第562.5話 【特別話】眩しい砂浜と反逆者どもの海

 ぼんやりと歩いていたゴールディは、声を掛けられて振り向く。

 そこには、派手な開襟シャツを来た同年輩の男が立っていた。

 おそらく二十年は会っていない男だったが、幼なじみの兄弟分だということはすぐに理解できた。

 顔に皺は刻まれたが、皺の一つも寄っていない太い腕と服装が昔のままだったのだ。

 

「ああ……ハンク、まだそんな格好をしているのか」


 ゴールディはただ、それだけを呟くことしか出来なかった。

 溢れかえる思いに、胸が満たされたのだ。

 生まれた家が近かった。それだけの理由で物心がつくより前から一緒にいて、なにもかもを並んで覚えていった間柄だ。

 同じ様な仲間たちと共に喧嘩をし、悪事を覚え、暴れ回った。

 乱暴で向こう見ずな青年たちは競うように派手な開襟シャツを手に入れては着込んで道を歩く。

 それでゴールディたちの行く手を阻む者は誰もいなかった。

 年下の悪ガキ連中もゴールディ一党に憧れて服に塗料をぶちまけて派手な服を自作していたものだ。

 有り余る程に笑った日々。ゴールディが抱える黄金の記憶である。

 しかし、各々が年を取り、大人になるときに仲間たちの多くは結婚して家庭を持った。それで遊び人の愚連隊で居続けることは出来なくなった。

 四六時中一緒にいた不良仲間たちは一人、また一人と伝手を辿って大洋浜小屋連合の下部組織に入り、職業犯罪者への道を進んでいき、やがて莫逆の友と会うことさえほとんどなくなっていった。

 

「俺は、時間が経ったって別人になりはしない。そんなに器用じゃないだろ。互いに」


 ハンクが苦い笑みを浮かべながら呟く。

 器用ではない。

 人をブン殴る。人の物を奪う。それくらいしか出来ない、地道な努力とは無縁の、その日暮らしの遊び人どもが本職の悪党になり下働きから修行を始めた。

 なにもかもは上手くいかずに多くの仲間が早々に脱落していったらしい。

 らしい、というのは噂話ばかりで本人に会うことが出来なかったからだ。

 組織を抜ける者は遠くへ逃げるか、あるいは捕まって処刑される。

 また、技能も地位もない雑兵たちには危険な仕事を押しつけられ殺されることも珍しくなかった。

 敵対組織や所属する組織の拷問担当者に処刑されれば死体はグズグズで、元は誰だか判らない死がありふれている。そんな中で誰が逃げ、誰が敵に殺され、身内に殺されたのか。ゴールディはかつての仲間たちを思い浮かべる。

 

「皆、もっと器用だったらな。チビのラッツォも、リカードも、ヘマをやらかして殺されずに済んだ」


 この二件にはゴールディも関わっていたので確信を持って言える。

 少なくともこの二人は死んだ。

 そして、関わっていながらゴールディは昔の仲間を助けることが出来なかった。

 派手なシャツを早々に脱いで、地味に、着実に、そして上役に睨まれぬことを心がけながら日々を過ごしていたゴールディに、同じ浜小屋連合内でも別の組織にゲソを付けていたハンクが会いに来たのは疎遠になって十年ほど経った頃だったろうか。

 二人で物陰のベンチに座り、暑い日差しの中でオレンジを齧りながら話したのが、結局は最後の対話になった。

 未だに派手なシャツを着続けていたハンクは上役に疎まれ、組織ごと浜小屋連合に参入したやっかいな新参者のお目付役として遙かに遠い地へ去っていった。

 もはや、その時になにを話したかは覚えていない。

 あるいはなにも話さなかったのだろうか。

 気づくと、ゴールディは痩せていて、でっぷりと太った腹の肉は消え去っていた。それはハンクと最後に会った頃の姿だった。

 妻がいて、子供がいて、いくらかの部下もいた。だが、どんどんと息苦しくなっていった頃だ。

 

「いや、器用でなんてない方がいいね。真っ直ぐで、熱ければそれで十分だった」


 いつの間にか、ハンクも年老いた姿から、最後に別れたあの日の姿に変じていた。

 懐かしい、オレンジの甘酸っぱい匂いがゴールディの胸に満ちる。


「ハンク、長い間悪かった。オマエをずっと、呼び戻そうとしていたんだ。でも俺には力が足りなくて……」


 上役に睨まれない程度の具申を何度かした。

 そうして怒鳴られ、傍流へ押しやられ、ハンクを呼び戻す人事権の所有者と直接の繋がりが途絶えてからはそれさえも叶わなくなったのだった。

 

「気にするなよ、兄弟」


 ハンクは昔の様に明るく笑う。

 いつもそうだった。ゴールディは下唇を噛む。

 ハンクは仲間の為に惜しみなく身を晒し、仲間の罪をいつも笑顔で許していた。

 かつては自分もそうだった。それがいつの間にか、その様に生きることが出来なくなっていた。

 体は肥え、反比例するように度量や蛮勇などの心は細る。


「ありがとう」


 ゴールディはそれだけ呟くのが精一杯だった。

 

「じゃあ、行こうか。きっと皆が待っているよ」


 ハンクが道の先を指す。

 その先には派手な開襟シャツを着た連中が立っていた。

 見覚えがある。いや、見間違えるはずもない。

 不良少年だった頃の悪ガキ仲間だ。彼らがまだ、濃密に付き合いがあった青年の姿でゴールディを呼ぶ。

 

「おいゴールディ、ハンク、早く来いよ。海へ行こうぜ!」


 先頭でお調子者のトニーが手を振っていた。

 その背後には眩い太陽に照らされた、見慣れた海岸が広がっている。

 

「ほら、ゴールディ。走ろうぜ!」


 横を見れば、ハンクも十代の終わり頃の青年に変じていた。

 そうしてやっと思い出す。この男と一緒にいて怖いものなどなにも無かった筈だ。どこへだって胸を張って歩いて行けたし、誰が相手でも下を向くことはなかった。

 ゴールディは胸に嬉しさが満ち、笑みをこぼす。

 走り出した十代の体はどこまでも駆けて行けそうな活力に満ちていた。

 焼けた真っ白い砂浜で靴を脱ぎ捨て、仲間たちと共に海に飛び込むと、懐かしい思いに涙が溢れてきた。

 

「なに泣いているんだよ、ゴールディ!」


 少年姿の仲間たちがゴールディを追って海に飛び込み、声を上げた。


「泣いてねえよ!」


 目を拭い、ゴールディも言い返す。

 ああ、こいつらとずっと一緒に居られたら。大人になってもずっと。

 少年たちは笑いながら沖に向けて力強く泳いでいく。


 ※


 それがエランジェスに続いて、殺害されたゴールディが今際の際で最後の一呼吸と共に見た夢だった。

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