第582話 一呼吸
ブラントの指が変形した細剣はいつの間にか精緻な細工が施された宝剣と化していた。
「ふむ、こんなものか。さて、ノラ君。君とは以前も立ち会ったことがあったね。あの時もこういう風に観衆に囲まれ……あれは遥か昔のことだったか。それとも昨日のことだったのか。あれこれとありすぎて、曖昧な思い出だよ」
輪の中に飛び込んで来ようとした戦士らしき冒険者を剣先で牽制しながら、ブラントは笑う。
魔力の絶対量は大幅に減じたが、まだ動けなくなるほどではないらしい。
ノラに向けたブラントの構えは、教本から抜け出してきたようで美しくすらあった。
一方のノラは、普段の無表情が嘘のように、悪鬼の様な目つきでブラントを睨みつけており、こちらは纏う雰囲気だけで周囲の誰もを遠ざけている。
「ふふ……サンサネラ君とは一度、手を合わせてみたかったが、実のところ君とは二度と戦いたくなかったのだよ。一度しか勝負をしていなければ、君の様な怪物に勝ち越しているという成績を誇りに、私は死ねた」
「口を閉じていろ。一息の間に死なせてやる。邪魔する者がいればその者も殺す」
静かに、良く通る声が場に響き渡り、皆が息をひそめた。
なにかの言動が誤解され、剣を向けられれば生き残れるものはこの場に誰もいないのだ。
ノラのことを知らないはずの、西方領兵や駆けつけた警備兵たちまで異常を察して立ち尽くしている。
街頭で剣を引き抜いた剣士が二人。勝負が始まるのは誰の目にも明らかだった。
ブラントの空いた片手が、優雅に髭を撫でると、それで二人は動き出した。
ノラの踏み込みは苛烈で、閃光の様だった。
上段から斬り込まれると思われた刀はどこで反転したものか、地面から跳ね上がりブラントの股間に向けて斬り上げられる。
しなやかな動きを旨とするブラントは自らの細剣で逸らして威力を逃がし……いや、正面から受けた。
世界を両断せよと振り上げられた刀を、細剣がすさまじい音を立てながら受け止める。
戦闘とは、虚の突き合いである。それはブラントの信条なのかもしれなかった。
しかし、対するノラの信条は果たして。
振り上げる筈の刀が強引に止められ、体勢が崩れる。
だが、膝を着いたのはブラントの方だった。
ノラは剣先でブラントの重心を操って見せたのだ。
低くなったブラントの頭部に膝が叩き込まれ、弾ける様にブラントがのけぞる。
陥没した頭部で、それでもブラントの手はノラの足首を掴んでいた。
ノラはブラントの手を強引にふりほどきながらブラントの上体に一撃。
左肩から入った刃先は右わき腹に抜け、ブラントの体を斜めに斬り落とす。
不定形の魔物さえ斬り殺すノラの斬撃が、あっさりと仇の体を破壊したのだった。
見れば、最初の一撃を受けたときに破壊されたものか、ブラントの両肘はあらぬ方向を向いている。
圧倒的な実力差だった。
勝負を何度繰り返そうと、ブラントがいかに策を練ろうと、十回やれば十回とも勝つ。
ノラの剣戟にはそんな凄みがあった。
水を打った様に、あるいは油を流したように辺りは静かで、ただ自分の鼓動と呼吸音だけがうるさい程に鼓膜を叩いている。
ノラは、邪魔をすれば殺すと宣言した。
しかし、それでも僕は口を開く。
「待った!」
全員の視線が僕に向けられた。
その中には、呆気にとられたノラや、ブラントの視線も含まれている。
「勝負はありました。でも、最後に一つだけ。ブラントさん、何か言い残すことはありますか?」
ブラントの魔力は既に枯渇しており、魔力で命脈を保つ者として、終焉の縁にあった。
今度こそ死にゆく彼の、最後の一言を覚えておきたかったのだ。
前に進み出て、ノラとブラントの横に立つ。
ノラの剣先がこちらに向けられたらどうしようかとも思ったものの、勝負を決するのに十分な手応えを感じているようで、こちらに攻撃を向けては来なかった。
ブラントの体は既に、常人なら即死の攻撃を受けている。だが、不定形の魔物だ。
億劫そうに瞼を動かすと、体内を少し変形したのだろう。
ゆっくりと小さな声を絞り出した。
「どうだい、私はきちんと……ハシャいで見えたかな?」
それだけを言うと、ついに彼の生命は途絶えた。
もともとは死体を原料に生成された怪物であるその体は、ノラやグランビル、あるいはその他との戦闘において破壊されながら更新を続けていた。
もはや元の体が物質としてどれほど残っているものか。
ブラントの体を構成する物質は常の物理法則を思い出したかのように溶け、蒸発し、あるいは崩壊して形を無くしはじめていた。
長く墓守を務めた男には、墓に入れられる物を残すだろうか。
恨みもあるが返し難い恩もある男の最後だ。それなりに思うことはあったが、僕にはやるべきこともある。
「ええと、そんなワケで大乱の首謀者たるブラントを皆さんの助力により討伐する事ができました。勇敢に戦い、命を落とされた方々もいますが、まずは皆さんにお礼を申し上げます。この場にお集まりの皆さんは、間違いなくブラントを討伐した英雄です。だから、大いにその功績を誇ってください!」
未だにシンとしている連中に向かって声を張り上げる。
彼らには今回の出来事を大げさに吹聴してもらい、確固たる事実を曖昧にしていかなければならなかった。
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