第575話 笑う怪人

 無言で振り抜かれた刀はブラントの右腕から胴体、それから左腕を斬り飛ばして止まる。

 だが、ブラントの体は倒れなかった。

 次の瞬間、地面側と中空それぞれの切断面から白い糸が伸び合い、互いをつなぎ止める。

 しかし、ノラは止まらずそのまま一息に数十回の斬撃を叩き込んでブラントの胴体を細切りにしていく。


「あまり細かくされると困ってしまうね。せっかく覚えた体の命令系統がまた、違ってしまうよ」


 呑気に呟くブラントの頭部を背後から漆黒の籠手が掴み、力任せに地面へと叩き付けた。

 くぐもった音を立て、飛び散った頭部が、やはり一瞬の後に寄り集まって再生していく。


「こいつは……」


 グランビルがブラントの胴体を蹴り散らしながら呻いた。

 

「あれは、完全に成れ果てているな。迷宮の深みで、たまにあんな生物を見ることがある」


 そう呟くオルオンの表情は溜まらなく嬉しそうに歪んでいた。

 迷宮にあって互いに喰らい合う存在たちは、一言に魔物と定義されるが、その来歴は様々である。

 迷宮に立ち入った人間が力を着け、人ならざる領域に辿り着いた者も魔物と呼ぶが、迷宮に立ち入った野生動物たちが淘汰に勝ち抜き、代を重ねて異形になっていくのも魔物である。

 あるいは特殊な環境が生み出す、生命のようなものを獲得した現象も魔物と呼べる。

 怨霊や幽霊、あるいは実体を持たない妖精の類いもそうだと定義できるかも知れない。

 更にいえば、通常の物理現象を歪める魔力が濃くなったとき、それがどこかへの扉となり異界の存在を呼び込むこともある。代表的には悪魔が有名だが、深く潜るほどそんな存在と遭遇する様になるのだ。

 いずれにせよ、深層の魔物ほど死にづらく、構成体の再生や復元をしながら戦闘を続けるようになる。

 そうして、ブラントのそれは完全に魔力を蓄えた魔物の生命力であった。

 

『雷光矢!』


 僕の魔法が命中し、ブラントの体積が大きく削れる。

 

「あれは、ダメだ」


 オルオンは笑いながらブラントを指さしていた。

 指の先ではブラントの肉体が焼失した部分や衣服も含めて復元されているところだった。

 

「でも、なんで……?」


 僕は思わず疑問を口にしていた。

 その光景は、かつて一号が見せた回復方法に近い。

 しかし、あれは魔力の申し子たる一号が魔力に満ちた空間にいたからできたのである。

 中空から我が肉体を取り出して欠損を埋める。言葉にすれば単純な行為でも、超高度な魔法技術と、肉体の元になる大量の魔力が必要なはずだ。

 特殊な存在として戦士でありながら魔法が使えるとはいっても、回復魔法が使えるのみだったブラントに、果たしてそんな技量があったものか。

 なにより、ここは地上で何を為すにも大前提である魔力が周囲に存在しない。

 

「なんでかは、わからん。生命の奇跡だな」


 オルオンはそう言うと、懐から小さな小瓶を取り出した。


「グランビル、ブラントの一部を切除してくれ。検体が欲しい!」


 その命令に、グランビルは遅滞なく従うと、再生しつつあったブラントの頭部から耳を引きちぎって、投げてよこした。

 オルオンはそれを拾うと、小瓶に入れて光に透かす。

 その目は生まれたばかりの幼児に似て純粋で、邪悪だった。

 

「グランビル、もう二、三頼む!」


 言うが早いか、ブラントの肉片がいくつか飛んできて地面に転がる。

 内臓らしき部位、皮膚、それからおそらく脳の一部。

 オルオンは嬉しそうにそれらを別々の小瓶に詰めるのだが、残った肉片はそれぞれ糸を出し合い、一つの塊を形作る。

 

『凍れ』

 

 オルオンの魔法で小瓶と、寄り集まった肉塊が冷やされて凍り付く。

 肉片はそれで動きを止めてしまったが、解けた後にどうなるかはそれこそ、観測しなければわからない。

 

「二人とも、少し待ってください!」


 僕は大声でノラとグランビルを制止した。

 どちらも、手ごたえを感じていなかったのだろう。

 すぐに攻撃の手を止めてブラントから距離を取る。

 一号よりは遥かに遅く、それでも驚異的な速度でブラントの身体は衣服ごと復元されいき、十を数える間には元通りのブラントが立っていた。

 ブラントは自らの指をしばし眺めていたが、すぐに顔を上げてほほ笑んだ。


「ふむ、だんだん慣れてきたよ。経験というのは何事も貴いものだね」


「……ブラントさん」


 僕は意を決してブラントに声を掛ける。

 しかし、彼はこちらを見もせずに自らの体を見下ろしていた。


「ああ、もう少しだけ待ってくれないかね。ボタンを留めたい」


 ブラントはそう言うと、片手で次々とボタンを留めてしまう。

 

「ふふ、出来ないことが出来るようになるというのは、いつだって気分がいいものだよ」


 優しそうな笑みは、彼が凄惨な死を迎えた死人であったことも、異常な蘇生の後の見るに堪えない姿も忘れさせそうなほど、いつものものだった。

 

「さて、待たせたね。どうやら、君たちは私を討伐に来たらしいが、少しだけ話をさせて貰えないか。私はグランビルに討たれた筈だが、その後、王国はどのようになったのだね?」


 彼の要求はささやかなものであった。

 どのみち、観察をしながらブラントの中身を推察しなければならない。

 僕は視線でノラを牽制しながら、ブラントに彼が死んでから今まで、僕が知る限りのことを話すのだった。

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