第577話 朗らかな言葉
建物の壁際では状況が解らず、僕は慌てて屋敷から離れ、屋根の上の二人を確認する。
高所で切り結ぶノラとブラントには強い風が吹き付けていた。
と、ノラが僅かに身じろぎした瞬間、ブラントの体がフワリと宙に浮く。おそらく、何らかの技術なのだろう。
「セヤ!」
裂帛の気合いとともに振り抜かれた刀身は空中にあるブラントの体を真っ二つに切り裂いた。
切断面からブラントの体は崩壊していくが、頭部側は思考が続いている様で、残った腕を屋根に差し込むと一息で体を再生させてしまう。
だが、大きく魔力が削られたのは事実で、ブラントは苦笑しながら背後に飛び、ノラの追撃をかわした勢いのまま、屋敷の向こうへ落ちていった。
流石のノラも、落下していく敵への攻撃法を持ってはいない様で表情を歪めて飛び降りる。
そうして二人ともが視界から消えていった。
「いかん、追うぞ!」
いつの間にか僕の横に来て観戦していたオルオンが言うのだけど、あまりそういうことを言わない方がいいのではないだろうか。
短い時間だけど、少しだけ解った。
オルオンが指示を出す度、特に切迫している程、従うにせよ背くにせよグランビルの体力が激しく消耗していくのだ。
「おう……ウウゥゥゥ!」
返事をした途端、グランビルの両膝がガクガクと震え、今にも倒れてしまいそうだった。
ほんの少し前まで無敵の黒騎士だったグランビルは、度重なる指令により、哀れな程に生気が抜けきってしまっていて指を動かすのも気怠そうだった。
「僕が追いますので、お二人は少し休憩してから追ってきてください」
この状況でグランビルに来られても、歩幅も合わせられずに邪魔なだけである。
それに、足の遅い僕でもブラントを追う準備は既に出来ていた。
遙か上空にはコルネリが旋回しており、市街地を駆けるブラントの位置を把握している。
しかし、上空からの眼を持たぬノラは地の利があるブラントに小道や裏道を使われ、あっさりと撒かれていた。
引き留めようにも足が速いことが災いして、僕では追いつかない場所まで走って行ってしまっている。
地上では迷宮内とまるで違う立ち回りが必要であり、僕たちはそれに慣れていない。
息が合わずに、早速前衛を失ってしまったので、他に前衛はいない者かとコルネリを通して探るが、ノラやグランビルの互する者など当然、都合よく見つかるわけも無く、それに次ぐ者だって見当たらなかった。
そんなことを考えている内に、大通りに出る。
浜小屋連合の騒動でザワついているが、それでも人々は生活を営んでいて活気があった。
大勢の人々が歩いている中、裏道を駆け抜けたブラントが通りの中央に立つのを見つける。
ノラはどこへ行ったのか。オルオンとグランビルは追いついて来てくれるのか。
そんな逡巡に意味はない。
今、ここにはブラントと僕、それに無関係な大勢の通行人しかいないのだ。
「やあ」
諧謔味に満ちた表情でブラントは呟いた。
騒がしい筈なのに、その声は真っ直ぐ、僕の耳に飛び込んでくる。
間を幾人もの通行人が通り過ぎていくが、まるで僕たちだけが別世界に立っているようだった。
「よく追ってきてくれたね。実は期待していたのだよ」
「迷宮にでも逃げ込まれれば、厄介ですから」
僕も届くかどうか解らない言葉を返す。
もし、ブラントが迷宮に逃げ込めば追跡は難しくなる。
迷宮は広く、深い。
もはや帰らぬつもりで深みに飛び込まれれば、まだ迷っている僕は途中で諦めるか、あるいは一緒に落ちていくしかないのだ。
もちろん、十分に魔力がある空間だと僕たちの戦闘能力も上がるけれど、地上でも異常な動きを見せるブラントがどうなるのか予測がつかないというのもある。
迷宮へ彼が飛び込むのは阻止しなければならない。
「ふふ、いつか君に話したことを忘れたのかい?」
ブラントはそう言うと、腕を一閃した。
鮮血がほとばしり、十名ほどの通行人が倒れる。
倒れた者の背中や腕、足の皮膚が裂け、血が噴き出していた。
「さて、照れてしまうね。だが、これも大事なことだ」
悲鳴の向こうでブラントは咳払いを一つした。
そうして、大きくて朗々とした声が響く。
「ええ、住民の皆さん。私はブラントと申します。日々の忙しい暮らし、ご苦労様です。皆さんの地道な生産活動が、ひいては国を支えておりますので、私は皆さんに敬服しております」
再度、腕が一閃されると、立ち尽くす通行人の数名に傷が刻まれる。
すると、ブラントの足が伸び始め、見る間に常人の三倍ほどの身長になった。
突如現れた怪人、いや最早怪物と形容した方が正しい存在に通行人たちの目が大きく見開かれる。
「さて、皆さんの中にはご存じの方もあろうが、先般東方領から発生した反乱は私が企画し、実行したものだ。狙い通り王国は混乱に包まれ、この東方領も辛い目にあったのだろう。それもこれも、私が引き起こしたのだが」
ブラントの腕は長く伸び、通りに面した建物の庇を打ち壊した。
破片が降り注ぐに至って、目を引き寄せられていた者たちがようやく悲鳴を上げて逃げ始める。
「最後の仕上げに、この都市を破壊して終わりにしようと思っているのだよ。当然、君たちも皆殺しさ。それが嫌なら、早く逃げた方がいいね」
ブラントは言い切ると攻撃を再開し、通行人を無差別に斬りつけ始めた。
無差別?
いや、よく見ると攻撃は子供や老人を避け、体力のありそうな男女に限られていて、それも血は出ているが傷そのものは浅い。
「はっはっは。さて、君も逃げるかね?」
ブラントは笑いながら僕に尋ねる。
逃げたりはしない。
この場に彼を置き去りにしてはいけない気がしていた。
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