第553話 軽い人々

 娼婦たちをねぐらに送っていくと、やはりそこには件の悪女がいた。


「やあ御頭じゃん。なに、ウチの娘たちを買ったの?」


 細い路地の先にある目立たない住宅から出てきたカロンロッサは僕に気安く声を掛けてきた。

 カロンロッサに挨拶をして娼婦たちはその住宅に入っていく。


「冗談よ。そんな顔すんなって」


 路地に取り残されたカロンロッサはケラケラと笑い、僕の肩をバシバシ叩く。

 

「やっぱり、ディドさんの件にはカロンロッサさんも絡んでいたんですね」


 僕はため息を吐いて呟く。

 薄々はそんな気もしていたが、六人しかいない教授騎士の内で二人も問題に絡んでいれば、既に他人事ではいられないのではないだろうか。


「人聞きがわるいなぁ。なんかそれだとアタシがディドをそそのかしたみたいじゃん。アタシは巻き込まれた側。担当は女の子たちが寝泊まりする宿舎の警備よ」


 この女に掛かれば、敵意を持つ者が路地を通り抜ける事は難しかろう。

 無造作に置いてある木箱や樽だけで無く、転がる石ころだって怪しく見える。

 

「ほら、アイツってこうと決めたら絶対に退かないところがあるじゃん。迷惑だけどさ」


 僕にとっては温厚で優しいディドだが、時々剣呑な表情を覗かせることもあった。グランビルとの決戦などではまさにそうで、額を打ち付けられた借りを百倍にして返すという理由で命を懸けて参戦して来たのだった。

 しかし、同時に周囲の迷惑を顧みず絶対に譲らないという点ではカロンロッサの罠への愛情もかなり特異なので、似た者コンビなのかもしれない。

 

「でも、面と向かって浜小屋連合と揉めるなんて……」


 僕はなんと言うべきか迷った。

 大量に人を殺しているが、無差別殺人者ではない彼らがこの様な行動をするのなら、それに足る理由があるのだ。そうして、強大な個人の行動原理は常に常識や社会規範に優先して現される。

 

「揉めるなんて……」


 ふと、思う。僕は今、何を考えているのだ。

 僕はかつて、エランジェスに叩きのめされた。その上、今回も小物として見下された。

 それを許容できない僕ではない筈だ。支払いが愛想笑いで済むのなら、それが一番安い。

 だが、魔物になりかけた凶悪な本性が、蛇の様に体を這いずるのを感じる。

 喰らう理由があれば、それが些細でも喰らうのだ。

 蛇が絡みつく左腕を、思わず右手で押さえた。


「やだ、大袈裟よ。御頭。アタシたちはただ、奴らを端から皆殺しにしようってくらいで、それ以上の大それたことも考えていないわ」


 同じ様に魔物の目で笑う女を前に、僕は下唇を噛む。

 

「……出来るだけ、人死には抑えてください。狙うのもエランジェスの首一つに絞って。それなら、まだ収拾もつきます」


「ハイハイ、出来るだけね。心がけるわ。もちろん、ディドにも伝える。まあ、アイツのことだから『そんなのは知ったこっちゃねぇんだよ』とか言いそうだけどね。困った男だから」


 欠片も困っていなさそうなカロンロッサに別れを告げ、僕は今度こそ帰路を歩くのだった。


 ※


 目を覚ますと、昼に近い時間帯だった。

 ここのところはずっと夢見がよくない。

 目が覚めて喉を触る。シャツの襟が寝汗でぐっしょりと塗れていた。

 汗が流れたせいもあり喉が渇いているが、水を飲んでも満たされない乾きが心の中にある。

 それでも、とにかく水を飲もう。最近では枕元に水を汲んだコップを置いて寝るのが習慣になっていた。

 コップに手を伸ばそうとふと横を見れば娘のサミが寝ており、そしてこちらも盛大に布団を濡らしている。が、僕と違って微笑ましい部類の話だ。

 水を飲んでサミを着替えさせ、片手に抱くと、残りの手で布団を担ぐ。

 幸いに外はよく晴れていた。

 

「あ、お父さん!」


 既に高く昇った日の下で、息子のアルがハリネと遊んでいた。


「うん、おはよう」


 挨拶をしてサミを渡すと、僕は布団を干した。

 息苦しさも、陽光の下ではほんの少しマシに思えるが、暗闇に生を受けたアルなんかはどうなんだろう。

 

「お父さん、お客さんが来てるよ。礼拝堂に」


「誰?」


「ロバートおじさん、と名前を忘れちゃったけどお兄ちゃん!」


 最近、めっきり利発さに磨きがかかり、大人の顔も覚え始めたアルが聞きたくもない名前を出す。

 それだけでぐったりと疲れるのだけれど、せっかくアルがお利口さんに伝えてくれたのだ。

 僕は彼に礼を言ってサミを受け取ると、礼拝堂へ向かった。

 はたして、そこには神前で神よりも偉そうに佇むロバートとジャンカがいた。

 しかも完全に迷宮へ行く格好をして。


「先生、おはようございます!」


 快活に、元気にジャンカが挨拶をして来たので、僕も返して少し離れた椅子に腰を下ろした。

 と、ロバートが剣を掲げて口を開く。


「オマエのおかげもあって、都市が落ち着いてきていてな、二三日は休みがとれそうなんだよ。迷宮へ行こうぜ」


 ロバートと行動するのは本当に嫌なのだけれど、それでも迷宮への誘いというだけで心がほんの少し浮かれてしまった。

 しかし、どうせ行くのならもっと気心しれたサンサネラとかシグとかと行った方が何倍もいい。

 僕はとりあえず断る理由を探した。


「落ち着くって……いま、都市は治安が悪くなっているんじゃないんですか?」


 僕は昨日、囲まれた強盗の話をしてみた。

 しかし、ロバートは苦笑して首を振る。


「物の欠乏に比べりゃ、大したことじゃねえ。都市の膨張は必ず治安の悪化とワンセットだ。無敵のエランジェス一味、地元のヤクザものたち、難民からこぼれた愚連隊。どいつもこいつも、結局は一緒なんだよ。増えすぎて一定の旨みに食いつけなかった悪党は消えていく。それが誰であったって、俺の立場からすれば微差だ。そうして、悪党が存在しない街もまた、存在しない。エランジェスが負ければ、オマエの主人は損をするだろうが、その辺も含めてしばらくは成り行き任せだ。解ったら、迷宮に行くぞ。さっさと準備をしてこい」


 押し切られると、どうしても迷宮の匂いが鼻の奥に香り、断り切れず僕は準備を始めるのだった。

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