あなたを

どうもこんにちは。僕は不幸者だ。

流れゆく時の中で、どうにも幸せというものに恵まれることがない。歳的には青年過ぎてちょっとあたりだろうか。膨大な日々を記憶しない事で自分の気を紛らわせているというのが今の状況。

一つ、秘密を話そう。僕には生まれた時より他人の死期が克明に見える異能があった。それによって少し事情の込み入った生活を送っている。事情というのも子供の身でありながら、幸せというものがどこにもない虚構であることを知った事が原因だ。父も母も妹も、身近にいる人全てが死を間近にしているのだと気付いてしまってからは、もう簡単だった。苦しみのない世界。望郷。楽園。そんな場所にみんなを連れていってあげたんだ。幸せな時間だけで、最後の記憶が絶望にならないように。一人一人、それぞれの至福の瞬間に、その生に幕を下ろした。そんな幼少の真夏日が全ての起源。そして自分の身近にないのなら、どこか遠くならと興味を抱いたのが全ての始まりだ。血なまぐさく、永遠に幸せが訪れない場所からさよならさせてもらった。僕は帰りたくないし帰れないし帰らない。帰る場所すらも忘れてしまうほど長く旅をしてきた。

ただその地には後日、星の葛が降り注いだ。―――後には何も、残らなかった。


「げぇ……ぐぅぇ……ひゃ、ひゃふへへ……」


只今絶賛老若男女を保護している。嘘だ。監禁している。余命幾ばくなのだからと、種の生存可能性を信じて可能な限り死なない環境に置いている。最低限の食事と衛生状況を提供し、生命力が死を乗り越えられるかどうかの見極めだ。

ここの元主は、地下牢で孤児の鳴き声を聴きながら朝食をすするという卑しい嗜好の持ち主だった。酷い娯楽だ。老婆は物凄く親切だった。まあ僕も身体は子供なわけで、利己的衝動に任せて襲われそうだったので最上級の対応をさせていただいた。城を開け渡してもらって今がある。

この計画を初めてすぐの時には死の間際に紛い物の幸せをくれてやっていた時もあったが、何を成そうと死は覆らない。一度だってこの予知が外れたことは無い。何度も何度も葛藤したその先に、この救いのない救いを知った。


富豪も農夫も聖女も分け隔てなく。小さな檻の中で命を縛られ、涙を流して救いを乞う。ちらりと老婆を見やる。骨まで後薄皮一枚と言ったところか。もうあの偽りに満ちて豊潤とした化けの皮は見る影もない。

―――彼らはすべからく、死期が近かった。

「みなさん、どうもお疲れ様です不幸者です」

諦めたような、廃れた瞳が僕を射抜く。恨みさえもなく、悲しみすらも忘れ去った敗北者の、僕の嫌いなひとみだった。

「貴方達に問う。このまま死んでいいのか」

生きてこそ、人だ。生きている限り人は生きるためにもがき苦しみ鳴き喘ぐ。生きていることを認識できないで、何が人生だ。僕にとって、この生活がまさにそれだった。諦めて、くれるなよ。

僕は期待していた。後二秒で消える命の塊が、息を吹き返してくれることを―――

「―――それでも君達は、縦に繋がる糸の一席なのかよ!」

叫んで数秒後、様々な死因で全員、死んだ。

それぞれ飢餓とは全く関係のない死。細胞剥離、血流圧迫、脳萎縮による植物死など。死因が特定出来てしまう自分に心底腹が立つ。

唯一人残ることもなく、揃いも揃って枯れ果てた。

「―――アっ、ァアあぁぁあああぁぁぁああ!」

幾度も繰り返し、その度に絶望し、今度もまた誰一人として救えない。

地下を出て、街へ繰り出す。脇目もふらずに遠くまで。屋敷のメイドと愛を交わす約束をしていたので、予定の場所まで全力で走る。彼女ならばきっと、運命を変えてくれると信じて。

凍えるように寒い。でもこれでいい。温度など、とうの昔に捨て去ったから。


          ✽


雪に埋もれたアスファルトが、くぼんで顔を出す。

薄暗い路地で二人、いつもの主従関係を超えた世界で通じ合う。ここにはきっと誰も来ない。年が終わりを迎える日のもう夕闇に、こんな日陰で過ごそうなんて気まぐれ屋さんはいない。彼女はいつも、この刹那は時間を忘れるほどに幸福だそうだ。

「愛してるよ、サラ」

「わたしも…んっ」

彼女は元主にとらわれていたひとりで、助け出してからは僕を神か天使かのように盲信している。憂いの表情、体の見せ方、全てにおいて完璧なメイドだった。悪い気はしなかったから、ずっとそばに置いていた。

「君が僕に仕えてくれてから、ちょうど三年が経つ。もう、自由になるべきだ」

「いえ、私を、どうかおそばに置いてください。ほかに何もいりません。このまま凍えて死んでしまっても、貴方と一緒なら」

涙がふわり、黄土色に揺れる。白い欠片が入る隙すらも、僕ら二人の間にはない。

きっと彼女は、この瞬間が、とてもとても愛おしいのだろう。

「うん、ありがとう。どうかこの瞬間に、君に言わせてくれ。いいかな」

でもきっと、彼女の見ている景色は僕のそれとはかけ離れていて、その距離がとてつもなく遠い事にいつも張り裂けそうな痛みが迸る。そう、何故なら彼女は今日、その命を散らすことになっているからだ。

「うんっ」

色のない風が、真っ白な景色を少し茶色に染めた。

「目を瞑って」

世界最高の笑顔だ。幸せだ。綺麗だ。美しい。この無垢な存在を、僕は未来永劫、守っていくんだ、なんて

「―――さよならだ、サラ」

どっ、と、空から何かが降り注ぐ。岩雪崩。壁に叩きつけられるとサラは中身を吐き散らした。

鈍い音が鉄に反響してこだまする。誰も聴くことのない音。誰も助けに来ることのない場所。

「―――やめろ、やめろよ、聞くな」

悪夢を見ているようで、永遠に覚めることのない夢であることがはっきりとわかる。

今度はーーー助けなど来ない、と。自分にも、サラにも言い聞かせる。

「ひっ…や、やー!!!生きたい!わたし、こんな所で死にたくない!!!えぐっ、んぅーうううう!!!」

痛い、痛いですご主人様。無言で無表情に惨劇を俯瞰する僕に助けを乞い、必死に懇願する。しかしその瞳に僕はいない。「ご主人様」なんて幻想は無に帰した。

「なんで、なんでぇ!わたし、死にたくないよぉ!!!出てる……赤いのいっぱい出ちゃってる!」

瓦礫で四肢が粉砕される。

そして彼女は、彼女ではなくなった。

「僕を、恨むといい」

出会わなければ、悲しくなることもないのに。

かつて人であったものは、見るも哀れな化物へと変貌した。上はもはやほとんど肉塊だ。こうなってしまえば可愛げもあどけない笑顔もあったものではない。

「はは、は、はははははっ」

「君の血液で身体が温かい。おかげで凍えずに済むよ。最後の最後で僕の予想外の活躍をしてくれた。よきにはからおう、なんて」

これで不審と疑念に満ちた未来への第一歩だ。この先クソ喰らえな世界に触れて傷付くくらいなら―――今この瞬間に絶望を味わえたことを感謝されたっていい。おめでとう。楽しいなあ。乾いた笑いが止まらない。

救えないのなら、壊してしまったほうが、いい。

ああ、驚く程に寒い。

「どうして」

かすかに、されど確かに僕の耳に届いたのは、小さな声だった。

「どうしてこんなこと…この人は、泣いていました」

目に涙を堪えた赤い少女が、寒空に凍えながらそこにいた。化粧っ気も色気も、手袋もなしで、薄着で僕を通り越してサラにしがみつく。

「え、あ・・・・・・いや、何者だ、君は」

驚愕も甚だしい。生きとし生けるものには全て、終末が存在する。するはずなのに。


少女は既に、その命を終えていた。


「貴方が助かって、本当によかったって泣いてます。嘘なんかじゃないです。心が、胸の中が叫んでます」

赤い篩部繊維が、紅く染まる。売り物だろうか。マッチ箱の入ったカゴを置いて、必死に抱き締める。僕が、怖くないのか。

「いやあ違うでしょ。信じてたのに裏切られて、抵抗したくてもできなくて、ただ悔しくて痛くて涙が出てしまう。生きたくて生きたくてしょうがなかった。自分本位の動物らしい死に様だった。人間の心は叫ばないし声も出さないよ」

どうせなくなる命。失われる快楽は幸せなんかじゃない。生きていることこそが幸せならば、寿命なんてのはまやかしだ。結局僕らはどこまでも―――本当の幸福に巡り合うことが出来ないんだ。

「無理、しないでください」

――――――は?

「貴方は、もう十分に苦しんでるじゃないですか」

喧噪も、排気音も、無い。ここは閑散とした閉鎖空間。僕は、何を言われたんだ?

「一人で、泣いてるじゃないですか」

涙など一滴も流れてはいない。同情される謂れなど、こちらには塵ほどだって存在しない。心の臓が脈打つ。冷めかけていた熱が血を媒介して沸き立つ。息が、動悸が止まらない。

「何が、わかる。誰も知らないところで尊い命が消えてしまって、なんの罪もない人が殺されて、それで大多数は知らんぷりしてまがい物の幸せを謳歌する。彼女だってそうだ!」

成人すれば本来の家督を継ぐ。そう信じて今日、彼女は遠くへ帰る予定だった。だが少女を売りに出すような家の内情だ、もう彼女の家に、思い描いた理想はない…だから、僕が壊した。

「幸せな瞬間から、死の淵に落とされる人の気持ちを、心の叫びを聴いたことが、あるのかい?僕は壊して奪って否定し続ける。間違った道を、破壊する」

そこまで口を滑らせて、愕然とする。見ず知らずの少女に何を言っても理解できるはずがないのに。

「・・・・・・優しくて、不器用なんですね」

あわれむような言葉に、自分の存在を取り戻す。はやる呼吸を抑え、その小さな身体へと刃物を突きつける。

「ぼくはさ、とっくにこわれちゃってるんだよ」

少女はうろたえない。その眼は燦々と強い輝きを帯びて、同時にかよわい妹を思い起こさせた。

それが僕の、数十年ぶりの激昴に繋がった。

「何の罪もない人にたくさんしたように、思いつく限りの暴虐を尽くされて、それで君は死んでも構わない、と―――?」

少女は僕の背中に片手を回す。冷えきった細い手が、少しずつ互いの体温で溶け合っていく。サラよりも小さく、体験したことのない無邪気な抱擁。打算も歯止めもない、ただの抱擁が、理解不能。

「わたしは、この日に何かをしたかった。不思議と、予感がしたんです。今日、やらなきゃいけない事があるって。こんな身体でもう、残された時間は、少ないかもしれません。自分のためです。だから、貴方のしたいようにして、いいですよ」

命の象徴のリズムが、未知の恐れとして襲い来る。

とても、とても不愉快だ―――

「強がるな。絶望しろ。許しを乞え。僕に、これ以上希望を持たせるな」

何度も引き剥がそうとするが、離れない。悲鳴を押し殺した様子もない。むしろ瞳が輝きを増している。

「わたしにできること、これくらいです。絶望なんてしません。貴方のすべてを受け止めます。わたしは、この命を貴方の為だけに燃やし尽くします」

その言葉を聞いたとき、初めて自分の意思で、

「ほら、こんなにも、温かいんです」

僕は、心の底から願った。

彼女には、僕の手で悶え苦しんで果てて欲しい。

偏愛だろうが狂気じみていようが構わない。

とうに僕はこの命を、、濁りきったこの手を、拭うことを許されない。

「貴方に、本当に笑ってほしいから。ずっと笑ってます。貴方を救う事が、神様からのお告げだったのかもしれない」

どうせ、逃げ惑う。恐怖に震え、飛んで逃げる。

少女に向かって慟哭する。儚く、脆いその手首、第一関節を掴んで叩き折る。今まで壊したどのカラダよりも柔く、矮小であった。べきぃ、と音を立て、骨が小枝のように割れた。ここでまたもや誤算が発生する事となる。

「ごめんなさい・・・・・・痛く、ないですか?」

全くと言っていい。一切の苦痛を浮かべない。その言葉には、強い意志―――無償の愛に似た響きが込められていた。

「こんな幕引きの、何が楽しいんだ」

「楽しいとかじゃ、ないです。ただのお願いです」

依頼と来ては、もう断るも何もない。いつものように、終を捧げよう。

「私を、終わらせてください」

もう何も遠慮はいらなかった。その場にあったありとあらゆる道具を使って彼女の身体を弄んだ。伐採し、鉄槌し、突き刺し壊し有り得ない方向へと手足を曲げる。それでも少女は決して怯んだりはしない。

愚直にも、まだ笑っている。そこで冷静になって気付いた。彼女の手のひらが、ほんのり赤めいている。あれは―――マッチ?一本、灯火が点く。

「きっと、さびしか……ゴフッ、。わ、たしもそう。ぶぅ……みんな、と違ってて、ケホッ、ぇ…でもみんなと一緒に、誰かが言ったこと、ずっとそれしかできなくて、っ……辛かった、ね」

「―――うるさい。もう、黙れ」

口が切れ、肺も胃も到底手遅れな段階に来ているはずなのに、少女はさっきのまま、いや、どんどんその瞳に灯火を燃やす。

「だ・・・・・・誰ひとりとして、私の話を聞いてくれる人なんていなかった。ずっとずっと、怒られ無視されて…でも、あなたはわたしと、こうやって話してくれます」

どれだけか弱く揺らめいても、それは決して吹き消されたりしない。少女が言葉を紡ぐ度、火は小さくなれども明るさはどんどん貴さを増していく。

「どれ、だけ痛くても、許しを乞いて楽になりたくても、やめません。嬉しいんだから」

僕は、後ずさった。怖い。年端もいかない少女の覚悟におののいた。黒真珠のように大きな眼が、最後の力を振り絞って奮い立つ。

「大丈夫です。わたしはあなただけを見て、あなたの為に死にます。心って、喜びや悲しみ、怒りとか、いっぱいあるから、だから」

「あなたを、あなたを・・・・・・」

「うるさいんだよっ!」

無意味だ。無味乾燥している。僕の耳にはノイズにしか聞こえない。こんなものは唾棄して然るべきものだ。

それでもまだ笑っている。僕も目を逸らすことができない。たとえ世界の悪意に飲まれようとも、この子の情熱とやらは、きっと消せはしないんだろうなあ。 だから最大限の敬意を込めて、この子のいた証を、自分に刻みつけよう。終わらせることなんて許さない。

「わからない」

「君の心が、何一つわからない。」

迷い星が夜空を飾る頃。どれだけ痛めつけたのか、幾星霜は、光の速さで過ぎて行った。そうーーー

気が付けば彼女は死んでいた。

名前も素性も、何も知らない女の子が、僕一人の為だけに死んでくれた・・・・・・その事実を受け入れるのは至極難しかった。

僕の全てを、受け入れてくれるのではなかったのか。

先に、自分だけ、幸せになった微笑みで。君は、どこへ行ったんだ。

その時、初めて後悔した。

もう一度、彼女に微笑んで欲しい。

もう一度、僕のわがままに付き合ってほしい。

もう一度だけでいいから、僕を助けて欲しい。

ああ、愛している。壊れてしまうほどにこの気持ちが叫んでいる。もう一度、抗って見せてくれ。

「もう一度、僕を」

この僕を、幸せにしてくれ。

咬み殺すように、嗚咽する。震える手を精一杯握り締める。

でも……もう傷つける理由も方便も、湧いてこないんだ。

あとには、亡霊と抜け殻だけが残った。


「僕は、これから何処へ行けばいい」


「どんな代償を払えば、君のところへ行ける」


葛藤も慟哭も意味はないーーー命は一度きりと、何度も見てきた季節の中ではっきりわかっている。それでも消したくない。消えていかないでくれ。押しつぶされそうな虚無感に、胸を抑える。

―――お腹のあたりが、温かいことに気がついた。

ほんのわずか燻っていた灯火が、冬空の満天を覆い隠す。そこには確かな「幸せ」が芽生えていた。


麗らかで温かな世界。争いや諍いのない笑顔の世界。

小さな部屋の窓辺から覗き込んだそこは、ありとあらゆる汚れた理不尽、過酷を置き去った場所で、

クリスマスパーティの真っ最中だった。

おばあさんもおじいさんも、おとうさんもおかあさんも、今まで僕が壊した人たちも救った人たちも遠い彼方に消えてしまった感情も、色褪せることなく全てがそこにはあった。何もかも朽ち果ててしまったというのに、このまどろみが、羨ましくて仕方ない。

一本一本、また一本、マッチから、夢があふれる。

僕は、もうそこには戻れない。それでも・・・・・・

「おにいさん」

彼女の声が、まだ聞こえるから。

「おいしいごはん、きれいなどれす」

やりなおせるかもって、思えるから。

「きらきらのつりーに、おほしさま」

壊れそうな夢を、まだ優しく抱きしめてくれているから。

「なかよしなともだち、やさしいおとうさん」

昨日も今日も明後日も、変わらず信じ続けるから。


「そしてわたしのいちばん、たいせつなひと」


彼女の真っ直ぐで真摯なひとみが、再びこっちをみつめる。

「あったかい、あったかい。―――わたしをひつようとしてくれたおにいさん。わたしを、みてくれたたったひとりのおにいさん。またあえたら、こんどはいっしょに、なれるといいな」

それは、可能性の世界。ありえたかもしれない世界。願い続ければ、信じ続ければ叶った未来。現実と照らし合わせればひどく写実的ではなく、幻想だと吐き捨ててしまえるような微かな希望。それでも、一瞬たりとも目を離せない。

「全部・・・・・・君のせいだ」

ひび割れていたのは世界ではなくて、自分自身であったことを強く思い知らされる。君に出会わなければ、僕は盲目な不幸者でいられたのに。心の内を余すところなく吐露してされて、まるで恋人のようじゃないか。

「さいごのときに、おっきなつりーのしたで、あなたのあしおとを、いつまでもまっています。だから、どうかおねがいします」

「つぎは、あなたをーーー」

そこで、非常にも灯火は光を絶やした。

また何度も燃やそうと擦ってみるも、ただの一度も火は点かない。ぐしゃぐしゃな彼女はもう、瞼を開けてくれない。

「き……」

彼女の身体に触れる権利など、僕にあるはずがない。

代わりにその頬を、一筋の滴が伝っていった。

「君はどうして、笑うんだ」

そんなにも、きれいに通った顔つきで。

「君はどうして、泣かないんだ」

あんなにも、痛めつけたのに。

「君はどうして、無駄な努力をするんだ」

叶うはずのない、虚構なのに

「君はどうして、夢を見るんだ」

届くはずのない、夢物語なのに。

「君はどうして、こんなにも僕を不安定にさせるんだ」

たった一度の命を、僕なんかにくれたんだ。

「君はどうして、答えてくれないんだ」

答えが出るまで、僕は君から離れないーーー

答えは出ない。彼女からわかるのは、消失だけだった。


          ✽


彼女を引き摺って、街に乱立するクリスマスツリーに向けてゆっくりと進む。彼女はまだカゴのマッチを手放さない。影道に紛れ込んでいるから、僕らは誰の目にも止まらない。待っていてくれるというのだから、見つけてやるのは僕の義務だ。

街はきらめき、雪は笑う。葉っぱ一枚すら残らない枯れた木が、吠え嘆いている。

しんしんと降り積もり、雪の花になる筈のそれは、誰の目にもとまらず朽ち果てていく。

きっとこの少女も、誰にも相手にされることがなかったのだろう。

星の灯りはとめどなく、飽くる間も無く僕らを照らす。君は誰だ、君はどこに。何もわからなくても知らなくても君がここにいなくとも。僕は君に十分すぎるほど貰ってしまった。

セピア色に刻まれていく毎日に、ただ一つ差した光の色を必ず見つけ出す。

時計の針は進む。早く、早く行かなくちゃ。

「おい、なにか臭わないか?」

周りがだんだんと喧騒に包まれるうちに、雪景色に似合わない紅が目立ってくる。ああ、もう真ん中の巨大ツリーまできたんだ。そりゃあこんな神聖な日に赤一色じゃ、目を引くよな。あんた達幸せ者は、同じ赤一色のこいつに目もくれてやらなかったんだろう?

「そういえば、あの時もクリスマスだったかな」

妹と二人で、幸せそうな子供達のフリをしたときも、クリスマスツリーは大きかった。忘れてしまった事が、いまさら思い出される。許してくれよ。僕はちゃあんと、最後の瞬間までこれを欠かしたりしない。

「メリークリスマス。僕の最初にして、最後の理解者さん」

待っててくれると言ったのに、どこにもいやしないじゃないか。当たり前だけど、君の事だからちょっと期待してたのにさ。

「この、バケモンがぁ!!!」

 傲慢な大人たちは、血の臭いを嗅ぎつけるや否や、圧倒的な暴力で僕をいたぶった。この痛みは冥途への供物に丁度いい。

大切なものを壊された人間は、壊した因果そのものを破滅へと誘おうとする。僕が壊した人々は救われないけど、せめてもの償いに、この魂を死神に売り渡そう。

「―――はは、今わかった。ねえマッチ売りさん。バッドとハッピーって、当事者にしか決められないんだね」

ようは気の持ちようで。最後の瞬間だけでも、幸せを見つけられたのだから、後悔はない。立っていられなくなり、彼女に触れてしまう。人の体と認識するにはどうしようもなく、柔らかかった。最後の力を振り絞って、マッチに火を点け後方へと放り投げる。

瞬間、豪炎が木々を包む。まるで光のような刹那、僕らの周りを黄昏が隠した。

ツリーが燃え盛る。さながら燦々と煌く聖煌のように。そよぐ風が火を高く高く巻き上げる。きっとこの火が消えることはない。確信めいたものがあった。僕がいなくなるその時までは、付き合ってくれるかな。

雪が溶け、水溜まりになる。たゆたう水面に映る自分はいつまでも成長しない姿で、幼い子供のままだった。

幸せ香るツリーの下で、

僕らは永遠の炎に包まれる。永遠の雪が降りしきる。

星に見下ろされながら、ささやかな愛を交わし合う。この息が出来ない幸せは、風にさらわれることなんてないだろう。彼女の鼓動は、とても懐かしい音がした。それはいつの日か忘れてしまっていた、妹の心音によく似ていたからかもしれない。

雪で服が張り付き、互いの身体が溶け合うような感覚。

冷たい彼女に抱擁し、欠けることない幸せを味わいながら―――僕は、最後に彼女が言いたかった事は何だったのか、思い返していた。


「おにいさん」


―――ああ、迎えに来てくれたのか。ありがとう。でも悪いけど・・・・・・きっとそっちにはいけないから。


そっちは幸せかい?君は、幸せにな。―――僕は、幸せだよ。最後の最後で、報われた。もしもう一度、寒空の下で出会えたなら・・・君に、また伝えたい。


ほら、今夜は特に星が綺麗に映える。




「あなたを温めることを、許してください」

               

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