第560話 連行

 エランジェスは大きく息を吸うと、ゆっくり吐いた。

 腕の断面から止めどなく血が流れ、既に顔色が悪い。額には玉の汗が浮き、唇の端からは細く噛み破った血が流れている。

 表情は涼しげだが、おそらくは猛烈な痛みと死が近づく足音をしっかり感じている筈だ。

 

「それよりさ、学者先生はなんでこのクズを庇うの?」


 カロンロッサは眉をつり上げてオルオンに食ってかかる。

 それに対してオルオンは肩をすくめ、僕の方を見た。


「何故って、そりゃ御頭がどういうつもりか解らんからだ。そいつと手を組むつもりか、脅して財産を奪うつもりかも解らん。十中八九は殺すんだと思うが、確認せずに殺すのはよくない」


 そうして一同の視線が僕に向けられた。


「ええと、殺します」


 僕は答える。別に確認せずとも殺してくれればよかったのに、そうでないから勢いを出さなければならない。


「エランジェスさんは、こうして居並ぶ皆さんとは話にならないほど弱いんですが、人間としては大変に危険なので」


 僕たちは皆、迷宮での順応を進めており、個人での戦闘力は異常の域に達する。

 一対一、あるいは少数同士の遭遇戦なら地上を探し尽くしても優る者は少ないだろう。

 いわば、無敵の魔獣と言ってもそれほどの間違いは無い。

 だが、人間の強さというのは本来、そうではない。徒党を組み、知恵を寄せ合い、財産を積み上げる。そういった人間的な強さで、僕らはエランジェスの足下にも及ばないのだ。

 だから、この場で殺しておく。

 彼に代わる者が浜小屋連合にいるかは知らないが、殺さない限り、厄介で恐ろしく、そうしてこの都市に執着しているエランジェスという怪物が居続ける。


「じゃ、チャッチャとやりましょうか。はい」


 カロンロッサは落ちた手斧を拾い、ディドに手渡す。


「おう。スカッと殺して飯でも食いに行こうぜ」


 ディドが舌なめずりしながら斧を構えるのを見てふと、思い出す。

 そういえば僕の知り合いにひどくエランジェスを憎み、結果として体まで無くしてしまった人がいた。

 

「ディドさん、仮の話なんですけど、僕が燃やしてもいいですか?」


 どうしても自らの手で殺さねば我慢ならんと、ディドが言えば諦めるつもりだったが、あっさりと了承してくれた。


「恨みを持っているヤツはそれこそ掃いて捨てるほどいるだろうし、結局死ぬなら誰がやってもな。とりあえず、身内の仇にこれだけ貰っとくけど」


 そう言うとディドは手斧を一閃し、エランジェスの残っていた腕を切断する。

 しかし、両腕をなくしたエランジェスはやはり、慌てたそぶりも見せない。

 ただ、大量の失血から億劫そうに机に寄り掛かっているだけだった。しかし、首元や襟は汗によって雨に打たれたように濡れている。

 エランジェスは鼻から大きく息を吸い、吐くと、再びいつもの薄笑いを浮かべた。


「ところで、さっきから一人で興奮しているオマエは誰だっけ」

 

 瞬間、青筋を浮かべて飛びかかろうとしたディドに、グランビルが体を入れて止める。


「バカ者。たった今、譲ったばかりだろう」


 グランビルの怪力に、変身もしていない状態では分が悪く、ディドは押し止められてしまった。


「クソ!」


 短気だが誠実なディドは一瞬の怒りが去るとすぐに諦めてくれたらしい。怒鳴りながら傍らの壁を蹴り破った。その様を見てエランジェスが満足そうに笑う。

 瞬間、エランジェスの横面をカロンロッサが殴った。


「アタシも、コイツを殺すのは誰でも結構。その目つきがちょっと気にくわないから、殺しに来ただけだから。ともかく、アンタは火炙りが決まったってワケ。苦しんで死になさい」


 そうしてカロンロッサは手早くエランジェスの両腕を縛って止血した。

 既に水気のなくなった唇が、それでも楽しそうに歪む。


「ああ、なんでもいいや。適当にやってくれ。ただし、早くしてくれないと勝手に死んじまうぞ」


 荒い、それでいて弱い吐息でエランジェスは呼吸をしている。

 自分で言うとおり、放っておいてもやがて死ぬだろう。

 

「じゃあ、外に行きましょうか。室内というのもなんだし」


 ゼタが放つ炎が建物や無関係の人々に引火してはたまらない。

 せめて郊外の広い場所へ向かう必要があった。

 が、エランジェス本人がすでに自重を支えられないほど弱っている。


「俺が連れて行ってやるよ」


 ディドは癖の強いエランジェスの髪をがっしりと掴むと引きずり倒した。

 そのままズルズルと引っ張っていく。


「ほら、御頭がどこでコイツを殺すか決めな。俺が見届けてやるから」


 ※


 僕たちはエランジェスを引きずったままゾロゾロと移動した。

 途中、大勢の人々の目に触れたし、浜小屋連合の一味とも遭遇した。しかし、向かってくる者にはヒリンクが対応し、素手の者は気絶させ、武器を持っている者は斬殺して進んだ。

 市民の中には何事かとついてくる者もいて、僕は彼らを追い払わなかった。

 エランジェスには、ひっそりと消えるのではなく、大勢の前で死んで貰わねばならない。

 恐怖で人を支配する夜の帝王は、死して尚、人を縛るかもしれない。それだと困るのだ。

 

「会長さん!」


 走って追い掛けてきたのはゴールディだった。

 よほど慌てていたのか、ゼェゼェと荒い息を吐いている。


「コイツはいったい、どういう事でしょうか?」


 汗を拭いながら、ゴールディは僕に問う。


「見ての通り。今からエランジェスさんを殺します。ぜひ、ゴールディさんも見ていってください」


 証人は浜小屋連合側にもいた方がいい。

 しかし、ゴールディは泣きそうな表情で怒鳴った。


「正気ですか。俺たちは大陸最大の組織、大洋浜小屋連合で、その人は一番偉い人ですよ!」


 ゴールディの指すエランジェスは、相変わらず笑みを浮かべ、ゴールディに向けて切断された腕を鷹揚に振っていた。

 余裕の表れなのか、失血のために幻覚を見ているのか。それはもう解らない。

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