第574話 墓場の死者

 戻って来たステアがグランビルの怪我を治すまでに、ノラは防具を取りに戻っていた。

 朱色の籠手と胸当て、脛当て、それに鉢金である。本来の装備品は迷宮側の詰め所に置いてあるため、予備の品らしいが、いずれも強力な魔力が感じられる逸品であった。


「私が鎧と黒剣を身に付ければ、こんな男は邪魔なだけだ」


 グランビルの元にも使用人たちが漆黒の鎧を運び込んでおり、グランビルはそれらをバチバチと身につけていた。

 

「まあ、そう言うなよグランビル。腕が立つのなら人手は多い方がいい。俺と御頭は後衛だから前衛が欲しかった所だ。むしろあと一人くらい、適当に連れて行きたいところだよ」


 オルオンも家令が持って来たズボンや靴を履いて楽しそうに言う。

 ブラントが逃走する際、オルオンの研究所は破壊され、助手たちも皆殺しにされたのだというが、悲壮感はない。


「とりあえず、街中からの調査なので、途中でいい人がいれば同行を頼みましょう」


 僕も完全装備にリュックを背負って告げる。

 僕たちはとりあえず、四人でブラントを追い掛けることにしたのだ。

 

「ノラさん、これを私の代わりとして持って行ってください」


 赤ん坊を抱いた小雨が短刀をノラに手渡した。

 ノラはそれを黙って受け取ると、左の腰に差し込んだ。


「そうして、生きて戻ってくださいね。この子の為にも」


 小雨の言葉に頷いて、ノラは自分の子を撫でる。

 赤ん坊は何事か解らないまま天井を掴もうと手を振り回していた。

 

 ※


 目撃情報を辿ると、ブラントらしき裸体の怪人は建物の屋根を飛び回りながら一直線にとある施設の方角を目指していた。

 

「てっきり迷宮へでも行くかと思ったが、この先にあるのはアレだね」


 オルオンが小走りしながらぼやいた。


「ええ、この先にあるのは墓地ですね」


 僕も答える。

 方角的には墓地と元ブラント邸、現在は僕がもらい受けたが、とにかく彼の屋敷があった。

 グランビルの配下である使用人たちが先に散らばり、道々で僕たちに行き先を教える。ついでに言えば、グランビルの後ろには兜や小物などを持って伴走する供の者が付いて来ていた。迷宮冒険者の主流から外れ、全身鎧を旨とするグランビルだが、流石に頭部を全て覆うような兜を被っての疾走はつらいのだろう。

 なるほど、こういう時に人手があるというのは便利なものだ。

 そう思いながら、走って行くとやはり元ブラント邸の敷地を指して料理人らしき老人が立っていた。


「お嬢様、あの屋敷の裏に怪人が潜みました。お気を付けください!」


 およそ本心からと思われる心配の言葉を投げかけられる。


「うむ、ご苦労。後はさがって屋敷に戻っていろ!」


 言い捨ててグランビルは兜を被った。同時に、随行していた非戦闘員たちも下げさせる。

 黒い大剣を引き抜くと、鎧の表面に青い光が走って戦闘準備の完了を知らせた。

 こうなったグランビルは強く、正面から打倒できる者は少ない。

 

「さて、行こうか」


 怯えも、力みもない。しかし力に満ちた声でグランビルは一行に告げた。

 僕たちは屋敷の裏手に回る。

 すると、屋敷の裏に建てられている、石像の足元に穴が掘られていた。

 

「や、ちょっと待ってくれたまえ」


 地面から掘り出されたらしい金属製の箱が空になって転がっており、物陰からは他ならぬブラントの声がした。

 

「なにせ、まだ指が上手く動かないのだよ。どうもあちこちと線が入違っているらしくてね」


 どこか懐かしい、優し気な声は鼓膜を揺らしたあと、続く言葉を聞こうと身構えさせる。

 しかし、そういう精神的なやり取りと無縁の怪人がこちらにはいる。


「斬れ、グランビル」


 グランビルの場合においてはオルオンの言葉の方がよほど強烈に行動を縛る。

 一瞬遅れて、グランビルはブラントが隠れていると思われる壁ごと黒剣で切断した。

 ガガン、と音がしてレンガで積まれた屋敷の外壁がはじけ飛ぶ。

 軽い小枝を振るような速度で大剣を振っているが、大岩をもってしてもその剣撃を止めることはかなわないらしい。

 グランビルは物陰に回り込み、そして剣を振りかぶる。

 だが、次いで振り回された一撃は呻りをあげて空気を切り裂くに留まった。

 僕たちも急いで彼女を追う。

 そうして僕の目に飛び込んできたのはブラントに背後を取られたグランビルだった。

 おそらく、箱の中身がそうだったのだろう。ここに至るまでは全裸だった筈のブラントはいつも通りの見慣れた衣服を纏っていた。

 だが、上着の中に着ているシャツのボタンが留められていない。

 僕の視線に気づくと、ブラントは照れたように笑った。


「相手にしないというのでもないのだから、少しくらい待ちたまえよ」


 兜の限られた視界の、完全に死角に潜り込んだブラントがいる場所を黒剣が薙ぐ。

 声によって自らの居場所を伝えたブラントはそれに合わせて動き、再びグランビルの死角に隠れていた。


「剣先がいくら早かろうと、背中が動くのに合わせて移動すれば刃物は届かないね。体の構造的に」


 自らの視線をシャツに落としながら、ブラントが呟く。

 だが、グランビルは即座に行動を切り替え、背中でブラントを押しつぶそうとした。

 ドカン、と音を立てて屋敷の壁に穴を開けるが、ブラントは一瞬早くグランビルの体を伝って上空へ逃れており、直接のダメージを与えることはできなかった。

 一瞬の後、着地に失敗したブラントが肩から地面に落ちたのだけど、それも行動不能になるほどでは無いようで、苦笑しながら立ち上がる。 

 

「どのくらいの時間か、ぼんやりとした思考で深い霧の中にいたが、先ほどやっと頭が働くようになったようだ。それで我に返ってみると、とんでもない恰好だったもので、取り急ぎここへ着替えに戻ったのだよ。どうやら夢うつつで騒がしくしたらしいのも悪かったが、グランビル。君も気軽に他人の家を壊さないでくれたまえ。人に譲ったとは言え、私の思い出が詰まった家なのだ」


 瓦礫と土煙を纏いながら、壁に空いた大穴から出て来たグランビルに対してブラントは親し気に言葉を掛ける。

 その死角に、この場では誰よりもブラントに対して強烈な殺意を持つノラが間合いを詰めていたのだった。

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