第580話 仇敵

 ブラントの体は肥大化しているが、上半身は元の大きさからそれほどかけ離れていない。

 だからこそ、矢や投げ槍でいちいち体勢が崩れるのであるが、地上にあっては不自然な体形や行動のいちいちに魔力を消費しており、急速に消耗していく。怪物になりきろうにも全てを変えるほど魔力は無いのだろう。

 常識をねじ曲げる万能の、あるいは全能の力であろうと、残念ながら魔力を持ってより多量の魔力を補充する事だけは出来ない。

 地上にいる限り、惜しみなく力を振るえばブラントの魔力は枯渇してしまい、生命活動が維持できなくなって死ぬ。それは、もちろん僕もなのだけど。

 異形を気取り暴れるブラントと、まだ人間のうちだと自分に言い聞かせる僕。

 果たして違いはどこであるものか。

 ほんの一瞬、意味のない思考が湧きそうになったものの、吹き消してから現状に集中する。

 

「あれ、先生じゃないですか」


 不意に声を掛けられ、振り向くとそこには随分と見ていなかった顔がある。

 王国直の侵攻軍に於いて最前線に配備されていたヒョークマンであった。

 国王府の直轄軍は西方領軍に敗れたらしいので、敗残兵である。

 しかし、その割には元気そうに胸を反らして立っていた。

 

「フラフラしながら今朝方帰って来たんですけどね。ああ、なんか怪物がいるなと思って来たら、アレはブラント先生ですね。やあ、戦場でも少しだけお会いしたんですよ。ふふ、変わり果てた姿になっちゃって」


 なにが楽しいものやら、ヒョークマンは耐えられないように笑いをこぼして、近くに立っていた新人の戦士に話しかける。

 

「ねえ、その剣を借りてもいいかな?」


 そう言うと相手の返事も聞かず新人から長剣を取り上げた。


「倒すんなら、お手伝いしますよ。いやあ、しばらくは静かにゴロツキの愚連隊でもやろうかと思っていたけど、やっぱりこういうのもいいですね。もう一回冒険者やろうかな」


 その視線の先でブラントは屋根の上に向けて細剣を振り抜いていた。

 轟音が響き、老将軍の立っていた場所ごと薙ぎ払われる。

 

「イッヒッヒ!」


 間一髪で先に屋根から転げ落ちた老将軍は瓦礫と共に地面に落ち、無様に転がって立ち上がる。こちらもなにが楽しいものか、奇妙な哄笑を響かせていた。

 泥だらけのまま駆け出し、ブラントの足下に取り付いて斧を振りかぶる。


「ほら、こっちじゃ!」


 言うが早いか、斧をブラントの足にたたき込んだ。柄まで金属で作られた豪快な戦斧である。

 ほとんど効果はなさそうだが、満足そうに斧を手放した。どうやら、斧でこれ以上攻撃する気はないのだろう。腰から大ぶりの刃物を引き抜いて構える。

 そこに、同じく駆けだしていたヒョークマンが走り込んでいた。

 安物の長剣を一閃すると、老将軍よりも遙かに巨大な傷を刻む。

 

「ぬう、邪魔をするな。ここはワシが見つけた死角じゃい!」


 一瞬で不機嫌な表情に変じた老将軍が怒鳴り散らすと、ヒョークマンも背を向けたまま言い返した。

 確かに二人が立っている場所は無計画に肥大化したブラントの目から影になって見えない場所だ。戦場で経験を積んだ者同士、目の付け所が似ているのかもしれない。


「俺の方が先に見つけたんだ。爺さんこそ引っ込んで……!」


 振り返りながら老将軍の顔を確認したヒョークマンが目を見開いた。


「ゲエ、将軍!」


「うわ、ヒョークマンか?」


 互いに顔を見知っているらしい二人はそれでもすぐに動き出して次の行動を取っていた。

 大きく体を歪め、足下をのぞき込むブラントの刺突をヒョークマンが打ち払い、老将軍の合図による第二射がブラントの体へ分散されて突き刺さる。


「なんだ、アイツら?」


 老将軍やヒョークマンのことをよく知らないボルトが怪訝な表情のまま発動した魔法はブラントの上半身と下半身のつなぎ目にまとわりつき、バチバチと音を立てた。

 巨大な下半身と上半身の断裂を狙っているのだろう。

 上手くいけば下半身が保有する魔力は一気に無駄になるのだが、そう上手くも行かず削りきるには至らなかった。

 と、名も知らぬ戦士が一人、身軽くブラントの体を駆け上り始めた。


「死ね!」


 言いながら振り下ろされた長剣が、ブラントの胸に突き立てられた。

 おそらく、達人の認定は受けていない程度の順応度だが、どこにでも人はいる。

 ブラントが尋常な生物であったのなら、それはトドメを刺すに至っただろうが、一目見て判るとおり尋常からは離れていた。

 遠距離への攻撃と違い、そこは明確にブラントの間合いだ。

 細剣に変形した腕が取り付いた戦士の胸を刺して絶命に至らしめる。

 

「君は英雄の資質があった。しかし、力が足りなかったね」


 遠すぎてなにも出来なかった。

 下唇を噛む僕の横を幾つかの魔法が飛んでいく。駆けつけた魔法使いたちの攻撃である。

 幸いに、全体的な士気は落ちていないらしい。

 幸い?

 あるいは僕や上級冒険者だけを残して、他は撤退して貰った方がやりやすいのか。

 そもそもこの状況で幸福とはなんだ?

 僕の逡巡とは無関係に、体の数カ所を燃えあがらせたブラントは死体を放る。

 弧を描いて飛んだ死体は隙をついて逃げつつあった老将軍の背にぶつかった。


「せっかくだ。土産話の代金に命を置いて行きたまえよ。丁度、欲しかった首の一つだ」


 伸ばされた指が、重なった戦士の死体ごと老将軍を貫く。


「おう、持って行け。互いにいい冥途の土産が出来たな!」


 胸をやられた老将軍が転がったまま血反吐と共に吐き捨てる。

 そこへ、さらに数本の指が伸び、地面に縫い留められた老将軍は痙攣の後に絶命した。

 もちろん、その間にだって皆の攻撃は続いている。

 先ほど散った戦士と同じように、ブラントの体を駆け登ったヒョークマンはいつの間に引き抜いたものか、老将軍の斧を振りかざし、ボルトが酸で焼いた場所からブラントの上体を切り落としたのだった。

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