第548話 沈黙のギー
「まぁ、どうでもいいか。いろいろとやることも多いんでな。ゴールディ、あとは詰めとけよ」
「はい、エランジェスさん」
エランジェスは配下のゴールディに言い残すと、さっさと建物を出ていった。
扉が閉まり、たっぷりと時間が経ってからようやく、ご主人とゴールディがホッと息を吐く。
気持ちは僕も分かる。エランジェスの側では常に空気が重く、苦しい。
平穏を愛する主義の僕やご主人にはロバートと並んで天敵の様な男だ。
「ええと、我々はしばらくこの都市に滞在させていただきまして、なんやかんやと用を済ませますので、なにとぞ万事ご理解の上でご協力願いますよ、会長さん方」
丸鼻のゴールディはへへ、と愛想笑いを浮かべて告げた。
「あの、ちなみに用ってなんですか?」
僕は気になって尋ねる。
「ええ……と、どこまで話していいのかな。まあいいか。エランジェスさんが殺すと決めた連中を皆殺しにするまでです」
悪びれもせずゴールディは答えた。
「いや、ちょっと……殺人って」
流石に僕もギョッとしてしまう。
ここは地上であって迷宮の中ではないのだ。
ブラントが多くの兵士を伴い出立してからこっち、難民の流入も伴って治安は大きく悪化しているものの全くの無法地帯というわけではない。
雇用創出も兼ねてロバートが編成した非冒険者出身の警邏部隊や捜査隊がそこらを歩き回っているし、住民の自衛も盛んである。
しかし、ゴールディは慌てて首を振った。
「ああ、もちろん表でやるわけじゃないですよ。こっそりと人目の付かないところで。ええ、この辺りの岸で御支配様に逆らったりご迷惑を掛けたりはしませんや。今までもね、私らはずっとそうやって来たんですから」
ゴミはきちんと決められた通りに処分します、と言うような雰囲気でゴールディは言うのだけれど、殺人の手法なんて知ったことか。
「少なくとも、その名簿に我々は入っていないということですか?」
滝のように汗を流しながらご主人が口を開いた。
「ええと、どうでしょう。最終的にはエランジェスさんの頭の中に誰の名前があるか、俺には知りようもなくて。あの人、誰かに相談とかしないですから。でも、多分大丈夫でしょう」
ゴールディの適当な慰めにご主人は視線を落とす。
「だから挨拶に来たんでしょうから。ほら、娼館を運営するにも消耗品やなんかを仕入れるのに地元の商人に頼らにゃならんでしょう。末永く、平和にお付き合いしてくださいよ。会長さん方」
笑顔を浮かべたゴールディは立ち上がって汗を拭う。
「それじゃあ、私もこのへんで失礼しますよ。これをもって我々『大洋浜小屋連合』が庭場へ立ち入らせていただく挨拶と致します。これから少々お騒がせすることも在ろうとは存じますが、至らぬ点は寛大なお心でお許し頂き、助け合いを旨にお付き合い願います」
両足を広げ膝に手を当てると、ゴールディは頭を下げたまま口上を述べた。
そうして最後に愛想笑いを一つ残して去って行くのだった。
取り残された僕とご主人はなんとも言いがたい感情になり、目を見合わせた。
「あの、ご主人。『大洋浜小屋連合』ってどんな組織なんですか?」
僕の問いにしばらく考え込んでから、ご主人は『大洋浜小屋連合』の概要を話してくれた。
そもそも大陸西端ではゴールディが反逆者どもの海と呼んだ巨大な海に面しており、海岸線に沿って集落が点在するのだという。
浜辺には漁師や船乗りなどの気性の荒い連中が屯し、やがて地縁や血縁で結ばれた連中が徒党を組み始めた。その時に拠点にしたのが海辺に立った浜小屋と呼ばれる粗末な建築物だったらしい。
浜小屋は悪漢たちのたまり場であり、交易倉庫であり、飲食店であり、売春宿であり、賭場であった。
つまり、様々な業態の連中が浜小屋を中心に活動し、勢力を伸ばしたのだ。やがて浜小屋同士は広く連合を組み、大きくなっていった。権力者や既存の商人組織と結びつき、飲み込んだ組織は国家の枠さえ軽々と飛び越え、遙か内陸部奥地まで影響を強めていったのであった。
その指先が届いた先端がこの迷宮都市であると言える。
「交易をやっていると嫌でも知らされるが、厄介な組織だ。主に言えばこの街の商店会連合と似た形だが、規模がまるで違う。こっちは一都市の団体に過ぎないが、向こうは国家よりも巨大で影響力がある。当然、巨大ということは強引でも許されるということだ。親しく関わり合いたい組織じゃない」
顔を青くしたご主人は頭を掻いてため息を吐く。
「エランジェスはな、そんな組織の尖兵としてこの都市にやって来たんだ。十数年前になるが、あの男が街で暴れ始めた頃をよく覚えているよ。巨大組織とはいえ、本拠地はずっと遠くだ。この都市で生まれ育った商人は『大洋浜小屋連合』といったって交易商でもなければ噂に聞く程度だ。俺は幸い、交易商の家系だったから連中の怖さを知っていた。だが、それを知らずにエランジェスのことを新顔の若造だと侮った商人連中は全員、殺されたよ。それも、家族、使用人、別の土地で暮らしている親兄弟まで含めてだ。暴力を生業にしていた者も、自慢の用心棒を大勢抱えた者も違いはない。皆、挽肉になって地面に撒かれた」
人呼んで『挽肉』のエランジェスとはそこから付いたあだ名なのだろう。
しかし、ふと思う。
「そのエランジェスさんが追放同然にこの街を追い出されたのに、特に報復行為なんかが行われなかったのは何故なんでしょうか」
「エランジェス自身が忙しかったんだろう。あの男は凶暴だがバカではない。怒りに任せて暴れるが常に用意周到だ。そもそも、この街で力を蓄えたのは連合本部に送金して出世するためだし、同時にこの都市特有の産出物を抑えるためだ」
ご主人の言う産出物とは、つまり冒険者上がりの腕利きたちだ。
教授騎士のブラントがそうであったように、エランジェスもこの都市でせっせと自らの手駒を集めていたということだろうか。
「それで、西へと帰ったエランジェスは『大洋浜小屋連合』の本部に牙を剥き、自分よりも上位の者、従わない者を全て粛正したと聞く。そうして、いまやあの男は大陸一の大商人に収まったんだ」
収まったのならそのまま西の果てでふんぞり返ってくれればいいのに、そちらの用が済めばこちらに残した借りを思い出したのだろう。
大陸を股に掛けた勤勉さと気の長い超長期計画にあきれかえる。商人として大成する筈だ。
「なあ、今度こそ頼むぞ。アイツと構えるなよ。オマエだけの話じゃなくなる。オマエと俺が死ぬだけでも済まない。家族も皆、狙われるんだぞ」
かつて、この部屋でガルダと共に聞いた哀願を、今度は一人で聞いた。
「もちろん、僕もそんな人を相手に好き好んで揉めませんよ」
口で約束をしながら、それでもどこかでぶつかる予感が鼻の奥でくすぶっていた。
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