魔法使いの前日譚 番外編 最終話 不確定
地平線から登る朝日を、アンドリューは岩に腰掛けて眺めていた。
日光が射すと下級悪魔の死体が泡立ち、崩壊していく。
残ったのは溶解した肉で、だらりと地面に広がった。
と、同時に猛烈な腐臭が辺りに漂う。
「わー、臭いなー」
顔をしかめながらアンドリューはステンネリを見やった。
目を開いて、今にも何か言い出しそうなステンネリは、結局黙ったままアンドリューの隣で空を見ていた。
周囲に飛び散った悪魔の血液は強酸性で、降りかかった植物をしおれさせているが、死んでしまった植物は光を浴びてもよみがえることはない。
「魔法が効かないっていうのは焦ったよ」
アンドリューは親しげにステンネリへと話しかける。
そのつま先から腹まではアンドリューが燃やしたため、残っていなかった。
興奮したアンドリューが火炎球の出力を最大限に上げたため、ステンネリが攻撃を受けてから絶命するまでほんの一瞬の事だったのだ。
その顔には自らの死も知らないというように最後の瞬間の表情を張り付けたまま、時間が止まっている。
「とても楽しかった。それじゃあさよなら。ステンネリ」
アンドリューはステンネリのやってみせた悪魔喚びの秘術をなぞって魔力を練る。どこからか、忌々しいような声が響き、ステンネリの死体が変質していった。
一瞬ののち、そこにはステンネリが召喚したものよりずっと小さい悪魔が姿を現す。
「材料の量の差かな」
アンドリューは首を傾げる。
小さな悪魔は周囲を見渡し、ほかに獲物がないことを知ると、術者に向かって攻撃を仕掛けてきた。
炎の息。
白々と明るくなりつつある周囲をさらに照らすように炎はアンドリューに吹きかけられる。
しかし、その手前で壁にぶつかった様に炎は散らされた。
「それはさっき見たよ」
アンドリューは悪魔召喚と同時に、悪魔が用いる魔術障壁についても修得をしていた。
「こんなところかな」
アンドリューが放つ火炎球は、悪魔の展開する障壁をすり抜けて悪魔を包む。他者の魔術障壁の解除もできそうだったので試してみたのだ。
それで悪魔はグズグズに崩れ落ち、戦闘は終わった。
アンドリューは立ち上がって、尻を払う。これで、この場所での用事は済んだ。
そうして、牧場とは反対の方へ向けて歩きだす。
新しい魔法も覚え、荒野を一人で行く。この瞬間、アンドリューの胸には幸福が満ちていた。
が。
「おい、アンドリュー。そっちじゃないぞ」
しばらくして背後から掛けられた声で、幸福感は霧消していった。
「僕がここにいるって、よくわかったね」
振り向くと、ロバートが駆け寄ってきていた。
「そりゃあ、わかるだろ」
目立つアンドリューの目撃証言と、途中の戦闘痕を追ってロバートはやってきたのだが、そんなことはいちいち説明しない。
「それより、ほら。山の上にある村へ帰らなきゃ、賞金が受け取れない」
「ああ、あのナントカっていう山賊?」
「俺たちが受け取らないと、担当官が困るだろ。ああいうところじゃ、現金での支払いだし。といってもまだ引き替え期限まで日数あるだろうから、ブラブラしてからでもいいんだけどな。とりあえず当面の路銀は稼げたし」
ロバートが懐から賞金の引換証を取り出す。
半額分をホァンにやってしまったが、それでも相当な金額になる。
「ふぅん……どうでもいいよ」
アンドリューは辟易として、投げやりに返す。
二人は引き返しもせずに、そのまま荒野を歩き続けるのだった。
※
数日後、周囲の街道をぐるりと巡った二人は再び山の上にある村へ来ていた。
詰め所で役人から賞金を貰うと、そのまま件の食堂へ入る。食事時は過ぎていて、他に客もいない。
「はい、いらっしゃい……うう、ロバート!」
そこで二人を出迎えたのはホァンだった。
「あれ、ドラゴン。こんなところでなにをしているんだ?」
ロバートが尋ねると、ホァンは少し気恥ずかしそうに「用心棒」と呟いた。
「へぇ、用心棒の口があったのか」
確かに、ここでは殺人事件が起こったのだから用心棒を置くのもいいだろう。そうでなくとも酔客も相手にする店で女手一つは不用心だ。
「お客さんかい、アンタ?」
背後からホァンに声を掛けた中年女性はここの女将だ。
女将は二人の来客に気づき「あら」と声をあげる。
「アンタたちかい。この男と知り合いなの? とにかく、ほら座りなさいよ。すぐに食事を出すから」
女将に促されてロバートとアンドリューが座ると、すぐに料理は出てきた。
「アンタたちに頼んだバンティング牧場の噂の件だけどね、もういいわ」
料理を置いた女将は二人に向かって告げる。
「アンタたちが行ってから何日かして、バンティングさんの使いが丁寧に謝りにきたの。それもたっぷりの慰謝料を持ってね。今後は節度ある遊び方を徹底させるんだそうだよ。だから、もうそれでおしまい。旦那と娼婦の娘は生き返らないけど、アタシも生活があるからね」
アンドリューは興味なさそうに食事に取りかかり、ロバートは満足そうに頷いていた。
「それより、いい用心棒を雇ったな。見た目は弱そうだが、あれで腕っ節は強い」
「用心棒?」
女将は怪訝な顔ではなれているホァンを振り返る。
「ああ、ちょっと前に泣きながら転がり込んで来たんでね、面倒を見てやっているのさ」
その表情はどこか面はゆく、情夫を見る目だった。
二人がそれで慰め合い、生活を安定させるのならそれもいいだろう。
ロバートは頷く。
「悪くない男だ。料理や洗濯も出来るというし、いざとなれば悪漢も追い払ってくれるだろう」
足りないのはまったく、欲望に見合う行動力と度胸だったが、宿屋の亭主ならちょうど収まりもよかろう。
「あれが?」
最後の部分に疑いが残るようで女将はホァンを見た。見た目の腕っ節ならふくよかな女将の方がガリガリのホァンより、まだ強そうだ。
ホァンが照れながら「な、なんだよ」と早口で呟く。
「ま、頼りにしとくかね。それで、アンタたちはこれからどこへ行くんだい?」
数日前とは別人の様に幸福そうな表情で女将が尋ねた。
「さて、こう言っているがアンドリュー、どこへ行こうか?」
「わからない。でも、捜し物をしながら自由に行けたらそれでいいや」
それだけ答えて、アンドリューはまたパンを咥える。
「そんなわけで、なにも決まっていないよ。適当に歩いていくさ」
ロバートも朗らかに付け加えた。
二人の怪物は、そうして食事を済ませると、ホァンに見送られながらまた新しい旅路を歩き出すのであった。
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