第552話 闇夜の狼

「待て、待て。誰に許可を取ってここで客を引いている?」


 しつこく食い下がる街娼に、三人組の男たちが声を掛けた。

 外見は見慣れない服装をしている。しかし、顔はよく知ったゴロツキのそれだ。


「誰って……」


 急にゴロツキに囲まれた娼婦は鼻白んだ。

 

「あの、ひょっとして『浜小屋連合』の方ですか?」


 僕の問いに三人組のリーダー格がチラリとこちらを見た。


「そうだが」


 僕は胸に手を宛てて大仰に安心して見せる。


「今日、うちの方へエランジェスさんとゴールディさんが訪ねてきて、挨拶をさせていただいたんです」


 急に飛び出した大物の名前に、今度はゴロツキたちがうろたえる。


「そう……ですか。それは存じ上げず失礼しました。しかし、我々も仕事ですので、そちらの女性はどちらの所属ですか?」


 咳払いを一つしたあと、男は改めて質問をとばした。

 娼婦の後ろには個人だろうが組織だろうが、多くの場合は男が控えている。

 それをあぶり出して的に掛けていくのだろう。

 

「ああ、いや。彼女は個人的な友人で、ふざけていただけですよ。ね?」


 僕が娼婦に助け船を出すと、彼女もコクコクと頷いた。飲み込みが早くて助かる。

 ゴロツキたちも信じてはいないようだが、追求はしてこない。

 

「夜は冷えますから、体を冷やさないように一杯やってください」


 僕が懐から小銭を取り出して渡すと、彼らは相好を崩して礼を言った。

 それで話は終わり、彼らは去っていく。

 

「ねぇ、なに今の?」


 娼婦はその背を見ながら小声で尋ねてきた。


「エランジェスって危ない人の一味。知らない?」


「え、私もこの街に来たのは最近だからなぁ」


「彼らの親玉は少し前まで、花街の帝王だったんだ」


「その言い方だとすっごい絶倫っぽいね」


 空気を読まず娼婦は笑う。


「そうなのかもしれないけど、そんなことより気をつけないと危ないよ。しばらくはそういう稼業も控えて様子を見た方がいいかも」


 僕の助言は通じたのか通じなかったのか。娼婦は曖昧に頷いていた。

 しかし、次の瞬間。


「ぎゃっ!」

 

 野太い悲鳴が響いた。

 先ほどのゴロツキたちが歩み去った方角だ。


「あれは……」


 暗闇の向こうで大男が三人のゴロツキを殴り回している。その顔には見覚えがある。


「あ、元締め!」


 隣で娼婦が声をあげた。

 元締め? 彼の横では他の娼婦がその暴行を眺めている。

 少なくとも、娼婦二人は彼の配下なのだろう。僕は驚いてしまった。

 あの男はいつから街娼を束ねる元締めなんかになったのだ?


「ねぇ、ちょっと来て」


 娼婦が手を引っ張り、戸惑った僕はそのままついて行った。

 

「あのね、元締め。その人たちが危ないから商売は控えた方がいいって、この人が」


「ああ?」


 振り向いた顔には凶悪な表情が張り付いていた。

 普段の彼は穏やかな雰囲気を纏っているが、なんどか凶相も見たことがある。

 彼は僕を認めると掴んでいたゴロツキの髪の毛を離した。

 倒れた男たちがむせながら血の混ざった吐瀉物を吐き出すより早く、彼はいつも通りの気安さで僕に話しかけてきた。


「あれ、御頭じゃん。なにやってんの?」


 それはこっちのセリフである。

 

「いつから街娼の元締めなんて始めたんですか。ディドさん」


「ん、二日か三日前かな? いや、急いで女を集めるのが大変だったよ」


 言いながら、その足は倒れた男の背中に落とされる。

 ゴキ、と肩胛骨が割れる音がして、ゴロツキは呻いた。

 

「ちょっと、マズいですよ。その人たちは……」


「エランジェスのところのアホどもだろ。それで、女を売る連中を潰して回ってるんだ。だから当然、俺も粛正対象になる」


 この大男は全部、理解した上で街娼の元締めなんか始めたのだろう。それも大急ぎで。

 理由はもちろん、エランジェスと揉める火種が欲しかったのだ。

 

「そんなわけで、しばらく本業は休む。もっとも最近は開店休業状態だったがな」


 ディドの太い腕が一番軽傷のゴロツキを無理矢理立たせた。

 顔の中心で鼻があらぬ方向を向いており、止めどなく鼻血が流れ出ていた。

 

「ほら、事務所に連れて行け。あるだろ、クソどもが寄り集まっている場所が」


 その太い指が、無造作にゴロツキの揉み上げを掴んで引きちぎる。

 激痛にゴロツキは転げ回ろうとしたが、襟首を捕まれており、倒れる事も出来ないでいた。


「実はこうやって事務所を潰すのも、もう何件目かなんだ。なかなかエランジェスには行き当たらないな」


 ゴロツキに向ける血走った目つきと対照的に、僕にはいつもの苦笑を見せる。

 そうして、娼婦に向かい「今日はもう終わりだ。宿に戻っていろ」と呟くとゴロツキを小突きながら歩き出した。


「あの……このことはカロンロッサさんもご存じなんですか?」


「別にわざわざ相談したりはしないよ。だが、アイツなら俺がこうすることも知っているだろう。そして、止めたって無駄なことも知っている。それだけだ。御頭はどちら側でも、手を出さないでくれりゃいいからさ」


 僕の問いに答えると、それでディドは歩いていってしまった。

 残されたのは半死半生のゴロツキが二人。

 そうして街娼が二人。

 このゴロツキたちの介抱をするのは、ディドに敵対する事になるのだろうか。

 自らの血に溺れて痙攣し始めた二人のゴロツキをそのままに、僕は娼婦たちとその場を離れるのだった。

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