はすっとアタシの脇を通り過ぎると、今は小型戦闘艇へと繋がったハッチを閉めた。


「おい、なぜハッチを閉めた?」

「……? 知りたいんだろう? サウナとは何かを」


 この男からすれば、この灼熱の牢獄から出られるというのになぜハッチを閉めた? 一体、サウナ?とか言うものは何なんだ。

 男はいつのまにか、アタシの銃を手に持っていた。それに警戒する間もなく、アタシの手に銃を握らせる。その奇妙な行動に首をかしげた。

 理解できない。なぜ手放した銃を返す?


「まぁ、サウナには無粋だが、持っておけ。それがないと不安だろう」

「確かにそうだが……」

「銃はサウナに相応しくないが……。貴様がサウナを知れば、自ずと手放す」

「意味が分からない」

「すぐに分かる。サウナを知ればな」


 銃を手にしたものの、不思議とそれをまた構える気にはなれなかった。

 ――熱いな。

 タオル一枚の体に当たる九十度の温度は、思った以上に熱い。高温に直接、肌が晒されて、じりじりと焦がした。汗と一緒に不安がこみ上げた。

 男はと言えば、アタシの不安を気にも留めず、元々座っていた場所へと戻り、そして腰を下ろした。


「お前も座れ」


 この男に従うのはシャクだった。しかし、一度やり込められてしまったアタシは、この男に抵抗できる気がしなかった。言われるがままに腰を下ろす。充分に距離を取って座りたかったが、この狭い空間で取れる距離はたかが知れていた。

 アタシが座ったのを確認すると男はあごをしゃくった。その先には時計のようなものがあった。しかし、時計にしては針のの進みがずいぶん早い。


「これは十二分時計だ。これが一周するまで待て」

「待ってどうする?」

「それがサウナだ。ともかく、待て」


 男はそう言ったきり、アタシに目も向けずにただぼうっと座り込んだ。

 アタシは何がなんだか分からずに、ただ座って男を見ていた。




 ――僥倖。なんという僥倖。

 サウナに入り込んだ、その宇宙服に私は大きな喜びを得ていた。

 間違いなくヘルジン軌道人の宇宙服だ。窓から小型戦闘艇が見えたときから分かってはいたが、実際にこうして接触できたことで喜びはひとしおだった。

 ヘルジン軌道人はついさっき私の乗る貨物を襲った連中だ。海賊の代名詞のような連中であるし、普通は恐怖を感じるだろう。

 だが、私は違った。

 ここに来たのが他の何者でもなく、ヘルジン軌道人であることが、今の私にとって最も重要だった。

 ヘルジン軌道人の船はコックピットが独特であることで有名だ。

 大気中と変わらずに、水中でも呼吸が出来るヘルジン軌道人独特のコックピット機構。――つまり、水で満たされたコックピット。

 ――水風呂だ。

 それは今、私が求めてやまない水風呂そのもの。

 窓から見たあの小型船はエンジンの辺りに大穴が空いて、うまく動けないようだ。現にこのサウナユニットに接舷するのにも四苦八苦している。つまり、あの小型船は私の乗る貨物船を攻めている間に、対空機銃か何で大穴を空けられて、漂流していることは容易に想像できる。おおかた、このユニットがサウナだとは知らずに、何か物資がないか探しに来たというところだろう。

 あの大きさの小型戦闘艇ならパイロットは精々一人か二人。それなら何とかなる。

 サウナには水風呂が欠かせない。それがここにはないということが心残りであったが、しかし、あのヘルジン軌道人の船は希望を運んできてくれた。

 もしあのヘルジン軌道人がサウナ好きなら、快くコックピットを水風呂として私に貸してくれるに違いない。仮にサウナ好きでないとしても、説得してみせる。それが叶わなければ、力ずくで奪い取る。

 ここに来たのが本当にヘルジン軌道人で良かった。

 “求める者に求めるものが現れる”。ペンダントに刻まれた言葉は正しかった。

 そうして、しばらく待つと、サウナのハッチが開き、宇宙服のヘルジン軌道人が現れた。 空いたハッチから冷えた空気が入り込む。熱々のサウナに一筋の冷風。

 ――心地良い。

 この心地よさにしばらく浸りたかったが、まずはあのヘルジン軌道人と交渉する必要がある。冷気の心地よさに浸ったのは一瞬で、私は立ち上がり、出迎えの言葉を発した。

 何事も挨拶が肝心だ。


「動く……」

「ようこそ、至高のサウナへ」


 相手は何か言おうとしていたようだが、先手を取ったのは私だった。しかし、ふと見れば相手の手には銃が握られている。どうやらヘルジン軌道人はサウナでのマナーを知らんらしい。

 “サウナでは教会にいるように振る舞え”

 かつて太陽系の地球上に国という概念があったころ、サウナ発祥の地であるフィンランドの民が言った言葉だ。

 だというのに、このヘルジン軌道人は、サウナに宇宙服を着て入ってくるどころか、銃を構えるなど無粋も良いところだ。

 聞いてみれば、どうやらサウナというものを知らんらしい。

 なんと哀れな連中だろうか。サウナを知らないというのは人生を知らないというのと同義だ。なるほど星を挙げて海賊行為に身をやつすのも納得というものだ。サウナがあれば、こうはならなかったに違いない。かわいそうに。

 ――サウナとは何か?

 非常に難しい質問だ。一口には答えられない。しかし、いっぱしのサウナ求道者として、その疑問に答えないわけにはいかない。

 私はその最も簡潔で、そして適切な答えを提示することにした。

 それはサウナを体験することだ。

 まずはサウナでは服を脱ぐべきだ。宇宙服越しでサウナを知ろうなどとはおこがましい。


「服を脱げ」


 そう伝えると相手はひどく動揺しているように見えた。何を恥ずかしがることがあるのかと思い、無理矢理に脱がしてみると、そのヘルジン軌道人は女だった。

 そう、宇宙服の中から出てきたのはヘルジン軌道人の女だ。

 ボブカットの青い髪に白い線で幾何学模様が描かれた、ヘルジン軌道人独特の髪型。水風呂のように青く澄んだ瞳と透き通るほどに白い肌。そして、凹凸のないスレンダーな体。

 ――綺麗だ。

 他のヘルジン軌道人はよく知らないし、彼らの美的感覚も知る由もないが、しかし少なくとも私はそう思った。水風呂の妖精がそのまま体を得たかのように美しかった。

 けれど、今、目の前にいる彼女は「人生は最悪だ」と答えた。

 不憫だと思った。

 こんなにも美しいはずの彼女は確かにそう言ったのだ。あるいはその儚さが彼女の美しさの根源かもしれなかったが、しかし私はそれを不憫と思ってしまったのだ。

 ――彼女にはサウナが必要だ。

 確かに人生は最悪なのかもしれない。人が作り上げた“社会”というものは生きづらく、息苦しい。思い悩むことばかりだ。

 しかし、サウナがあれば――サウナさえあれば、気がつけるはずだ。そうした悩みは全てまやかしだということに。

 私もこれまでの人生で実に様々なことを悩んできたが、しかし、サウナと出会って気がついた。それらの悩みなど、そう大したことではないことに。

 ここは人生の、いや、サウナの先輩として教えてやらなければならない。

 “求める者に求めるものが現れる”

 サウナを持つ私が水風呂を求めたように、水風呂を持つ彼女に必要なものはサウナ、そしてサウナの求道者としての私だ。応えないわけにはいかない。

 報酬は水風呂と引き替えだ。

 ――貴様にサウナを教え込んでやる。

 覚悟しろ。貴様の人生は今日、崩壊する。今日、サウナを知ってしまう貴様には、もう水風呂のような人生しか、生きる選択肢はないのだ。


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