第563話 放浪者たち

 迷宮の奥で一人、女が座っていた。

 手ごろな石に腰を下ろすのは、地上で賢者と呼ばれた女だったが、当時の知り合いが見れば皆、驚くだろう。それほどに外見が変わっていた。

 女——ウルエリの肉体は迷宮を降りる度に全盛期に戻っていき。今では外見的に二十前後のころまで若返っている。

 皮膚も、髪も、頭脳も、全て魔力が強化しており、ほとんど酸素がない空間でも魔力を吸って生きていた。

 

「ふむ」


 ウルエリが腰掛ける石の周囲には夥しい数の小動物が果てていた。

 人の頭程度の大きさを持った、おそらく元は哺乳類だった生命たちは、数十匹の群れで行動し、地上から遥かな深みに至るまで戦いに勝ち抜いてきたのだろう。

 事実、その戦闘力はこの階層に巣くう魔神の類と比しても遜色はなかった。しかし、勇敢な彼らの冒険記も、ここで途絶えたのだ。

 ウルエリは自らが奪った小動物たちの苦難に満ちた足跡に思いを馳せる。ネズミが神獣に至る迷宮とはいえ、もちろん大多数は落伍していく。膨大な数の挑戦者の中で、こんな深みまで辿り着くのは僅かな例外だ。

 そうして、ここまで生き延びた者たちがさらに喰らい合い、ここよりも深層へ落ちていく。

 戦いはそのまま、互いの食事でもある。

 獲物を屠ったのだから喰わねばならぬのも迷宮の大原則であった。

 ウルエリの身に、小動物たちが蓄えた膨大な魔力が流れ込んでくる。

 この小動物たちは自らと同等の能力を持つ個体を次々に無から呼び出して戦い続けたのだ。

 一匹倒す間に五匹増えるような恐ろしい増殖力を持った敵をウルエリは実に十日以上も掛けた死闘の末に打ち下すに至る。薄氷の勝利だったが、それでも失った分を補って遥かに余りある魔力が得られた。


「まあ、こんなものか」


 迷宮もひたすら奥まってくると、一戦一戦に時間が掛る。

 生身や常識から遥か遠くに離れ、立っている者同士の殺し合いというのはそういうものかもしれない。

 流れ込んでくる魔力は睡眠も食事も不要とし、衣服さえも復元していく。そして食事と違い、わずかに魔力を咀嚼する時間だけを必要としていた。

 ウルエリは自らの能力向上を丁寧に読み取っていく。

 これで、小動物たちと同じ程度の戦闘力を持った敵と戦っても次は余裕をもって勝てるだろう。

 もちろん、搦め手を用いる魔物も多いのだから、油断はできないけれど。

 と、空間を歪めて一号が顔を覗かせた。

 ここのところしばらくは自宅に戻って息子と過ごしていたはずだが、子供を夫が迎えに来て終わったのだろうか。

 

「ああ、まだ死んでないんだ。そろそろ死ぬかと思ったけど、案外しぶといわね」


 一号は散乱する魔物の死体を一瞥して言った。


「頼もしい前衛がいなくても、どうにかなるものよ。私には経験と知恵があるから」


 言い返して、ウルエリは苦笑する。

 経験と知恵は十分でも、迷宮の呼び声に逆らうことはできなかったのだ。欲求に対するこらえ性が足りないのかもしれない。

 

「そんなことより、アルくんはどうだった?」


 ウルエリは会ったこともない一号の息子に話題を向けた。

 とはいえ、弟子と相棒の息子である。なんとなく、甥っ子か孫の様に親近感を感じている。


「ああ、それがね……」


 一号は笑いながら、嬉しそうに自らの息子と夫について話し始めた。

 それを聞いていると迷宮に飲み込まれたのが嘘の様だとウルエリは思う。

 しかし、少しして一号は表情を引き締め通路の先を睨んだ。

 ウルエリもようやく、その先に魔物がいるのに気付いた。

 いや、普通の魔物ではない。

 迷宮にあって、戦闘は先に相手を見つけ、奇襲に成功した側が圧倒的に有利である。

 その点で一号は強力な探知能力を持っており、奇襲を仕掛けることはあっても、仕掛けられることはまずなかった。

 しかし妙な雰囲気を纏い、一号の魔力探査にさえ引っかからなかったソイツは十分に攻撃が届く場所に立ったまま、止まっていた。


「ドラゴン、ね」


 身構える一号を盾にできる位置へ移動しながら、ウルエリも戦闘準備に入った。

 

「あんまり敵対的じゃないヤツかな」


 一号は構えたまま呟いた。

 もちろん、魔物はそれぞれに都合がある。

 遭遇しても互いが戦闘を避けたいと思えば、何も起こらずすれ違うことだってあった。


「どうも、そんな感じじゃないわ」


 ウルエリは魔物をじっと観察する。

 真っ白い、神々しいまでの白さの鱗が全身を纏う。それは一匹の竜であった。

 

「ウウ……」


 竜は身じろぎもせず、真っ赤な目を一号に向け、唸っていた。

 やがて、その首をそっとかしげる。


「テリオフレフ。なぜ、生きている?」


 竜が人の言葉で言う。

 ウルエリも竜が口走った名前は知っている。

 テリオフレフとは魔法生物一号の造形モデルになった美女の名前だ。

 

「オマエは俺が喰った筈だ。テリオフレフ……」


 混乱した竜を見る機会などそうそうない。

 ウルエリは遭遇した珍事にそう思った。

 しかし、テリオフレフの最後は教え子から聞いている。そうすると、この竜の正体も察しがつく。


「あなたは、テリオフレフの守護竜だったリフィックね」


 ウルエリの言葉に竜は目を見開く。

 同時に、一号は手を叩いて納得していた。


「ああ、聞いたことある。リフィックね。残念だけど、私は一号。テリオフレフじゃないわ」


 笑いながら一号は結界を展開した。複雑かつ強力な、もはや芸術品の様な魔力障壁である。

 最大級の警戒は、眼前にたたずむ竜への正しい評価だ。

 ネズミが神獣になる空間と旅路を、最初から強者である竜が歩いてきたらどうなるものか。少なくとも先ほど喰らった小動物たちとは格が違うらしい。

 ウルエリも粟立つ肌を押さえ、魔力を練る。

 が、竜の方が戦意を持つことはなく、リフィックは痛そうに眼を瞑った。


「ちがうのか」


 それだけ呟くとリフィックは項垂れた。

 すると、一号はトテトテと歩み寄り、その首に腰を下ろす。

 

「うん。似てるのは見た目だけで中身は全然違うよ。どうする、リフィック。君が望むのなら、この首を一瞬で落としてあげることもできるけど」


 優しく首を撫でる一号の提案に、しかしリフィックは首を振る。

 

「いや、俺は皆を喰ってここまで来たんだ。それを簡単に捨てることはできない」


「そう……か」


 一号は呟くと、リフィックから離れた。


「それなら頑張りなよ。私は君と戦いたくないからさ、ここは戦わずに別れようか」


 その対話を見ながら、ウルエリの脳内は猛烈な速度で巡りながら戦い方を考えていた。何が効いて、何が効かないのか。

 絶対に油断をしないというのが、ウルエリが生き延びてきた秘訣である。

 もちろん、弟子から聞いた話を鑑みれば、無理に戦いたいわけではないのだけれど。

 しかし、リフィックは首を上げると「いや」と呟いた。

 ウルエリと一号が同時に魔力を練る。次の一言が終わる前に打ち込めるように。

 が、リフィックの次の言葉は意外なものであった。


「俺も着いていく。同行させてくれ」


 姫を護る竜は、とりあえず外見だけでも同一の一号に惹かれたらしい。

 少し戸惑いながらも一号がこれを受け入れ、旅の道連れに白い竜が加入したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る