第558話 エランジェス
「おう、よく来たな、ガルダの会長さん」
指定された建物へ赴くと、大勢のゴロツキに囲まれ、持ち物検査を迫られた後に大きな事務所へと通された。
さらにその中から扉を通っていくのがエランジェスの私室だった。
時間帯的には既に昼を過ぎているが、これは夜明けに向かうのも失礼な気がして、事前に指定した通りの時間である。
隣の事務所にはそれなりに金が掛っていそうだったが、エランジェスの部屋には簡素な家具が置かれているだけだった。
「ええ、ラタトル商会の端に連なる者としては大口の取引先を相手に、できるだけのことはするでしょう」
僕はどうしたものかと思いながら、来客用らしいベンチに腰掛ける。
エランジェスはニヤニヤと笑い、それを眺めていた。
「会長さん、俺の仕事は知ってるな?」
言われて、どう答えたものか悩む。
「ええと、浜小屋連合の盟主だと聞いていますけど」
「ああ、そりゃ役割だ。仕事とは言い難い。俺の本業は基本的に娼館の経営で、あとのことは全部オマケだ」
大陸最大の闇組織を統べていながら、それをアッサリとオマケであると言い放った男は、硬い靴底の音を立てて床を歩き、僕の向かいに腰を下ろした。
形容しがたい、奇妙な眼が僕を捉える。
「アンタ、奴隷商組合の生き残りなんだってな」
言われるまでほとんど忘れていたが、生前のガルダが組合員株を持っていたので、そのまま僕が継承している。
「いや、実は。この国にいた奴隷商はほとんど死んでるんだ。つうか、まあ俺が殺したんだけどな」
面白くもなさそうにエランジェスは呟き、胸元から手帳を取り出した。
「ええと、そうだな。とりあえず百人ほど女の都合をつけて貰いたい。勝手に商売をしていた連中の商品と、身受けしてきた北方領の女で当面は凌ぐが、やはり消耗品だ。早々に頼みたい」
そんな話をするところを見ると、既に都市内の娼館を奪還し、ある程度の報復も終えたのだろう。
しかし、まいったな。
僕は頭を掻く。
「あの、エランジェスさん。申し訳ありません」
僕の謝罪に、エランジェスは怪訝な表情を浮かべた。
「もっと、物騒な話題になるかと思ったから、いろいろ手を回しちゃいましたよ」
「手?」
「はい、あの……まあいいか。僕も挽肉にされるわけにはいかないのであなた方と事を構えることになるなら皆殺しにしようと思いまして」
その言葉にエランジェスが笑う。
「いいね、俺と敵対したいわけだ」
「まあ、正直に言えばどこかではそれも避けられないかな、と思っていました。この街に住む多くがそうであるように、僕もあなたが怖い。だけど、いやだからこそ看過できないとも思っちゃったんです」
脅威でなければ、ここまで思い悩まなかった。
しかし、この男は妻子や仲間たちも住むこの都市に置いておくには厄介が過ぎる。
瞬間、手帳が飛んできて僕の顔に当たった。
目を閉じた一瞬で、エランジェスは僕が座るベンチの端を掴んでいた。
「ヨイショっと」
傾けられたベンチから、あっけなく転がり落ちる。
そうして、胸を踏みつけられて動きを制されてしまった。
やはり、魔法使いは前衛がいないと初撃が辛い。胸の痛みを感じながら、そんなことを思う。
「俺を舐めてるんだな」
エランジェスは襟を整えながら尋ねた。
舐めてなどいない。迷宮でいえば地下一階の魔物にも劣る男が心底恐ろしい。
魔法を詠唱しようとして、両手を押さえられていることに気づいた。
床から湧き出した影のような人物が二人、僕を取り囲んでいる。暗殺者か。
おそらくそこらの達人級よりも強い。
なるほど。この様な腕利きの護衛も抱えているだろう。
が、まあ些細なことだ。
『流星矢!』
僕は魔法の詠唱に腕を必要としない。
発動した魔法球は二人の護衛に穴をあけて飛び去った。
「面白い」
エランジェスは言いながら崩れ落ちる護衛を掴んで、僕の方へ倒した。
視界を塞がれ、躊躇した瞬間。脇腹へ蹴りを入れられ、息が詰まる。
慌てて立ち上がろうとした瞬間を、突き飛ばされて僕は再び天井を仰ぎ見る。
「このベンチはな、こういうときに持ちやすいヤツを選んでんだよ」
エランジェスはベンチを構えて視界へ現れた。
思うより早く両腕で顔面を庇う。次の瞬間、叩きつけられたベンチと僕の腕が軋む音が響いた。
痛い。が、迷宮で味わった無数の痛みが糧となり、冷静さを失うほどではない。
二発目を受けると、すぐに転がって部屋の隅に逃れた。
と、突如顔面を蹴られた。
さすがに驚いて見れば、先ほどの護衛と同じような風貌をした男が立っているではないか。
二人ではなく、三人だったのだな。
そんなことを思う視界の端にさらに二人の男が現れる。
この簡素な部屋のどこへ五人もの男たちが潜んでいたものか。護衛者たちは二人がエランジェスを庇いながら、一人が僕へ攻撃を加えていた。
ただのゴロツキであるエランジェスなら、腐っても上級冒険者の僕が、体力的にも上だろうと思っていたが、前衛系の実力者が出てくると話が変わってくる。
こちらも、前衛をださねばならないだろう。
そう判断した僕が呼ぶよりも早く、室内へ踏み込んで来たヒリンクは、三人の護衛たちを一瞬で血煙に変えた。
やはり実力は高い。そうして、これほどわかりやすい場面なら剣も振れるらしい。
「大丈夫ですか?」
持ち物検査を強制するチンピラたちを殴り飛ばして持ち込んだ長剣には剣速ゆえか全く血脂が付着していなかった。
「まあ、特にはね。流れでエランジェスさんも斬り殺してくれればよかったのに」
僕が指す先で、エランジェスは場にそぐわない笑みを浮かべて突っ立っていた。
「え、なんか堂々としてるし普通の恰好をしていたから」
一番厄介なのを残してどうする。
しかし、勢いで剣を振るヒリンクに改めて斬れと言っても動いてくれそうにはなかった。
「いやいや、ガルダ会長。面白い部下じゃねえか。うちの腕利きが話にならねえとはね」
両手をポケットを突っ込んだエランジェスが転がる護衛の頭部を蹴り飛ばす。
「ええ、あなた方を皆殺しにしようと思って連れてきましたから」
「え、なんですか? 俺、なんにも聞いていないですよ! ここで教授騎士の会合をするっていうから……」
ヒリンクは慌てたように首を振った。いちいち話の腰を折る男だ。
「んん、会合はやるんだろう? 指定された場所はここであってるよな?」
とぼけた表情で部屋へ入ってきたのは教授騎士の中でもっとも得体の知れない“学者”のオルオンだった。
その後ろから“黒騎士”のグランビルが長剣を帯びて入ってくる。
「なんだ、コイツら。どっかで見たな……ああ、ブラントの部下だった連中か」
エランジェスが言った瞬間、グランビルの額には青筋が浮いた。
「貴様、誰がブラントの部下か!」
「グランビル、落ち着きなさい」
激昂したグランビルを、オルオンが諫める。
しかし、それを聞けない程に腹が立ったのか。グランビルはうずくまって嘔吐するのだった。
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