第561話 消滅

 なにごとか、エランジェスは唇を動かしていたがそれが意味のある言葉を結ぶことはなかった。

 ゴールディは周囲を囲む配下に向けて命令を下す。


「なにをボサッと見ているんだ。エランジェスさんをお助けしろ!」


 それに応じて、五名のゴロつきたちが前に進み出た。

 いずれも百戦錬磨といった雰囲気のある面立ちだが、僕たちは百戦くらいこなしてようやく初心者を卒業するのだ。

 

『煙よ』


 ボルトが指輪をカチリと鳴らして魔法を発動すると、真っ白い雲が五つ表れ、ゴロつきたちの足下を隠した。

 と、突如足下が消失したようにゴロつきたちは雲の中へと落下していく。

 空間転移魔法か。

 高度な為、僕であれば手の届く範囲でしか発動できないような魔法を、離れた場所に、しかも五つも同時に発動して見せたのだ。その手腕に驚く。

 

「あれはどこに飛ばしたんですか?」


「どこに?」


 僕の問いに、ボルトは怪訝な表情を浮かべる。


「どこかへ落としたんでしょう?」


「え、ああ。まぁ地面に」


 ボルトが魔法を解除すると、そこには形容しがたい色の水たまりが広がっていた。

 なんの事は無い。自由落下の速度で落ちていったため、てっきりゴロつきの足場が消えたのかと思ったが、猛烈な速度で爪先から頭のてっぺんまで融解させたのだ。

 僕は用いないが魔物の中には強酸を吹き付けて攻撃してくるような種族もいるのだから、よく考えればそれも広義の魔法であったはずだ。それをモデルに魔力で強酸を生み出し、雲の形にして人間を一瞬で溶かし尽くす。

 ボルトの魔法は簡単に表現すればそのようなものだった。

 使用法次第では巨大な魔獣にも部位を選んでダメージを与えられる。

 が、もちろん細々と観察すれば高度な技術の塊であるし、ボルトの装備している各種の指輪や体に刻まれた紋様がそれを補助して、ようやく実用に足るのだろう。理屈に見当を付けたって、すぐに真似できるものではない。

 僕が考え込んでいる間、浜小屋連合の連中は足を止めて視線を交わしていた。

 あっさりと水たまりに変えられるのは嫌なのだろう。

 部下を押しのけてゴールディが前に出てきた。


「会長さん、我々に何か落ち度がありましたか。ご挨拶にもうかがったし、我々は全くの無心で大量の物資を運んで来たんですぜ。費用も経費も全部俺たち持ちだ。大損なのに、自分に縁がある都市だからと、タダ同然で……」


 確かに、それは事実だ。

 エランジェスが持ち込んだ物資で都市が潤った。あるいは、不穏な勢力を駆逐して治安に寄与した、というような貢献もあったかも知れない。

 

「ええ。まあ、落ち度としては大勢の人を傷付けたことですね。僕も、そうしてここにいるディドさんもそう。恨みを持っている。殺す理由は十分。そしてなにより、彼の下で娼婦として働かされていた僕の知人が、エランジェスさんを殺さずにはいられないそうなので」


 僕はそう言って金属鎧のゼタを召喚した。

 丁度、場所も郊外に入り、建物もない草原に面している。ここなら多少の炎を撒き散らしたって街へは被害も出ない。

 通常、立ち塞がるのが男なら躊躇いなく火炎を撒き散らすゼタが倒れたエランジェスを見て動きを止めた。

 状況を察するため、兜が周囲を見回す。

 

「ゼタ、君の悲願だ。好きにしていいよ」


 エランジェスと相対するため、生きる鎧となったゼタに僕は囁く。

 鎧の手足が細かく震え、カチャカチャと音を立てていた。

 それが恐怖だったのか、歓喜だったのか。いずれにせよ、ゼタはゆっくりと動き出す。

 足を進めたゼタは、倒れているエランジェスに馬乗りになると横面を平手で叩いた。

 魔力で強化された金属片の打撃は、迷宮深層の魔物相手にはなにものでも無いが、常人のエランジェスには効果が大きい。

 ベキッ、と音を立てて頬骨が陥没する。

 髪の毛を掴んで顔を引っ張り上げると平手打ちをもう一度。

 折れたのか、口から数本の歯と血が飛び出た。

 ゼタは髪の毛を掴む手を持ち替えると、砕けていない頬を力任せに引きちぎる。

 耳まで肉と皮膚が剥ぎ取られたエランジェスの顔が力なくゼタを見つめていた。

 両目の瞼を順に引き裂き、立ち上がると両膝をへし折る。

 太い繊維が切れるような音が響き、凄惨な処刑を傍観する者たちの鼓膜に届いた。

 腰骨を踏み砕き、肋骨を蹴り折る。

 再度馬乗りになると、左右の拳を振り下ろして顔面を打ち続けた。

 誰もが黙り込んで、肉体が破壊される音を聞いていた。

 僕が魔法使いであるように、ゼタもまた魔法使いである。だから、てっきり彼女はエランジェスを魔法で燃やしたいのだと思っていた。しかし、これは僕の思い違いだった。

 ゼタは肉体による暴行で、エランジェスを殺したかったのだ。

 だからこそ、女性の肉体を捨て、男性の肉体を欲したのだ。

 そうして、まさに今。その思いを遂げている。


「あれ、もう死んでんじゃない?」

 

 口を開いて静寂を破ったのはカロンロッサで、彼女の言うとおりエランジェスはもはや痙攣さえしていなかった。

 ただ、殴りつけられる鉄拳の衝撃に動くばかりで、人呼んで『挽肉』のエランジェスは原形をとどめないほどに頭部を破壊されて死亡したのだった。

 さんざん他人に振るった暴力を、我が身に返されて死んだのはザマをみろとは思うものの、誰一人として爽快感を与えぬ死に様には、むしろ流石だなと思わされる。


「ゼタ、動けなくなるまで続けてもいいけど、どうする?」


 ここは濃密な魔力が満ちる迷宮ではない。

 魔法生命体であるゼタの行動可能時間はどんどん減っていくのだ。

 僕の言葉にゼタは数度、拳を打ち落としてから立ち上がり、残りの魔力でエランジェスの死体を燃やした。

 吹き付けられた高温は、臭いも出さずに光と熱に呑み込み、消え失せた後にはそこに残る真っ黒に焦げた地面の他、人間が存在した痕跡は見いだせなかった。

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