第586話 首投げⅨ
いろいろあった一日だった。
僕はグッタリと疲れながら家に戻る。
見上げれば、空には星が光っていて、家に近づくほど暗くなる帰り道の途中では圧迫感を感じるほどに綺麗だった。
ムーランダーもあの様な星の一つからやってきたのだとハリネに聞いたものの、それに続く説明はいまいちよく分からないままだ。きっと、この世はよく分からないことだらけのまま、皆が去って行くのだろう。
と、家の手前に置いてある作業用の椅子に人影が一つ。
「おかえりなさい」
僕を待っていたのはネルハで、旅装をして大きなカバンを持っていた。
「あれ、どうしたの?」
言ってから気づく。
僕は彼女と大事な約束を交わしていた。
「夫の仇をとってくれたそうですね。それにエランジェスも。そのお礼を言いにきました」
いつか、ガルダの仇であるブラントを殺してくれ。それがネルハから商会株を譲られる条件だった。
そうして一度はグランビルに倒されたブラントをなんの因果か今日、僕たちがまた死に追いやったのだ。
ブラントもエランジェスも、人前で倒したのだから彼女の耳にも入るだろう。
そうして、彼女は僕を待っていた。
「家に入って待っていてくれたらよかったのに」
ルガムだってネルハを追い返したりしないだろう。
しかし、ネルハは首を振ってほほ笑む。
「もうこの街に思い残すことはありません。が、奥様などに優しくされると決心が鈍りますので、外に居ました。ここで観る星空も最後かと思うと、退屈もしませんでしたし」
言葉と恰好から、彼女の行動は一つだろう。
「どこへ行くの?」
「故郷へ帰ります。もともと、ここに来るのも自分の意志ではなかったので。とはいえ、無駄だったとは思いません。今となっては私の人生において重要で必要なことだったんだと思えます。夫が残してくれた財産もあるし、習い覚えた知識もある。故郷で商売でもしながら、子供たちに勉強を教えて暮らしたいと思っています」
僕と同じく西方領の奥地から連れてこられたネルハは、無教養ゆえに蛮族と呼ばれる出身であるのが嘘のように、淑女然として落ち着いた物言いをしていた。
「でも、もう夜だよ?」
僕の様に迷宮に馴染んだ者ならいざ知らず、普通の旅人は夜行など絶対にするべきではない。
転んで骨でも折ったら、あるいは足を挫くだけだってその後の旅に差支えが出るからだ。
「ええ、でも今夜の内にとりあえず街は出ようと思いまして。故郷までは用心棒を雇っていますし」
彼女が視線を向ける方を見ると、暗闇にクォンが立っていた。
元々はガルダに取り込まれ、ガルダ商会の用心棒頭を任されていた盗賊だというが、ガルダの死亡以降、どこかで離反するタイミングを計っていた節もあった。
遅かれ早かれ、僕の元を去るだろうと思ってはいたが、それが今夜なのだ。
「会長、俺も以前からもっと西の方へ旅をしたいと思っていましたんで、ネルハの奥さんを送ってからそのままずっと西へ行きます。お世話になりました」
言うほど、僕は彼の世話をしていないし世話になったりもしていない。
むしろ、僕の代になってからのガルダ商会は一緒に北方へ行ったグェンとシアジオが主に纏めているのだ。
彼はガルダと一緒にガルダ商会を盛り上げた立役者にもかかわらず、ガルダにもガルダ商会にも常に冷たい視線を向けてきていた。
それを望まれて、重役を任されていたのだろうが、本人としてはずっと不本意だったのかもしれない。
「うん、ありがとう。こちらこそ助けられたよ。ネルハをよろしく頼む。帰って来たくなったら、いつでも戻ってきてよ」
その時に僕がいるかは別にして。
ネルハたちはまず、南の港街へ向かうつもりだと言った。
南への道は北方難民を用いた大量動員により、夜間でも歩けるほどに整備が進んでいるらしい。クォンが同行するなら、ネルハも心強かろう。
挨拶を済まして去る二人を見送ると、待っていたのだろう。眠った子供を抱いた小雨が出て来た。
「ノラさんが墓地で待っているそうです」
つまらなそうに呟いて、僕の先を歩きはじめる。
我が家を目の前にして、しかし玄関もくぐらずに僕はそれについていった。
小雨と、その子供。僕の三人は無言で歩き、やがて墓地に辿り着く。
昼間、グランビルが一部を壊した屋敷を眺めながら、墓地の入り口に立つノラを見つけた。
左の腰には刀を差し、右手には革袋を提げている。
「ノラさん、連れてきましたよ」
小雨の言葉に振り向いたノラは、苦そうな表情を浮かべていた。
「用は済んだ。行こうか」
ただ、まっすぐに僕を見つめて言うのだが、用とはなにか。行くとはどこへ行くのかなど聞くまでもない。
彼の向かう場所とは、究極的に一つなのだ。
「じゃあ行きましょうか。今からでいいですか?」
僕も何もかもを置いて、そう答える。
ノラのことは好きではないが、今の状況から一も二もなく連れ去ってくれるのなら、或いは彼だって救世主かもしれない。
結局、考えたって手を尽くしたって、どうやっても悔いは残る。
問題も全てを解決できると思い込むほどに傲慢ではいられない。
ベリコガやネルハたちの様に自らの意志で一歩目を踏み出せないのなら、状況に流されるのだ。
今までもそうやって来た。
元より、いつ帰らなくなるかもわからないヤクザ者だ。
財産については法律家を雇って手配しているので然るべき期間、僕が戻らなければ家族に割り当てられる。
教授騎士の頭目だって誰かが好きにやるだろうが、個人的にはヒリンクあたりがやるのが案外と向いているのではないかと思う。
しかし、何もかも僕がいなくなった後の人々で決めて貰わねばならないのだ。
「ノラさん……それでは」
小雨はそう言うと、ノラに口づけていた。
「ああ、苦労を掛ける」
ノラはそう言うのだが、小雨の表情は重く沈んでいる。
しかし、その儚げな横顔を見ていて不意に思い出してしまった。
僕はこの女に殺されかけたことがあったじゃないか。
「小雨さんは、いいんですか?」
迷宮に潜って帰らない。
それは新人からベテランまで等しく起こりうることとはいえ、今回は明確な片道行になる。
死ぬまで潜るのであり、生きて帰ってきたりはしない。
「嫌に決まっているじゃないですか」
小雨は即答して僕を睨む。
「それでも、引き留めることは出来ないから、せめて見送るんです」
「じゃあ、ノラさんが戻ってきてくれたら嬉しいですか?」
「当り前です!」
目に涙を浮かべて怒ったように言う小雨は、かつて怪物だった頃からすっかりと人間らしくなってしまったのだ。
人間性を引きずり出し、ありきたりな苦痛を感じさせるという僕の復讐も成ったと言える。
しかし、同時に僕の方は人間から怪物に変貌してしまっているのだ。
良いも悪いもない。そういうものだ。
「じゃあ、ノラさんの目的が達成されたら、僕が連れて戻ってきますよ」
僕の言葉に、怪訝な表情を浮かべたのはノラだった。
僕たちは順応を進めすぎて、迷宮に飲まれるのだ。
深みに嵌れば帰っては来られない。それが摂理だとは僕も思っている。
しかし、出立の今になってやはり思うのだ。
帰る場所がない旅路はツラいと。
小雨が目を真っ赤にして僕を睨みつける。
「本当ですか? 約束を破ったら、殺しますよ」
果たされることのない約束だと、おそらく彼女も知っていながら告げた。
しかし、戻ってこないときに殺される僕はここにいない。
迷いのない旅立ちではない。後悔はついて回るだろう。
そうして、もしかすると地上に戻れる奇跡があるのなら、ぎりぎりで判断に迷ったとしてもそちらを選べるようにしておこう。
口約束だけど、どこかで僕を地上につなぎ止めるのはそういったものなんだと思った。
「約束は出来んが、努力はする」
ノラが鼻息を強く吐いてから呟く。
その胸に小雨は額を擦り付けてすすり泣き始めた。
「努力でもいいです。ずっと待っていますから!」
ひとしきり小雨が泣いた後、ノラはガルダとカルコーマが埋められた墓前に立ち、革袋の中身を取り出す。
思った通り、ブラントの首だった。
魔力で弄られて溶けてしまった体と違い、頭部はいくらかまともに形を残している。
「オマエたちの仇は置いていく。さようなら」
ノラはブラントの首をヒョイと中空に投げると、それを追う様に抜刀して振り抜いた。
高度な魔力の運用を伴う一撃に、生首はパンという破裂音を残して粉々に砕ける。
小麦粉の様に細かくなったブラントの破片が風に舞ってどこかへ飛んで行った。何も残さず、綺麗に消えるのもブラントらしいかもしれない。
「さて、行こう」
ノラが歩き出し、僕もそれを追う。
墓地から離れても小雨は見えなくなるまでこちらをじっと見ていた。
と、コルネリが置いていかれてなるものかと振ってきて僕の背中に張り付いた。
コルネリは僕の分かちがたい半身なので、連れていくのだけれど、他の人にはもう二度と会えないかもしれない。
アルくらいは一号と合流すれば会えるだろうか。
あるいは後から迷宮に落ちてくれば、シグなんかにも再会が叶うものか。
夜はすっかり深い。遠くから喧騒は聞こえど、それは街の寝息だともいえる。
この街で眠るすべての愛する人たちと、愛してくれる人たちの幸福を祈りながら僕は迷宮へと足をすすめるのだった。
迷宮クソたわけ イワトオ @doboku
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