魔法使いの前日譚 番外編 第4話 人間型の生き物

 アンドリューが目を覚ますと、大きなアクビを一つ。

 布団から這い出て洗面を済ませると、夜遅くまで活動していたらしい相棒に一瞥くれず部屋を出て行った。


「わあ、臭い」


 朝日が昇りつつある時間帯であっても牧場は活気に満ち、生命力の匂いが鼻を突く。具体的にいえば畜舎から掻き出され、山と積まれた畜糞類のせいであろう。

 そこかしこの家畜舎で忙しく働く少年少女がおり、広い柵の内側でゆったりと馬を走らせる者もいた。

 各々が役割に沿って動いているのだろう。しかし、なにもやることがないアンドリューに取っては別に感慨も無い。

 牧場の前には大通りが走り、その向こうに役所の建物がある。さらにその背後には大小様々な建物が並び、街を形作っていた。

 そちらの方が臭くなさそうだ。ただそれだけの理由でアンドリューの足はそちらへ向かう。

 細い道を通って裏通りに入ると、そちらはそちらで、別の生臭い空気が充満していた。人間が生活する臭いである。

 通りには所狭しと木造アパートが建ち並び、一階は商店や飲み屋になっている。

 延長は短いが、活気のある市街地を形成していた。それは牧場関係者の居宅であり、本人やその家族を満たす為の商店街である。

 早朝労働者を当て込んだ軽食屋が大鍋をかき回し、深夜の酔漢をカモにした夜の蝶たちがボンヤリと掃除をしていた。

 西方領都の下町とも違う猥雑さに、アンドリューは周囲を見回しながら足を進める。

 と、一軒の酒場が目についた。

 街も大きくなれば、どんな時間でも酒を飲ませる店というのは営業しているものだ。

 扉を開けて中に踏み入ると、まっとうな暮らしとは縁遠そうな連中が視線を向けてくる。

 しかし、この場合はどう見てもアンドリューの方が場違いなのであって、早朝から安酒を口に運ぶ薄汚れた酔客たちも、突如として入って来た美しい異物に視線を向けるしか出来ないでいた。


「やあ」


 カウンターの椅子に座ったアンドリューが店主らしき男に声を掛ける。

 禿頭で片目を眼帯で隠した店主はグラスを拭いていたのだが、気まずそうに視線を泳がせた後、誰も助けてくれないのを確認して口を開いた。


「坊や、ママのミルクなら家に帰って飲みな」


 なぜそこまで露悪的に接するのかと言えば、無垢そうな青年が泣きを見るまえに、治安の悪い店から立ち退いて欲しいからだ。

 しかし、アンドリューはそういった真意を勘案しない。


「ミルクもお酒もいらないんだけどさ、おじさん。そこのナントカ牧場の話を聞かせてよ」


 そう告げていくらかの現金をカウンターテーブルの上に置く。

 旅の中で情報収集を担当するロバートが「酒場のオヤジに金を握らせるのが一番いい」と言っていたのを思い出したのだ。

 当然、その様な行為は声をひそめ、こっそりとやる。そうしなければ情報を流したとして酒場の店主が責められてしまうからだ。

 アンドリューは他の客にも聞こえる様に話してしまったので、これで店主は口をつぐむしかなくなる。

 この街の実力者であり、上得意の関係先を理由無く敵に回すわけにはいかない。生活が懸かっているのだ。

 

「悪いことは言わんから、さっさと帰りな」


 店主は金を押し戻し、そうして、きちんと声をひそめてアンドリューに忠告する。

 

「いや、全然別に、牧場の悪口でもいいよ。なにかあるの?」


 アンドリューが無邪気にそんなことを言うものだから店主はたまらない。

 はたから見れば声を抑えて悪口を吹き込んだように見えるではないか。

 こと、こうなっては仕方ない。店主は咳払いをしてグラスを置くと、はっきりと告げた。


「小僧、すぐに出て行けと言ったんだ」


 しかし、その会話を横から別の客が遮った。


「いいよ、オヤジさん。後は俺らでやるから」


 三人の酔客がアンドリューを取り囲んでいる。

 三人ともバンティング牧場のバッジを胸に着けており、用心棒の身分を示していた。

 とはいえ、仕事そっちのけで早朝から酒を飲むような連中である。多少の事なら片目を瞑って見逃したかった。しかし、アンドリューの堂々とした態度は看過するには大きく、後ほど目撃者の噂話で上役に怒られてもたまらないので、のこのこと出てきたのだ。


「きれいな顔の兄ちゃん、ここじゃなんだ。表に出ようか」


 三人組で一番若い男が気怠げに表通りを指した。事実、多少の酔いがなにもかもを面倒にさせていた。せっかくの酒も間抜けな世間知らずのせいで台無しである。

 であれば、せいぜい雇い主の為に汗を掻くしかない。

 牧場を嗅ぎ回る怪しいヤツを三人で袋叩きする。そんな筋書きなら人目に付いた方がいい。


「あ、なにか教えてくれるの? じゃあこれ」


 アンドリューは机の上の金を手にとって三人組につきだした。

 用心棒たちは顔を見合わせ、アンドリューの話の通じなさに首を傾げる。


「そういうこっちゃねえよ……」


 ため息を吐く若い男を押し退け、一番年かさの男がジャケットを広げて内側を見せた。そこには丸く束ねられたムチが納められていた。牛革を細く刻み、細かく編み込んだ逸品である。


「コイツの味なら好きなだけ教えてやろう。とにかく立ちな」


 ムチの握りに手を伸ばして男は歯を剥いてみせる。

 しかし、今度はアンドリューが苦笑いを浮かべるのだった。


「不味そうだからいらないかな。なんだか汚いし」


 その言葉は三人の鼓膜をしっかりと叩き、しかし意味を為さなかったようで三つの顔が怪訝に歪む。


「おい、違うぞ小僧。そいつらはムチを食事として出そうとしてるわけじゃなくて、おまえさんをその武器で痛めつけてやるって脅してるんだ」


 カウンターの向こうから店主が意味を伝えた。

 

「あ、なぁんだ。わっかりにくーい」


 納得のいったアンドリューは頷いて笑う。


「じゃあ他の人に教えて貰うからいいや」


 言い終わるよりも三人が火柱と化す方が早かった。

 肺が焼け、断末魔の絶叫すら残せず転げ回る三人の火は転がった床さえ焦がさずに消える。

 残されたのは、顔面から胸の辺りが炭化した死体が三つ。それに酔いが一瞬で吹き飛んだ酔客たち。眉一つ動かないアンドリューと、眼前の青年が人喰いの怪物であることを知らされた店主だった。

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