魔法使いの前日譚 番外編 第6話 楽器

 スージーはゼイゼイと荒い息を吐いてベッドに寝そべった。

 白い肌が全身真っ赤に紅潮している。


「……イケメン舐めてた! なんでこんなに上手いの!」

 

 喘ぐように言うスージーの尻に、こちらも裸のアンドリューがポンと手を置く。それだけでスージーはあられもない声を上げて絶頂に達する。

 

「ダメ……ダメだから今は触らないで」


 甘い声と絶叫の間で、しかしアンドリューは女が本気で拒否しているのか、或いは望んでいるのか、望んでいるとすればどういうことなのかの正解をしっかりと理解していた。

 丁寧に撫で、唇を這わせる。吐息を吹きかけ、指で探る。

 安普請のアパートで、スージーの声は筒抜けとなり、客と商売に昂じていた娼婦たちも手を止めて客と共に廊下へ集まっていた。


「助け……死ぬ! もうやめて!」


 絞り出す声を心配した同僚が扉を叩いた。


『スージー、大丈夫?』


 アンドリューが手を止めて返答を促した。

 

「ああ……大丈夫。ちょっとお客さんが、凄くて……ううっ!」


 言葉の途中で再開された行為の気配に、廊下の客と娼婦たちは顔を見合わせるのだった。


 ※


「アンタ、何者?」


「だから、旅人だって」


 長い情事が終わり、アンドリューはさっさと服を着込んでいた。


「そういうことじゃなくて……女あしらいがそこらの女衒じゃ話になんないよ。どんな経験を積んだらそうなるの?」


 どんな、と聞かれてアンドリューは故郷での日々を思い出す。

 故郷にいた頃は、身近にいる女たちから組み敷かれ、誘われ、行為を強制された日々があったのだ。それは痛々しさを伴う少年期から青年となった出奔の直前まで続き、痛みのない傷を重ねる毎に学習能力の高さから女性の体や欲望を理解していく。その回数は娼婦であるスージーさえ遙かに上回っていた。

 望まれた欲情を満たすやり方を身に付けるのが、妙に執着する女たちからの物理的嫌がらせを避けるのに一番楽な方法だったのだ。

 一方で、それ故に搾取側の欲求は一層高まり、同時にアンドリュー本人に被害者意識の無さも影響して悪循環は加速していたのだった。

 が、そんなことをいちいち説明する必要も感じず、頭を掻くと「いろいろ」とだけ呟いた。

 

「あ、待って。髪、髪」


 そもそも、そういう口実でスージーはアンドリューを連れてきたのだ。

 枕元の小棚から櫛を取り出すと、裸のままアンドリューの背後に座り髪をそっと解かしていく。

 しばらく無言で時間が流れた。

 ふと、アンドリューが口を開く。


「そうだ。お金はいる?」


 娼婦と寝たのだから、当然といえば当然だが、スージーは断った。

 

「ここの家賃、高いから貰いたい気持ちはあるんだけど、君をお客さんとは呼びたくなくなっちゃったんだよね。なんとなく」


「へえ、この部屋は高いんだ」


 スージーの恋心を無視してアンドリューは部屋を見回した。

 望まれれば女に尽くすが、それはそういうものだからであって、恋愛感情などまるで持ち合わせていないのだ。


「この部屋っていうか、この辺りの建物はほとんどバンティングさんのものなんだ。だから、農場で働いてる人とかもいいお給料を貰ったって結局はバンティングさんの元に帰っていっちゃう」


 ふぅ、とスージーはため息を吐いて呟く。生活には家賃の他にも元締めに払う金もいる。

 体を売って、それでなお生活が苦しいのだ。


「じゃあ、他に行けばいいんじゃないの?」


 部屋といってもベッドが置けるだけの仕事部屋を兼ねたもので、他にほとんどスペースもない。トイレも炊事場も一階に共同のものがあるばかりである。

 ここが魅力的な自宅には、アンドリューにはとても見えなかった。


「ううん、でもここだとお客さんが途切れないんだよね。牧場関係の人が沢山いるから。それに、一応はバンティングさんの膝元だからお客さんも無茶はしないし」


 お行儀よく遊んで満足できればそれでよく、無茶をしたい場合は少し離れてアンドリューたちをそそのかした女将がいる、山上の村などに行くのだ。


「へぇ……」


「アンドリューが連れていってくれるなら、ついて行こうかな」


 ほんのわずか勇気を込めて、冗談めかした言葉をスージーは吐く。

 しかし、それに対する回答は怪訝な表情だった。


「旅に出るのはいいけど、一人で行きなよ。そうじゃなくても僕には変なヤツが着いてきてるんだから」


 アンドリューにとってロバートは有用な同行者であるが、着いてきてくれと頼んだ覚えはない。それどころか、何度か別の道を行こうと告げたこともある。

 それでもロバートは離れず、ずっと一緒にいるのだ。

 

「僕の旅は、僕の意思で行きたいところにいって、知りたいことを知る。でも、他人が一緒だと僕の意思が薄れちゃうんだ」


 ことにロバートは強烈で、アンドリューの意思を何度も挫いてきた。

 そして、ある面ではアンドリューを縛る枷として決定的な怪物への変貌を抑えていた。

 だが、ロバートの事など知らないスージーは「そっか」と落胆する。快楽と共に芽生えた小さな恋心は、無残に踏みにじられたのだ。

 

「こんな感じかな?」


 スージーは綺麗に編み込んだアンドリューの髪を撫で、鏡を取った。

 もちろんアンドリューに見せるためだったが、アンドリューはそれを受け取らず立ち上がると、先ほど購入した帽子を無造作に被る。


「それじゃ、さよなら」


 時間も経過し、そろそろ牧場の幹部用酒場も開く頃である。

 いい暇つぶしになった。活気がある街というのはこういうときに退屈をしない。

 そんなことを思いながら、アンドリューは部屋を出て行くのだった。

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