サウナ・水風呂・流れ星
井戸川胎盤
静寂のサウナ、冷たい水風呂
宇宙を漂流するサウナに私はいた。
暗く、音のない真空の世界のど真ん中で、サウナ室に閉じ込められて、ただ流されるままに、この宇宙を一人で漂流している。
宇宙を漂流するとなれば、普通はパニックになるのかもしれない。あるいは冷静沈着に助かる術を模索するのかもしれない。加えて、サウナ室に閉じ込められている、という条件がつけば、サウナ嫌いの人間は地獄のような状況に絶望するのかもしれない。サウナ嫌いではない者も、きっと助かる確率を考えた末に、がっくりと肩を落とすだろう。
だが、それがサウナ好き、しかも極上のサウナ好きの場合は――つまりは私のことだが――喜びに打ち震える。
この宇宙を漂流するサウナは、端的に言って最高だったのだ。
かねてより、私の理想のサウナは宇宙だ。
真っ暗な宇宙と同様に暗く、真空と同じように静か。
私がいるこのサウナは限りなく宇宙に近い。距離として、という意味ではない。サウナのあり方としてだ。
サウナ室の中に灯りは一つ。オレンジ色の電球が、すのこ状に作られたベンチの下から灯りをともすだけ。確かに光はあるが、それはサウナ室の全てを照らすことはできず、真っ暗な闇があちこちに存在した。
そして、静かだ。不愉快に騒ぎ立てるテレビもなければ、BGMの一つすらない。聞こえてくるのは、湿度を保つために定期的に自動でサウナストーンへ流れる水が蒸発する音だけだ。自分の呼吸音さえもうるさく聞こえる。
このサウナは宇宙の暗闇と真空の静謐に限りなく近い。
宇宙を漂流する前から、このサウナは私の理想を体現するような、素晴らしいものだった。極上のサウナ好きなら、誰もがのどを鳴らすようなサウナだ。それは宇宙に放り出されて、流されるままに漂うようになって、さらに理想に近づいた。いや、理想そのものになった。
暗い宇宙の中、はめ込み式の窓から入る星々の光。まるで地上から見るように、遠い星々の光はか弱い。サウナ室唯一の照明は、その星々の一つとなり、部屋のあちこちに出来た闇は宇宙の闇と同化している。
静かな真空の世界が、ずっしりとした重いハッチのすぐ向こうにある。少し前まで宇宙船に繋がるはずだったハッチはさらに重たくなった。その重みがサウナ室を押しつぶし、音という音が息を潜めた。
暗く静かだったサウナは、暗黒と真空のサウナになった。
宇宙に孤立して、このサウナは今まさに宇宙と一体となり、その極地に達していた。
人が四人座れば一杯になってしまう、小さな二段のひな壇。その上段に私は裸一つで――いや、より正確に言えば、一応、腰にはタオルを一枚、そして首にはペンダントが一つあるが――どっかりと座り込んで、汗を流していた。
――私は孤独だ。
暗黒と真空は私に孤独を与えた。
私がサウナで感じるのは、常に孤独感だった。言葉にすれば、冷たく思えるが、しかし、サウナでの孤独は暖かだ。日常で感じるそれはずっしりの私の肩に乗り、冷たい重さを与えるものだが、サウナはそれを許して、温度を与える。
“何者”でもない、ただ孤独な一人。それで良いと言ってくれる。
暗さと静けさは、私を全てから切り離し、孤独な個にする。
それは解放だ。
それ故に人はサウナで裸になる。社会的記号である服を捨て、“何者”でもない、ただの人間に解放される。
サウナとは、そういう許しを与えてくれる場に他ならない。
しかし、今、このサウナには重大な問題が一つある。
それは宇宙を一人で漂流しているだとか、助けが来るか分からないだとか、そんな小さな問題ではない。それはサウナという最高の快楽を知らない蒙昧な人間の戯れ言。浅慮極まりない発想である。
もし、このまま助けが来ずに、このサウナの中で孤独に死んでいってしまうとしても、私のような極上のサウナ好きにとっては、理想の死に方を遂げるだけ。一片の悔いもない。
いや、一片の悔いもないというのは嘘だ。
それこそが問題なのだ。
――ここには水風呂がない。
水風呂がないということは、実に大きな問題だ。
サウナ素人にはわからないかもしれないが、サウナと水風呂は表裏一体、二つで一つ。全く不可分の存在だ。水風呂があって、はじめてサウナは成立するし、サウナがなければ水風呂は無用の長物だ。
サウナに入り、水風呂に入る。
サウナと水風呂。この二つによって、人は全てを許される。暗く静かなサウナで“何者”でもない孤独な個であることを実感し、透き通った水風呂がそれを全て解放する。
そうすることで人は人生で最大の幸福を得られるのだ。
にも係わらず、ここには水風呂がない。
もちろん、この宇宙には水風呂がないサウナ施設というのは、いくらでもある。しかし、その場合、サウナ好きたちは慌てずに外へ出て、外気浴を行う。冷たい外気に体をさらすことで水風呂の代わりに体を冷やすのだ。
しかし、この場合はそうもいかない。このサウナの重いハッチをあければ、そこはもう真空の荒野。外気浴をする外気すらない。
私は大いに頭を抱えた。
水風呂がない。外気浴すら出来ない。
このサウナは至高だが、水風呂という全く不可分の相棒を失った今、そのポテンシャルを半分しか発揮出来ずにいるのだ。
おかげで私は今、半分だけしか許されていない。
この至高のサウナを十全に楽しめずに死ぬ。それは恥ずべきことだ。だが、宇宙を流されるままにさまよう私に、それをどうにか出来ようもない。
結局、今の私にできることは、このサウナを楽しむことだけだ。他にできることと言えば、水風呂を――この孤独すべてを許すものを願うこと、それだけだった。
サウナの壁の十二分時計が何周したのか、すでに数えることを止めた。
“求める者に求めるものが現れる”
その言葉が刻まれたペンダントを握りこんだ。
窓の向こうに瞬く星々を見た。
――水風呂が欲しい。どうしても水風呂に入りたい。
また、星が一つ煌めいた。
朦朧とする意識の中で、それが星の輝きなのか、それとも自分の汗が光を反射したのか、その区別もつかぬまま、ぼうっと宇宙の景色を眺めていた。
そもそも私が裸一つで、いや、サウナ一つで宇宙を孤独に漂流するはめになったのは、なんというか、私がサウナに依存しすぎたサウナ中毒者だったことが原因としか言いようがない。
私の仕事は恒星間を航行する大型宇宙貨物船の船員だ。
昔と比べて、宇宙はずいぶんと狭くなった。人類最大の発明である“ニュートンのりんごドライブ”は、人類に光速以上の早さをもたらした。だがしかし、だからといって光年単位の距離を移動することが、老人会のバスツアーのごとく気軽になったわけではない。
たった数十光年の先に行くために、人類はいまだ数年をかけて宇宙を旅しなければならない。前に地球に停泊したときに、どこかの研究施設がワープ技術の先駆けとなるような研究を成功させたとニュースを見たが、私が子どものころから、同じようなニュースは聞こえてくるばかりで、実用化されたという話はついぞ聞かない。少なくとも私が生きている間に目にすることはないのだろう。
つまり、私のように宇宙貨物船の仕事に従事する人間は、相変わらず何年もかけて、星々を根無し草のように旅をすることに依然、変わりはないのだ。
そうまでして向かう船の行き先は、どこかと言えば、当然ながら貿易相手の星だ。
人類が光速を越えて、宇宙の先に開拓地を求めたことで出会いがあった。望遠鏡で見ていたころは分からなかったことだが、実際に人類が望遠鏡の見えた先に行き着くと、宇宙人――おっと、これは今は差別用語だ――、もとい異星人との遭遇があった。そうして人類は異星人たちとの良き出会いを得て、ともに経済圏を作り上げ、貿易を行うに至った。
そのおかげで私も、宇宙貨物船の船員という仕事にありつくことができたというわけだ。
もちろん、出会いというのは良い出会いもあれば、悪いものもある。
太陽系人や他の星々の人間同士の交流を良く思わない者たちも存在した。
他の文明との拒む者たち、あるいはこの経済圏の中でうまみを受け取れない者たちだ。特に後者は私たちの仕事の妨げとなった。彼らは宇宙海賊となり、私が乗るような貨物船を狙って略奪行為を働くようになった。中でもヘルジン軌道星系は貧困が深刻化し、宇宙海賊と呼ばれる者の多くは、このヘルジン軌道人たちであった。
宇宙船に乗って星々を旅するなどと言えば、人はロマンのある仕事だと言うけれど、正直に言えば全くそんなことはない。
実際、宇宙海賊に襲われる危険だってあるし、なによりこの仕事は孤独だ。
星と星、それもただの星じゃない、異星人の住む星だ。その距離は遠い。片道に数年をかける。そんな根無し草のような旅路を仕事にするような人間が真っ当な社会生活を送れる人間ではないことは明かだ。どう考えたって結婚なんてできないし、家を買ったとしても、住んでいる時間の方が圧倒的に短い。
そうした生活に孤独を感じないわけがない。私もそうした一人で、長い航海の中で大きな孤独感に苛まれていた。
とは言え、私たちのような宇宙貨物船の船員が全く人間らしからぬ生活をしているというわけでもない。どこかに根をはって生活するということができない分、それだけに貨物船には充分な娯楽があった。
宇宙貨物船は、とりわけ私が乗るような恒星間航行用の大型貨物船の場合、一度の航海に時間がかかる分、船内にはぎゅうぎゅうに貨物が押し込められている。その船体の外には、後付けのユニットも多く取り付けられていた。
大抵、その外付けユニットは貨物用ではなく、主に船員の生活空間のためにあった。ただ生活するだけなら、数個のユニットを取り付ければ事足りるが、にも係わらず、たくさんのユニットを取り付けるのは、福利厚生の充実のためだ。
この外付けのユニットには必要以上の娯楽がこれでもかと詰め込まれていた。ゴルフ用の打ちっ放しユニット、フットサル用ユニット、プラモデル製作用ユニットなどなどと、不必要と思えるほどに設備は整っていた。
無駄だと思うかもしれないが、孤独に苛まれ、精神を病む人間が多い中で、この施設は幾分か気を紛らわすものだった。交代制の貨物船の仕事の中で、大抵の船員は非番の時間には、この娯楽部屋に入り浸ることが多かった。
そうして、多分に漏れず私もある一つのユニットに入り浸りになっていた。
それがサウナだ。
私の乗る貨物船には、サウナと水風呂のユニットが隣り合わせに設置され、暇な時間を見つけると私はその二つのユニットを往復し続けていた。
サウナに入れば、この広大な宇宙がずっしりと私の肩にのせる孤独感から解放してくれた。地に根を張れず、家族を持てない私から、その悩みを解き放ってくれる。
それだけが私の終わることない船旅に救いをくれるものだった。
サウナを出て、水風呂に入れば、ただ無上の幸福感があった。
そうして、私は仕事以外の時間は、いや、仕事中も抜け出してサウナに入り浸っていた。
ある日、私がいつも通り仕事をサボってサウナに入り浸っていると、どんっと大きな衝撃が走った。大きなデブリにでも衝突したかと思って、緊急通信用のインターフォンを作動させると、聞こえてきたのは船長の怒声だった。
船長の声は慌てていて、何を言っているのか判然と聞き取れたわけではなかったが、しかし、どうやら海賊に襲われているようだった。しかも、襲ってきているのが、この銀河でも悪名高いヘルジン軌道人だというから最悪だ。
船長は混乱した声で、私の仕事場である機関室に、ともかく戻れという指示を飛ばした。
――なんということだ。
私は大いに慌てふためいた。しかし、こういう緊急時こそ冷静にならなければならない。そして、冷静になるために今一度サウナに入り、落ち着こうと考えたのだ。
人生、大抵の悩みはサウナに入っているうちに解決する。サウナを生み出した、かのフィンランド人も「アルコール、タール、サウナ、それで解決出来ないならば、あとは墓場だ」と素晴らしい格言を残している。
ヘルジン軌道人は宇宙海賊の中でも数が多い。そして、容赦がないことでも有名だ。連中に捕まれば、皆殺しが普通だという。一応、この貨物船にも自衛のための簡易的な武装はあるが、しかし、立て板に水だ。
――どうにもなるまい。
サウナの中でそう悟っていると、瞬間、大きな衝撃が再び私を襲った。外付けのサウナユニットが大きく揺れて、倒れてきたサウナストーンに当たって怪我をしないよう、腰に巻いていたタオルを翻して必死に身を守った。
そうしてようやく衝撃が収まると、窓の外に違和感があった。慌てて窓の外を見ると、私のいるサウナユニットが、だんだんと貨物船本体から離れていくのが見える。
ヘルジン軌道人の攻撃のせいか、私のいるこのサウナユニットは、貨物船本体から切り離されていた。そうしてみるみる間に貨物船からユニットは離れ、しばらくすると全く見えなくなった。
そうして私はサウナ室に閉じ込められて、宇宙を漂流することになったのだ。
確かに宇宙を漂流するサウナは良いが、水風呂がないことは問題だ。サウナと水風呂が別々のユニットになっているのは、よろしくない。今度からは同一のユニットにまとめるように進言すべきだろう。その機会があればの話だが。
しかし、意外な形で救いはあった。
ふとサウナの小さな窓の外を見やれば、そこにはヘルジン軌道人の小型戦闘艇があった。どうやらその小型艇は故障しているようで、どうにかしてこのサウナユニットに取り付こうとしているようだ。おおかた貨物船を襲撃中に反撃に遭い、私と同じように漂流したというところだろうか。
私の口元がニヤリと弧を描く。
ずっと手に握ったペンダントを手放して、それが近づくのをただ待った。
アタシは一体、“何者”なのだろうか。
漂流する小型戦闘艇の中は、ずっとその疑問で渦巻いている。
アタシの人生って何だったんだろう? 一体、どうしてこうなったんだろう?
わかりきった答えの疑問が浮かんでは沈む。
それは単純にアタシがドジをだったから。
獲物――太陽系人の貨物船を見つけて、仲間たちと襲ったまでは良かった。母艦の主砲をいくつか打ち込んでやって、彼らの足を止めた。そうして、アタシも含めた先発隊が小型戦闘艇で近づいて船を占領する。いつも通りの手筈だったはずだ。
けれど、今日に限って、奴らは諦めが悪かった。大抵、太陽系人っていうのは臆病だから、少し脅かしてやれば、震えて投降するものだけれど、今日の獲物どもは最後まで機銃を撃って抵抗してきた。
その流れ弾に当たって、このざまだ。
燃料タンクに穴が空き、エンジンも破損した。とても自力では戻れそうにない。アタシはこのまま宇宙を漂流して死ぬのだろう。こうなるくらいなら、いっそのことひと思いに殺してくれた方がマシだ。
「なんでアタシって、いつもこうなんだろう」
こう、なんというか、他の人が平気なことでもアタシがやるとしくじるというか、どうにも運が悪いというか。ここぞというときに天に見放されたように失敗するんだ。
神様に見放されてるとしか思えない。
確かにアタシは要領は悪いけど、それでもこんなにアタシばかりツイてないなんてことがあるのだろうか。
銃撃に当たった衝撃で、母船からはもうかなりの距離まで飛ばされてしまった。きっと母船の仲間たちは死んだと思って助けになんか来てくれないだろう。
そもそも連中は海賊だ。薄情なあの連中に仲間を助けるだとか、そんな発想があるとは到底思えない。
死という恐怖がアタシの背後に近づいてくるのが分かる。
――もう生きては戻れない。
そう気が付いたとき、アタシの頭に浮かんだ疑問。
――アタシは、このラプラ・ヴォルという人間は、一体、“何者”だったのだろう。
その疑問が渦巻いた。
短い人生だったが、この人生の中でアタシは一体、“何者”になれたのだろうか。
例えば、子どもの頃、仲がよかった近所のエスタちゃんはとうに結婚して、お母さんになった。学校で一緒だったタンペちゃんは自分で会社を立ち上げて、何か仕事をしているって聞いた。
みんな、それぞれ“何者か”になっている。自分を定義づける、その何かに。
じゃあ、アタシは“何者”なのだろう。
エスタちゃんとアタシとは同じような生まれだったはずだ。ヘルジン軌道星系では珍しくもない貧乏な家庭だった。タンペちゃんとアタシの成績は大して変わらない程度だったのも覚えている。悪くはないけれど、飛び抜けて良いわけでもなかった。
けれど、彼女たちは今は“何者か”になっている。
アタシは一体、なんだろう。アタシは今、こうして海賊家業に身をやつして、その挙げ句に漂流している。なら、アタシは今、“海賊”なのだろうか。
いや、それも違う。
アタシは他の海賊仲間のようにはなれなかった。彼らのように平気で人を殺すことはできなかったし、そうじゃなくても何か海賊として貢献できることはなかった。おかげでアタシはお荷物扱いで、海賊船ではずっと小間使い。だから、鉄砲玉まがいの先遣隊なんかやらされて、それすら満足にできず、こうして漂流している。
どうして海賊になんかなったのか、自分でもよく分からない。
落ちこぼれて、また落ちこぼれて、アタシの力じゃどうにもならない何か得体の知れない力学で落ちていって、気が付けば海賊船の一員だ。
そうして、その最底辺のはずの“海賊”というものにすら、満足になれない。
ならず者――真っ当な社会の中で“何者”にもなれなかった者達の集まりであるはずの海賊にすらアタシはなれないのだ。
きっとこれからもアタシは“何者”にもなれないのだろう。
海賊にすら、薄汚い犯罪者にすらなれない女が、“何か”になれるはずもない。
本当にアタシはなんなんだろう。
一体、なんで生まれてきたんだろう。
――ぷかり。
ため息とともにコックピットに泡が一つ浮かんだ。
ヘルジン軌道星系では当たり前の、この水で満たされたコックピット。ため息で作られた気泡がどこかへ消えた。大抵の異星人は陸生で、ヘルジン軌道人のように水陸両方で呼吸をすることが出来ないらしい。宇宙海賊になって初めて知った知識だ。
他の星系の異星人たちは、アタシたち、ヘルジン軌道人特有の水に満たされたコックピットを奇妙に思うらしい。別にアタシたちにとっては、水の有る無しはどっちでも構わない。けれど、どうせならある方が良いに決まってる。
昨日までアタシも――多くのヘルジン軌道人と同じように――そう思っていたけれど、今はこの水が邪魔で仕方がない。
重く体にまとわりつく水の感覚は、まるで運命に定められたように何一つ、うまくいかないアタシを縛るようで息苦しい。その息苦しさは、“何者”にもなれず、溺れている自分自身と重なっているように思える。
――せめて死に際ぐらい、そんな疑問から解放されたい。
そう思っても、寸分の隙もなく水が満載になったコックピットから出ることは叶わない。いや、別に外に出ても構わない。コックピットと宇宙船のハッチの間には空気で満たされた小さなエアルームもあるし、さらにその外へ行きたければ、宇宙服に着替えればいいだけだ。けれど、今、この故障した小型戦闘艇を離れて、真空の荒野に出たところで、生き残る確率が減るだけだ。
――生き残る確率。
その言葉を思い浮かべた自分に嘲笑が浮かんだ。まだ、アタシは生きようなどと思っている。誰にも必要とされず、誰かのように自分で居場所を見つけることも出来ない。“何者”にもなれない自分に、今まさに嫌気が差していたというのに、まだ生きたいと思っている。
なんて浅ましい発想だろう。
ふと、視界の端に何が見えた。コックピットに満たされた水の向こう、フロントガラスの向こう側。何かの破片かとも思ったが、よく見れば宇宙船の一部、居住用か貨物用かは分からないが、太陽系人の船の外付けユニットが見えた。さっきアタシたちが襲っていた船の一部だろうか。
「もしかしたら助かるかも……」
さっきの船の一部なら何か食料だとか、救命艇とか、そういうものがあるかもしれない。あの太陽系人の船は貨物船だったのだから、そういうものがあってもおかしくはない。運が良ければ助かるかもしれない。
いいや、きっとアタシのことだ。「助かるかも」って希望を持たせといて、絶望させられるに決まっている。アタシの人生はいつもそうだ。
そもそも助かったところでどうするのだろう。
アタシは“何者”でもない。きっとこれからも“何者”にもなれないに違いない。
生き残って、また“何者”でもないことに疑問を抱きながら、最底辺を転げ回るのだろうか。もしそうなら、生き残って何になるのだろうか。
だけど、死にたくはない。
別に生きたいわけじゃないけれど。
小型艇に残った最後の推力を出し切って、見つけた貨物船のユニットへと近づいた。
近づいたそれの窓からはオレンジ色の光が見えた。
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