第581話 ブラント
歓声が上がり、切り離された下半身が崩れ落ちていく。
「ヒョークマン君、逃げて!」
とっさに叫んだ僕の言葉が届いたか、本人の油断の無さ故か、地面に落ちながら放たれたブラントの一撃をヒョークマンは斧で打ち返した。
しかし、足場の悪さと威力の大きさから、大きく弾き飛ばされて建物の壁に大きな穴を空ける。
ブラントの側と言えば、衣服ごと元通りの人型に戻り優雅に着地していた。
ブラントは朗らかに笑いながら肩を回す。
「ふむ、どうせ体の命令系統がヘンテコなのだから、いっそのこと怪物にでもなろうと思ったのだが、やはり慣れた体の方が動きやすいものだね」
そこへ数人の有象無象が駆け寄り、攻撃を仕掛けた。
多勢に無勢。常であればブラントはなすすべなく切り刻まれるところであろう。
が、ため息が出るほどに綺麗な動きで全員の利き腕を切り裂き、一息で無害化していた。
いや、もう一人。前のめりに仕掛けた連中の背後から飛び出したのは猫の獣人、サンサネラであった。
短い曲刀を背に隠し、間合いを詰めると迎撃の突きをルビーリーのナイフで弾く。
全く体勢を崩さないブラントが、次の攻撃を繰り出すよりも早く、背後に回した手は曲刀を掴んでいた。
しかし、それも惑いを誘う動きでしかない。
ブラントの視線や注意が目視出来ない背後の脅威に向けられた瞬間、サンサネラの長い脚がブラントに向けて伸ばされる。
「やあ、君とは一度手合わせをしたいと思っていたのだよ。機会に恵まれてよかった」
ブラントはサンサネラより先に蹴りを繰り出し、サンサネラを蹴り飛ばしていた。
微笑みながら髭を撫で、倒れたサンサネラを見下ろす。
体術も交えた独特の戦い方をするサンサネラの動きが、完全に読まれていたのだ。
蹴りにより内臓を痛めたのだろうサンサネラは血反吐を吐きながら地面を転げていた。
「クソ、他にまともな前衛はいないのか。ディドか、グリヨンの弟子だったアイツ。こんなに騒いでるんだから、顔くらい出せよな!」
ボルトは喚きながらも、魔法を発動する。強烈な閃光と爆発音が鼓膜を叩き、思わず目を背ける。
一瞬の後、目を開けるとブラントは黒焦げになって遥か後方へ弾き飛ばされていた。
おそらく、強力な雷を発生させる魔法で、直撃すれば人間などバラバラになってもおかしくない。
これも完全なオリジナルの魔法だろう。流石に、教授騎士を務めるだけあって、引き出しの底は深そうだ。
相当な威力の秘術を受けて、しかしブラントは何事もなく立ち上がる。
『傷よ、癒えよ!』
僕は回復魔法で周囲に倒れている連中を治癒させる。
ボルトの秘術に巻き込まれれば、全員死んでいてもおかしくなかったが、どうやったものか、ブラント以外に直接的な被害は与えていなかった。
「むう、アッシがまさか蹴り合いで負けるとはね……」
血を吐き捨てながら立ち上がるサンサネラは、忌々し気に呟く。
それでも戦闘を放棄するつもりはないらしく、僕の前に立ってくれた。
しかし、改めて考えるまでもなくブラントはそういう男だ。
おそらく、純粋な体術ならサンサネラの方が優れている。
だが、相手の長所をうまく殺しながら、自らを上回る敵からも勝利を引き寄せるのだ。
そうやって戦うブラントの前に、強力な力を持つ者たちも敗北を喫してきたし、僕は彼のそんな面を恐れていた。
あるいは、持たざる者に落ちた時から、他に選択肢はなかったのかもしれない。
ブラントは臨機応変にやり方を変えても目的地を変えることは決してない。
だから、彼はどの道を通っても、今日のこの場所に辿り着いていた気さえする。
これが俗に言う運命というのか。
そんなもの、普段は考えもしない僕の背中に汗が流れる。
考えた端から否定を重ねていく。運命なんてあってたまるか。
そんなものがあったとすれば、あまりに報われない。
「サンサネラ、ボルトさん。もう少しで倒せますよ」
深く息を吐きながら、僕はブラントの内包魔力を確認する。
それ程、大したものではない。ブラントが暴れはじめた時とは比べるべくもない程に残存量は激減していた。
ブラントは飛んできた矢を無造作に払い除けると、再び打ちかかってくる連中を最小限の動きで切り倒していた。
「さて、市民の皆さんも避難はおおよそ終わった様だね」
通りを見回して、ブラントは言う。その表情には少しだけ、疲れの色が見えた。
それでも、勢いよく激を飛ばす。
「ほら、頑張って私を倒してみなさい。一躍英雄だ!」
人の心に熱を灯し、人を操る妖怪。
それがブラントの正体といっていい。
今、また背を押される様に飛び出した数人の戦士たちがあっという間に返り討ちに合った。
次いで、魔法使いたちから放たれた攻撃魔法を、ブラントは体の一部を盾に変質させて無効化して見せる。
頼みの綱の魔法とはいえ、初級の魔法くらいだとブラントにとっては簡単に防げてしまう。僕やボルトでもなければブラントにダメージを与えるのは難しい。
怖気づく冒険者たちの背後から、一人の男が近づく。
無言の圧に押される様に、人垣が割れて見知った顔を覗かせた。
「ここにいたか」
低い声で呟いたのは、ブラントに撒かれてあらぬ方へ走り去った剣士のノラだった。
「やあ、見つかってしまったようだね」
諧謔に満ちた笑みを浮かべると、ブラントは取り囲む冒険者たちにさがる様に伝える。
今、討ち取ろうとしている人物の命令など誰がおとなしく聞くだろうか。
しかし、逆らうものは一人もおらず、ゆっくりと冒険者たちは移動し、ノラとブラントを遠巻きに取り囲むのだった。
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