第566話 彼なりの苦労と工夫と努力

 オルオン邸の廊下を少し戻り、別の部屋に入ると、そこが更衣室になっていた。とはいえ、何もない部屋の壁に棚が設えらえており、真っ白い、素材も不明の服がぶら下げてあるだけだ。


「ほら、御頭もボルトも、着替えてくれよ。いつも忘れるんだが、あそこから先に進むにはこの服を着ていないとダメなんだ」


 へへ、と照れた様に笑うオルオンに、すっかり腰の引けてしまった僕とボルトは断ることも出来ずそれを着込んだ。

 とはいえ、妙な白い服は大きく作られており外套の上から着込むことも可能な構造になっていた。

 しかし、その服を着て渡された透明な仮面を身につけて初めてわかる。

 この服は一種の封印結界であった。

 その効果は端的にいえば内部から外部へ魔力が飛び出るのを防ぐもので、僕の様な魔法使いは能力が大きく制限されてしまう。

 

「俺も含めて、御頭もボルトも魔法使いだが、実はそれが研究によくない」


 オルオンが仮面を付けながら言う。


「なんせほら、魔法っていうものは日常的な法則をねじ曲げるだろ。魔法には魔法の法則や理屈もあるが、俺の知りたいことには魔法抜きの結果が必要になるものもある」


「僕は別に魔法を使いませんよ?」


 僕はオルオンに言葉を投げかけた。

 この建物の内部で戦闘でも起こるのでなければ特に魔法を使う用はない。

 しかし、オルオンは首を振った。


「いや、そういうことじゃないんだ。特に俺たちみたいな魔法使いや僧侶には顕著だが、順応がある程度進んだ迷宮冒険者は皆、無意識下で魔法を使っているんだよ。例えば、同じ種を千個ずつ植えたとして、順応の進んだ僧侶なんかとそうでない非冒険者に毎日観察させると僧侶の方が多く芽吹くようになる。これは順応が進むほど有意差が大きくなる。場合によっては植物の生長にも差が出るし、複数花を付ける種類なら、花弁の総数もはっきりと差が付いてくる。ここから先はまだ仮説だが、我々の様な迷宮冒険者は望んだ結果が出やすくなるのだと思われる」


「それなら、順応が進めば俺たちはサイコロ賭博に負けなくなるな」


 着替え終わったボルトがおどけて言う。


「まあ、極端に言えばそうだ。一面では事実だろう。しかし、影響を与える能力や範囲が案外とショボいのも問題でな。俺が一の目を出そうと思いながら六万回サイコロを振ってみたとき、有意差はほとんど出なかった。確かに総計としては一が出た回数は他の五面よりも多かったが、結局は誤差の範囲に収まった。思うに、サイコロを振るという行為は始めてから結果が出るまでの時間が短いのが原因だと思うね」


 確かに、植物だと種を蒔いてから芽吹くまで数日かかる。

 魔力が現実に対してゆっくり積み重なる様に作用するのだとすればサイコロには十分に働きかけられないのかも知れない。

 そうして、同時に僕たちは慣れ果てていく冒険者たちが肉体的には全盛期に近づき、頭脳は明晰になることを知っている。そこにも呪文の詠唱などは存在せず、それだって無意識下の魔法による効果と言えるかもしれない。


「だから、世の物理法則を探り出したくて研究している時に俺たちが入っていくとマズいんだ。結果が望むものに近づいてしまうかも知れない。そうしてそんなデータは真理の探求を邪魔するだけだ」


 思いの外、強く真剣な眼差しで語るオルオンには『学者』の異名が似合っている様に思えた。

 

「とはいえ、こんな服は脱いで、なんなら裸でやる研究もあるんだけどな」


 台無しにするような発言をしたオルオンの後ろで白い服を着かけたグランビルが額を抑えていた。

 


 ※


 着替え終わった僕たちはオルオンの助手たちが黙々と作業し続ける部屋を抜けて、さらに奥へと進んでいった。建物の奥には階段があり、二階へと上がっていく。そうして、再び更衣室が現れた。


「ここで脱いで進んでくれ」


 オルオンが仮面を外しながら言う。

 僕とボルト、グランビルも白い服を脱いで次の部屋へ進むと、思わず立ち止まってしまった。


「オルオンさん……これって」


 顔を見回せば、グランビルは既に知っている様だったが、ボルトも眉間に皺を寄せている。

 その小部屋には、僕たちがよく見知った匂いが薄く漂っており、肌を粟立たせた。


「うん、魔力だよ」


 どこか誇らしげにオルオンは言う。

 迷宮の入り口。ほんの数歩立ち入った場所よりもずっと薄いものの迷宮から離れて魔力が漂っているというのはどういうことなのか。

 僕の視線に気づいたオルオンが隣の扉を開けた。

 そこには、数十体の小さな燐光が中空を漂っている。透明で人の形をした妖精たちだ。

 純然たる魔法生物。僕が肉体を持つコルネリを迷宮から連れ出したのとは、全く別の不可思議な現象がそこに広がっていた。

 

「一階が真理の探求を行う研究なら、二階は迷宮の探求を行う空間だ。ほら、お嬢さんたちおいで。俺にキスをしておくれ」


 オルオンが言うと、妖精たちは次々にオルオンの頬に口づけをしていく。

 最後になぜかグランビルもオルオンにキスをしたあと、頬を真っ赤にしてうずくまってしまった。

 

「ふむ、みんないい子だ。さて、実はこの彼女たちだが、迷宮産じゃない。俺たちが知る限り迷宮は一つしかなく、されど妖精や怪物、天使や悪魔などの目撃談は世界に広く分布する。ほとんどは見間違いや噂の産物だが、中には本物もいるのではないかと調査したんだ。そうしたら、いたね。わずかに魔力が漏出している土地があり、彼女たちが暮らしていた。だから、俺は彼女たちを口説き落としてここへご招待したのさ」


 机の上には小さな食器に入れられたお菓子や果物、酒が乗せられている。


「彼女たちは小食で、小ネズミ一匹分ほども喰わんので食費もそれほどかからん。そういった点でも魔法生物は飼育しやすいといえる」


 僕の知り合いの大ネズミは言うことも聞かないし体格に見合わず僕よりもたくさん食べるのでその点はすこし羨ましかった。


「そんなことよりオッサン、この魔力はどこから出てくるんだ?」


 ボルトが怪訝な表情で核心を突いた。

 

「お、いい質問だ。その答えは次の部屋にある。行こう」


 異形の教授騎士は、生徒にものを教えるかのような口調で先に立って歩き出したのだった。

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