魔法使いの前日譚 番外編 第8話 踊る人影
ステンネリは酒場を出てしばらく行ったところで見つけることが出来た。
なんせ、他の連中が寄りつかないのだ。特徴的な黒ずくめも相まって人混みにあっても見つけやすい。
「ねえ、待ってよ」
アンドリューは駆け寄ってステンネリに声を掛ける。
追いついた頃には用心棒がバラついていて、真っ暗な道をステンネリは一人で歩いていた。
だが、アンドリューの呼びかけに応えず、ステンネリはトツ、トツ、と歩き続ける。
たいして時間は経っていないのに、いつの間にか街の喧噪から遠く離れていた。
明かりといえば天に映える星たちだが、それすら生気を失うように薄くなっていた。
「ねえって」
アンドリューが肩を掴むと、漆黒のポンチョがバサリと地面へ落ちる。
「なんだ、ソイツが欲しかったのかい?」
背後から枯れた声がして、アンドリューは振り返った。
暗闇の中で、ステンネリの眼光がギラリと輝いていた。
「犯人はオマエだ」
ステンネリの人差し指が眼前にドンと突き出され、アンドリューは息が出来なくなった。
体が鉛の様に重くなり、膝を突いたアンドリューを見てステンネリがクツクツと笑う。
パチン、と手を叩くと空気が帰ってきてアンドリューは大きく息を吸った。
「そう慌てるな。たった一呼吸を欠いただけだ。こんなもんは放っておいても最後には体が勝手に呼吸をする」
掴んだ筈のポンチョは消え失せ、ステンネリが変わらずに身に纏っていた。
攻撃を受けた!
アンドリューの中で魔力が猛烈に巡る。いつでも事象を書き換え、そこに炎を生じさせる準備を整える。
上半身を起こしたアンドリューに、しかしステンネリは興味なさそうに視線をそらすと、振り返って歩いて行ってしまった。
「ま……待ってよ!」
慌てて立ち上がると、ステンネリを追う。
その場からそう離れていない所に洞窟があり、ステンネリはその暗闇へ身を浸していった。
アンドリューは入り口から中を覗き込んだものの、なんの光もない。完全な暗闇がそこに広がっていた。
「くそっ!」
アンドリューは人差し指を立てると、その上に大きな火球を生じさせた。
一気に周囲が明るくなり、洞穴の中を照らす。
と、木製のパイプを咥えたステンネリが火打ち石を擦ろうとするところだった。
「うん、便利なもんが使えるじゃないか。そこの蝋燭に火を着けてくれよ」
確かに洞穴の入り口には燭台に蝋燭が立てられており、アンドリューはそれに火を灯した。揺らぐ火がほんのわずか、頼りなく周囲を照らす。
元々夜目は利く方だ。アンドリューは蝋燭の代わりに魔力の火炎を掻き消した。
「ねぇ、さっきのも魔法?」
アンドリューは洞穴の奥を見通した。
十歩と少し進めば行き止まりの小さな穴だが、木箱がいくつか積んである。
「魔法……か。まあ似たようなものだ。それより、座れよ」
低く響く声は空間に反響し、抗いがたい印象をアンドリューに与えた。
洞穴内には簡素な椅子が二つある。
ステンネリは火打ち石で藁に火を着けると、器用に枯れ枝に火を移し、見る間に焚き火へと仕上げた。
その横に椅子を持ってくると、アンドリューに手招きをする。
アンドリューも椅子を取り、焚き火を挟んで座る。そうしなければならない様な気がしたのだ。
ステンネリはパイプの先端に糸くずの様なものを詰めると火の着いた木切れを拾ってパイプの口に近づけて吸った。
糸くずが赤々と燃え、火が消えた直後にステンネリの口から大量の煙が吐き出される。
「オマエさん、名前は?」
「アンドリュー」
躊躇わずに応えたアンドリューに、ステンネリは笑いながら再度パイプを吸った。
焚き火の炎で顔の陰影が動き、印象が一瞬ごとに変わっていく。
「よし、アンドリュー。俺は別にオマエを捕まえたいわけじゃない。服や靴なら給金で十分に賄える。それ以上欲しいわけじゃない」
「僕を捕まえる?」
アンドリューが怪訝な表情を浮かべる。
「おいおい、牧場の用心棒を三人も殺したのはオマエさんだろう。今更とぼけなくていい」
三人を殺す。そう言われてもピンとこず、考え込んでようやく酒場で三人を燃やした事に思い当たった。
「ああ、怪物みたいな顔の男って僕の事なんだね」
アンドリューの得心にステンネリは声を出さず、表情と肩の動きだけで笑った。
「可愛らしい顔だ。怪物を探して街を歩いたってまず見つけられやしない」
ステンネリはパイプを手で持って目を細める。そうすると目が一本の皺の様になり、顔中に刻まれた皺と相まってどれが目か解らなくなる。
「じゃあ、君はなんで僕が殺したって解ったの?」
自分自身でも忘れていたのに。アンドリューは内心で質問に付け足した。
カチ、と音がする。
見ればステンネリの手には左右とも人差し指と中指に二個ずつ指輪がはめられていた。
フゥ、と白い煙が吐き出される。
胸元から覗く、石のネックレスが首の動きに連動してジャラリと音を立てる。
反響する声と、いくつかの音。わずかに幻覚作用を持った煙。それに明滅する蝋燭と焚き火の酩酊感がアンドリューの気を徐々に遠くしていった。
深く、昏い闇に落ちていくような妙な感覚だけがアンドリューを苛んでいく。
焚き火の向こうでグラグラと揺らめくステンネリが、ゆっくりと囁く。
「どうだい、坊や。怖くなったろう。何もかも忘れて逃げるこった。この街へ二度と来なけりゃ、怖い思いはしなくていい」
「嫌だ」
しかし、アンドリューは強烈な目的意識から申し出を明確に否定し、その一言で意識を取り戻していた。
このままここを去れば、それで原因さえ忘れて無意識下でこの街に近づかなくなる。
催眠の成功を確信していたステンネリは、その力強い返答に驚き、細い目を開くのだった。
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