魔法使いの前日譚 番外編 第5話 変なヤツ

 牧場は目と鼻の先にある。

 だが、異常事態を知らせに走る者は皆無だった。

 その場にアンドリューが残っていたから。

 呼吸音さえたてるのを憚られる店内で、アンドリューは口の軽くなった店主に質問を続けていた。

 

「ああ、そう。じゃあ有名な方の人たちには専用のバーがあって、あんまりここへは来ないんだね。わかったよ。そっちに行ってみるね」


 ニッと笑い、アンドリューは席を立つ。

 だくだくと緊張の汗を流す店主はゆっくりと頷いた。

 

「お金、いる?」


 投げかけられた問いに、今度はゆっくりと首を振る。

 とにかく、一刻も早く消えて欲しいのだ。

 

「ありがとう」


 アンドリューはそう言い残して店を出ていった。

 それからしばらく、無音の店内に居並ぶ酔客たちは沈黙を固持し続け、一番最初に物音を立て始めたのは大きな蠅だった。

 牧場で糞に群がっていた蠅の数匹が転がる死体に群がり始める。

 先ほどまで生きていた三人は、三体の死体となり、世界は早速それを分解に掛かったのだ。

 徐々に大きくなる羽音に背を押され、馴染み客の一人がようやく口を開いた。それも恐る恐る。


「これ、どうしようか?」


 沈黙が破られ、店主はフゥと息を吐く。

 先ほどまで流れるままだった冷たい汗を、ようやく袖で拭った。


「すまんが、牧場へ知らせに行ってくれ。少なくとも死体は引き取ってもらわにゃならん」


 強面の店主は手近なイスに腰を降ろし、鉛の様な体を休める。

 今はなにも考えたくなかった。


 ※


 アンドリューが聞いたところによれば高級幹部用の酒場は少し離れたところにある上、夜しか営業をしていないとのことだった。

 仕方がないのでアンドリューは街を見て歩いた。

 露天で帽子を買ったり、お菓子を眺めたり。活気がある街というのはこういうときに退屈をしない。

 と、物々しい連中が複数名で通りを駆け抜けていく。

 アンドリューは気づかなかったが、先ほどの三人と同じく、彼らは用心棒のバッジを胸に着けていた。

 

「どけ、道を開けろ!」


 先頭の男が怒鳴るまでもなく、通行人たちは脇によって通行の阻害をしないようにしていた。そうして、通行人の半分ほどが目的地を変更し、走り抜けた用心棒たちの後をついて行く。他人のもめ事は貴重な娯楽だ。

 こうして、先ほどの酒場の前にはあっという間に野次馬の人垣ができあがる。

 アンドリューは露天で買った蜂蜜のお湯割りを飲みながら、人垣を離れて見ていた。

 露天主など仕事があって人垣に参加しない者も、遠巻きにそちらを見つめているので、なにかおもしろい催しがあるのだろうかと思ったのだ。

 しばらくしてワッと声が挙がり、人垣が割れる。

 しかし、そこから覗いたのは、なんのことはない。戸板に載せて運ばれる三つの死体だった。

 なんだ、とガッカリして飲み物に視線を落としたアンドリューの前を用心棒たちが死体を運んでいく。


「うわぁ、頭とか炭になってる。どうやったらあんな風になるんだろうね」


 アンドリューの横で同じ飲み物を手にした女が楽しそうに呟いた。


「ちょっと、アンタに言ってんのよ。無視しないでよ」


 女が肘でツツいてきてようやく、アンドリューは自分が話しかけられたのだと知る。


「誰、君?」


 怪訝な表情で女を見る。

 ほんの少し色素が薄い黒髪を束ね、木綿の長スカートを履いた女だった。年齢の頃はアンドリューと同じくらいだろうか。

 

「アタシはスージー。娼婦よ」


「僕はアンドリュー。旅人」


 よろしく、とは互いに言わない。道ばたで雑談を交わすだけの相手であるからだ。

 

「あれ、燃えたんだよ」


 アンドリューは通り過ぎる三つ目の死体を指さして言った。


「いや、そりゃそうでしょうけど……人間ってあんな風には燃えないでしょ。燃えるなら全身が真っ黒焦げになるというか」


 スージーは目を血走らせた用心棒たちに気を使い、小声で答えた。


「顔が燃えたというよりも、上半身を包むように炎が発生したんだ」


「酒場の中で?」


「酒場の中で」


「三人とも?」


「三人とも」


 大まじめに答えるアンドリューにスージーは目を丸くし、次の瞬間吹き出してしまった。


「アハハハ、アンタ面白いね。そんな事もあるかもね」


 用心棒が死体を運び去った通りは、あっという間に元通りの雰囲気を取り戻しており、もはやスージーも興味を失った様だった。

 次いで、スージーが話題にしたのはアンドリューの髪である。


「へぇ、アンタの髪って綺麗ね。触っていい?」


 スージーは断りを入れてアンドリューの髪に触れる。

 

「わぁ、でも絡まってるわ」


 寝起きでそのままのアンドリューの髪を、スージーは手櫛でとかそうとして、すぐに諦めた。

 

「ちゃんとした櫛がいるわね。ねぇ、アンドリュー。アタシん家に来ない? ここなんだけど」

 

 そう言うと、スージーは背後の建物を指す。


「へぇ、大きな家に住んでいるんだね」


 アンドリューの言葉にスージーは一瞬、キョトンとしてすぐに笑った。

 その建物は木造の古びた四階建てアパートであり、スージーの部屋は最上階に位置する一番小さい部屋の一つだったのだ。

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