魔法使いの前日譚 番外編 第11話 ムンク
「おい洗濯屋。本当にこっちへその怪物小僧がいるのか?」
苛立たしげにレオーネ兄弟の兄が怒鳴った。
細い裏路地はグチャグチャの泥が堆積し、お気に入りのブーツを無残なものにしていた。
ホァンは腰を下げて路地の先を指す。
「ほら、もうそこに」
「ん?」
言われて鉤状に曲がった路地奥を覗き込んだレオーネ兄は目を見開いた。
手足を縛られ、倒れている男は顔を酷く腫らしているが見間違えるはずもない。弟である。
「どういうことだ、洗ッ……!」
振り向いたレオーネ兄の顔面に石を持った右腕が撃ち込まれる。
ガチン、と音がしてレオーネ兄も弟の隣に崩れ落ちた。
「ほら、四人目だ」
ロバートは倒れたレオーネの顎と鎖骨にも石を打ち下ろして骨を折る。
人間はこれで動きを制限できる。
その上で手足を縛れば、捕虜の完成だ。
「そこそこ名の知れた兄弟首と、小物が二人か」
ロバートは脇から入る倉庫に兄弟を押し込むとざっと賞金額を数えた。
ホァンへ分け前を渡してもそれなりに余裕は出来る。
「なぁ、ロバート。大丈夫かな?」
ホァンは不安そうに賞金首たちを突っ込んだ倉庫を見つめる。
仲間を裏切ったと見られれば、ホァンは首に縄を付けて牧場の入り口に晒されるだろう。
「ううん、俺とすればこの辺でいいんだが、不安ならもっと付き合おう」
「え、俺?」
ロバートの言葉に、ホァンは驚いた顔をする。
この行動はロバートの発案にホァンが付き合わされたものであり、決定権を持たされるとは思わなかったのだ。
「そりゃ、そうだろ。俺はアンタがこの後、ここで用心棒になると思って付き合わせた。が、不安ならここから離れなきゃならん。なあドラゴン。俺はもう十分だが、アンタはどれ程の金が欲しいんだね。俺はそれに協力を惜しまないよ。逃げる路銀だけならもう十分だが、流れた先で生活を始める資金にはどうかな。あるいは、知らん街でレストランを開く開店資金が欲しいならどれほど要る?」
「う……う……」
細い泥道にロバートの声が反射する。
「オマエの欲はどれ程の大きさだ? 天下を丸呑みにするのか?」
全く冗談などではない。暗く、熱い眼光がホァンの胸を押しつぶす。
ホァンが大豪邸を買えるだけ、と答えてもこの男は迷いなく頷きそうだ。
ホァンが知るだけで用心棒に混ざる賞金首はあと七名。
この男に話しかけられた瞬間から、東龍のホァンは引き返す点など既に見失っていた。
※
すっかり辺りは暗くなり、縄使いのグロッギーを呼び出した時にそれは起こった。
無愛想を絵にしたような顔の男を路地裏に誘い込み、背後からロバートが棒きれで殴りつける。
しかし。
「オマエに呼び出されたヤツが帰ってこない。流石に気づくぜ、洗濯屋!」
グロッギーは片腕で棒きれを受けていた。
硬い!
骨ごと砕けよと振り打った一撃は、棒きれの方を折るにとどまった。
腕になにか仕込んでいる。ロバートがそう思ったときにはグロッギーが逆の手で細い縄を投げていた。
小さな重りが先端に着いた縄がロバートの片足に絡みつく。
舌打ちしながらロバートが投げた棒きれを、首を振ってかわすとグロッギーは紐を引っ張った。
それだけでロバートはバランスを崩される。
「三人を殺したヤツってのもオマエだな?」
見当違いの事を言いつつ、グロッギーは先ほど打撃を受けた袖から縄と金属の棒を取り出した。
手首から肘までの長さよりやや短い金属棒は小指ほどの太さで、先端が尖っていた。これを縄でぐるぐる巻きにして攻撃を受けたのだろう。
「もとは猟師か?」
ロバートは片足で立ったまま問う。
鉄棒は罠猟師が捉えた獲物にとどめを刺すときに用いるものだった。
足音も気配もほとんど消していたロバートを察知した感覚の鋭敏さも、それを裏付ける。
「今は思い上がったバカを黙らせるのが仕事だがね」
クルリと金属棒を構えて切っ先を向ける。
細く真っ直ぐな棒では胸か喉でも刺さない限り致命傷にはなりづらい。
「穴だらけにしてやる。細かい話を聞くのはその後だ」
嗜虐的な笑みを浮かべて笑うが、片足を制されたロバートは周囲を確認していた。
やはり手柄は独り占めしたいのか誰も連れてきてはいない。
シュ、と鋭い動きで金属棒が突き出される。
片足を上げながらもロバートの手はそれをしっかりと握ったが、止まらない。引っかかりもないので滑るのだ。
「よっと!」
だが、ロバートもそんなことは理解していた。
金属棒を握ったのは、止めたり奪ったりする為ではない。矛先を変える為だ。
先端を自らのわき腹に誘導すると、そのまま刺させる。それも勢いを利用してわざと深く。
瞬間、金属棒の上を滑ったロバートの手はグロッギーの手を握る。
ベキ、と音かがして人差し指が折れた。
「グッ!」
顔をしかめたグロッギーの指はさらにグリグリとあらぬ方向に向けられる。
これで縄か金属棒から手を離せばしめたものだが、流石にそこまで甘くないらしい。
縄と金属棒を持ったグロッギーの両手。グロッギーの指を握るロバートの片手。
余った一本の手が、仕方なくグロッギーの顔に押し当てられた。
「ググオオオオオ!」
獣の様な叫び声を上げてグロッギーは両手を離して後ろへとびすさる。
「……貴様!」
顔面を真っ赤に紅潮させてグロッギーがわめく。
顔を押さえる手の下で、眼球が一つ潰れていた。
「どうした。野山の獣は目なんか狙って来なかったか?」
ロバートは体液の付着した親指を服で拭い、わき腹に刺さった金属棒を引き抜いた。
蓋がなくなり、流れ出る血が服を黒く染めていく。
致命傷ではないが、軽傷でもない。しかし、ロバートは全く気にせず金属棒をグロッギーに向けた。
形勢の不利を突きつけられたグロッギーは一つ目で退路を探る。と、判断は速かった。
「クソ洗濯屋!」
グロッギーはホァンに飛びつき、首へ腕を回す。
大人と子供ほどの体格差だ。
「コイツの首をへし折られたくなかったら、どけ小僧!」
その言葉の途中に、ロバートは飛んでいた。
金属棒を盾にされたホァンへ向かって真っ直ぐ突き入れる。
ホァンごとグロッギーを貫こうとした金属棒はしかし、直前でホァンに叩き落とされた。
ホァンにもグロッギーにも致命傷にならない場所を選び延ばした手だ。
躊躇い無く刺し抜くつもりの手から落ちた金属棒が地面に突き刺さる。
戦闘中に余計な思考をしないロバートが、思わず自分の手を見つめた。
ペチンと弾かれただけなのに激しく痺れている。
と、ホァンは両足を広げて背後に向けて肘打ちを放った。
金属棒を叩き落とす事から、一連の動きで打ち込まれた肘は、体重で勝るグロッギーを押しのけることは叶わない。
しかし、次の瞬間グロッギーの口から内蔵を絞ったかと思うほど大量の血液が噴出した。
ロバートとホァンと路地を赤く染めた後、グロッギーはガクガクと震えながらさらにゆるくなった泥の中に崩れ落ちる。
「あ……あ」
倒れ伏したグロッギーをホァンが呆然と見下ろしていた。
「慌てて、俺、殺してしまったかもしれねぇ」
縋る様な目でロバートを見つめるホァンに、ロバートは頷く。
「構いやしない。どうせ殺人で追われていた男だ。生きたまま引き渡したって縛り首だよ。それに俺と相棒だって十人追いかけたら六人は間違えて殺している。だからそんなことは気にしなくていい。それよりアンタ、本当に腕利きの拳士だったんだな、ドラゴン!」
殺人の抵抗感に下唇を噛むホァンと裏腹に、ロバートは無邪気に笑い痺れた手を撫でるのだった。
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