第555話 夢と希望

 僕はチラリとステアの目を見た。ステアも困った様な表情でこちらを見ている。

 しかし、何が出来るわけではない。

 少なくとも、有能な前衛であるのは間違いないのだ。当たり障り無く、やりすごして帰還する以外にない。

 曖昧に誤魔化して、僕たちは前進を再開した。

 迷宮もこんな深みまで来れば、虫の一匹だって恐ろしい竜の様に変ずる。

 手の平を倍にしたほどの大きさの、薄っぺらい甲虫は羽ばたきながら光線を放ってくる。この光線に当たればあっという間に体が焼き切られてしまうのだ。

 場合によっては巨人や精霊さえも屠る甲虫の大群と、僕たちは遭遇していた。

 しかし、ジャンカとヒリンクはこれをサクサクと切り落として行く。

 高速で飛び回り、なおかつ硬い。それを中空で両断するのだから、やはりたいした腕前だ。

 僕もいくつかの魔法を発動し、半分ほどを一息に落としたのだけど、即死に至らなかった個体にはロバートがとどめを刺していった。

 戦闘そのものはこちらの優勢で進んでいく。

 そう思える内に敵を全滅させたかったが、やはり簡単にはいかない。

 この甲虫は仲間を呼ぶ。

 いや、声が出せないので呼ぶといっていいのかは不明だけれども、とにかくこの手の魔物は戦闘を遠くからでも察知し、次々に同種の援軍が駆けつけるのだ。

 そんな生態だって迷宮で生き残り、より深い層へすすむための順応なのだろう。

 案の定、続々と新手の甲虫たちが飛来し始めた。


「キィ!」


 飛び出したコルネリが空中で体を捻ると数匹をバラバラにして飛び回る。激しく唸る羽も、恐ろしい光線もコルネリを捕らえるには速度が足りていない。

 

「あ、マズい!」


 短期決戦から長期戦へともつれ込む中、前衛で最初に綻びたのは、やはりジャンカだった。

 眼前の甲虫が後ろにさがった。それに目が釣られ、横手からの体当たりをかわしきれなかったのだ。

 小さく軽い甲虫の体当たりはしかし、どういう原理か牛がぶつかったかのような音を立ててジャンカを吹き飛ばした。

 ジャンカが次いで降り注ぐ光線を、無様でも身をよじってかわす事が出来たのは敵の体当たりを腕で受け止めた上に自ら跳んで威力を逃がしたからだろう。が、それでもジャンカの利き腕は無惨に潰れ、千切れかけていた。


『傷よ、癒えよ!』


 即座にステアが魔法を唱え、怪我が治癒していく。

 しかし、五匹倒すと六匹飛んでくる様な魔物が相手ではたまたま救援が遅れて、その間に残敵を倒してしまうか、あるいは魔法で一度に処理するしかない。

 僕は集中して魔力を練る。

 素早く硬い甲虫を一度に全部、となると選択肢は少ない。が、皆無ではない。

 

『風よ、柔らかく巻け!』


 コルネリが慌てて僕の背後へ飛んでいく。これから使う魔法を知っているのだ。

 と、そよ風が僕の前方へ向けて吹き始める。優しく、そうして毒性を含んだ風だ。

 間を置かず、甲虫たちの動きは鈍り、ボトボトと地面に落ちはじめた。

 即死はせずに地面で藻掻いているが、もはや助かることはない。

 

「うぇ、なにこれ。鼻の奥と目が痛いよ」


 ムスッとした表情のジャンカが唾を吐きながら目をこすった。

 ロバートとヒリンクは気にしていない様だが、多少の不快は間違いなくあるだろう。

 なんせ、彼らも一緒に毒の魔法を吸い込んだのだ。

 しかし、これは虫やスライムなどのシンプルな生物群にはよく効くが、人間ほどにも体が複雑だとほとんど効果が無い。

 どうもそこには血の温度が関係するという事らしいのだけど、成れ果てた魔法使いから秘術狩りで入手した魔法なので、いまいち詳しいことは解らないのだ。

 ちなみに、人間も激烈なものではないが目がショボショボしたり喉がイガイガしたりはするので、全く効果がないとは言い切れないのだろう。

 感覚が鋭敏なコルネリは特にこの魔法を嫌い、一度巻き込んでしまった後は数日間、酷く不機嫌だった。

 落ちた甲虫たちは次々に踏み潰され、やっと戦闘が終わった。

 戦闘中には山ほど寄ってくる甲虫たちも、負けが決まればピタリと近づいてこなくなるのだから、不思議なものだ。

 同種族の助け合いや、報復などとはまた違う機械的な原理で動いているのだろうとは誰の言葉だっただろうか。


 ※


 僕たちは毒の空気が溜まった場所から少し離れて休憩を取る。

 前衛の三人も決定的な負傷は避けているものの大小の怪我を負っており、回復のためにステアが魔法を唱えた。


『一同への恵みを!』


 複数名が怪我をしており、また戦闘中でなければステアはパーティの全員に効果が出る高位の回復魔法を唱えることが多い。

 おかげでなんの怪我もしていない僕まで、少し調子がよくなった。

 

「ふむ、流石だ。術者が高名なだけあって怪我もすっかりよくなりましたよ」


 そんなことをヒリンクは言うのだけれど、唱えた者の知名度で魔法の威力が増減したりはしない。

 僕の魔法は魔力への理解と注ぎ込む魔力量で威力が決まり、ステアの場合は信仰心がものをいうのだ。

 

「先ほどの虫も、我々が一匹ずつ叩いていたのと比べて、一撃で何匹もやっつけた。ただ剣を振るしか能のない我が身の小ささに辟易しますね」


「ヒリンクさん、そんなことを言うものじゃありませんよ」


 ヒリンクの嫌みに対して、流石によくないと思ったのかステアが窘める。

 

「この旅路の中にあって、我々はいわば一匹の獣です。牙や爪が、あるいは目や耳や頭脳が各々の役割を果たすから獣は生きていけるのです。脳や心臓を失った獣は死にますが、爪や牙を失った獣だって脳や心臓を守り切れずに結局は死ぬのです。ですから、我々に貴賤も高低もありません。不可分の、一匹の獣なのですから当然のことです。これをご理解いただき、信頼の旅路をともに歩きましょう。その果てには欲するものへ辿り着くことも……」


「無理だろうな」


 ステアのお説教を横からロバートが遮った。


「ヒリンクの夢は教授騎士になることだ。だが、制度も縮小し、あるいは残った教授連中も活動を凍結してしまっている。なにより、冒険者組合がブラントが起こした反逆行為への連座を恐れて教授騎士制度と距離を置こうとしている。その結果、冒険者組合は教授騎士を今後、新規では認定しない旨の声明を出したのさ。だからこんな場所で俺たちが多少の信頼を積み重ねようと、そいつの夢は叶わないんだ」


 それは全部、ブラントが引き起こしたことじゃないか。

 しかしヒリンクの恨みがましい視線はなぜか僕に向けられるのだった。

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