第8章

第587話 ワンタイム

 成れ果てた者と、未だに成れ果てず地上に戻る者。

 その外見的差異はどこだろうか。

 目つきが違う。纏う魔力が。或いは吐く息が。そのどれもが正解のようでいて個人差の域を出ない。

 明らかに異常な域まで順応を進めていながら、結局は成れ果てなかったブラントの様な例もある。

 あそこまで行くと地上では苦痛を感じたり、眠れなかったり、食べ物の味がわからなくなったりしたのではないか。

 僕がそうだったから。

 とはいえ、成れ果てとそうでない者は互いにそれを嗅ぎ分ける。不思議なことにこれを間違えたことはない。

 深く潜れば潜るほど、成れ果てにしか会わなくなるのでこれからはほとんど無用になる選別眼が、目の前に現れた女四人組を成れ果てだと告げる。

 

「待った」

 

 先頭の女戦士が警戒を解かないまま、口を開いた。


「戦闘の意志はない。交渉がしたい」


 目の奥には闘争を求めて爛々と光りながら、更なる戦闘の為にそれを抑え込んでいるのだ。

 前衛のノラは振り返りもせずに背中で語り掛けてくる。

 どうするのかと。

 魔物たちとの戦闘を挟みながらも、スルスルと降りてきた地下三十階で僕たちの足を止めたのは思わぬ人間らしいやりとりであった。

 僕もコルネリを抑え、魔力を練りながら言葉を探す。

 思えば迷宮に立ち入って、いや二人で迷宮に向かったときから無口なノラは一言も口を利いておらず、久しぶりの発声に僕は思わず緊張した。

 緊張の上で発した声は上擦り、大変に恥ずかしかったのだけど、そういった感情は地上に捨ててきたのだから、頬が熱くなるのは鉄火場に面する緊張故だろう。


「交渉、ですか。用件をどうぞ」


 僕が促すと、女戦士は仲間を少し後ろにさげ、自らはノラの間合いに入ってきた。

 もちろん、成れ果てなのでどんな隠し業があるのか知れず、額面通りには受け取れないのだけど友好的な姿勢を示されたのだからこちらとしても友好的な姿勢を返したい。

 と、女戦士は自らの仲間たちに目線をやった。

 離れている三人は前衛が二人、後衛の盗賊が一人という構成だ。


「端的に言って、アンタたちと組みたい。仲間になってくれないか?」


 迷宮の中で成れ果てた者たちは仲間に欠員がでると、新たに落ちて来た者を勧誘し、仲間に迎えることがあるのは知っていた。

 恐らく、彼女たちもその口なのだろう。


「私たちがこの階層で足止めを食って長い。そろそろ進みたいんだが、打撃力が不足していてな。アンタたちなら問題なさそうだ」


 確かに、彼女たちの魔力内包量は成れ果てになったばかりの僕やノラよりも低い。

 おそらくは一緒に落ちてきた仲間を失い、この階層の魔物と戦力が拮抗してしまったのだ。

 こうなると、一階層を降りるにも長い時間が掛かる。

 それなら打撃力の期待できそうな者を取り込んで、見えない壁を打ち破ろうと思ったのだろう。

 事実、リーダーなのだろう女戦士は熱い視線をノラに向けていた。

 

「僕はいいんですけど、実は僕たちにはパーティを組む予定がありまして、そちらと合流するまででいいのなら」


「わかった。交渉成立だ」


 僕としても前衛が一枚きりのノラと二人歩きを続けるよりは前衛が増えて気楽だ。

 しかし、魔物と言っても人間の成れ果ては知性がある。

 人間崩れとこうやって話をするのも、これが初めてという訳ではなかった。

 もちろん、その大半は相手が簡単に倒せないと思うからこそ対話を始めるのだ。

 女性四人組の目は、ノラの雰囲気と物腰に警戒すべき価値を見いだしていた。


 ※


 前衛にノラが入り、後衛は僕と盗賊、それに前衛から下がった屈強な女戦士が並んでいた。 

 

「いや、本当はうちにも魔法使いがいたんだけどさ」


 盗賊が指先で小さなナイフを弄びながら口を開く。

 周囲にはイノシシの様な大きさのネズミが七匹、切り裂かれて転がっていた。

 地下一階にいる大ネズミが順応を重ねた魔物だろうが、こちらも流石に成れ果て揃いだ。

 戦闘は危なげなく終わっていた。新しく組んだ四人も流石に地下三十階を彷徨っているだけあり、しっかりと人間離れをしていた。

 ただし、膂力も技量もノラには及んでおらず、周辺の魔物を圧倒できないのは事実の様で、大ネズミとの戦闘もノラの個人技を切っ掛けに切り崩していったのだ。

 

「別のパーティが魔法使いを欲しいって言ってきて、そんで本人もそっちの方が強いからって、移籍しちゃったんだよね。アタシら、そっから真っ直ぐ落ち目よ。でも、アンタたちは腕が立ちそうだし助かったわ。こっから持ち直して、アタシらももっと深く潜るんだ」


 迷宮の魔物はより深い層に行くことを最大の目的として行動する。

 一つ深く潜れば、そこは上の階とは別世界で敵も強いが、順応が進んで自らもどんどん強化されていく。

 たとえ、そこまでを一緒に歩いてきた仲間であっても決別すれば下層へ行けるのなら、別れる。そんな選択もあって当然だろう。

 ちょうど僕とノラも家族を捨ててきたばかりだから会ったことのない魔法使いの気持ちはよくわかった。

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