第543話 帰宅Ⅴ

 沢山の事がありすぎ、この都市を離れて一年くらい経った気がする。けれども実際はせいぜい数十日だ。

 にも関わらず、都市のそこかしこで出発前との違いが目につく。

 空き地を占有していた難民をどこへ収容したものか。半分程度の空き地がガランとしている。

 更にいえば、出発前ではほとんど見なくなっていた軽食を提供する露天が半分ほど戻って来ていた。

 欠乏していた食料と燃料が都市に運ばれてきたのだ。

 もちろん、その中にはシアジオが運んだ分も含まれるだろうが、それだけではない。

 しかし、その辺りの究明よりも先に僕は家に帰りたかった。

 歩き慣れた街路がやたらと遠く感じる。思わず早足になりながら角を曲がる。

 喉が渇いて張り付くのだけれど、飲み物を買うのも惜しい。

 家に近づくにつれ、僕の胸は高鳴っていた。

 最後の角を曲がり、僕は思わず息を飲む。

 村……?

 元々、街の外郭からも少し離れた一軒家で、周辺の野原を踏み固めて庭にしていた場所に、無数のテントがビッシリと立ち並んでいた。

 簡単な骨組みと、あり合わせの布を用いただけの、雨も風も十分には防げない住居にはそれぞれ住民がいそうだ。

 連なるテントの向こうに僕たちの家と教会が見えるのであるが、更にその向こうへもテントが広がっていた。

 テントの群れの真ん中を奥へ続く道が確保されている。そこへ足を踏み入れると、住民たちの目つきが一斉にこちらへ向けられた。

 自分の家に帰ってきたというのに、異物の侵入者が何をしにきたと言わんばかりだ。

 女、子供、老人、そういった人たちが多い。

 洗濯をする者、軽作業をする者、子守をする子供などがいて、幼い子供たちだけが無邪気な表情で遊び回っている。

 

「あ、お父さんだ!」


 遊び回る子供たちの一人が僕に気づき手を挙げた。


「アル!」


 とっさに僕も手を挙げる。

 アルと遊んでいた子供たちは一瞬、僕とアルを見比べていたが、遊びの続きを行う方が優先したらしく、すぐに走り去っていった。

 僕は彼に駆け寄り、しゃがんで目線を合わせるとぎゅっと抱きしめる。

 なんとなく、そうしたかったのだ。

 

「お父さん、帰って来たんだね」


 嬉しそうに言うのだけど、彼は一号の元へ戻していたはずだ。


「君はどうやってここへ?」


 まさか魔力の薄い迷宮入り口まで一号が送ってくれたのだろうか。

 そんなことをすれば魔法生物の彼女は生命に関わる。


「ええと、自分で」


 何気なくアルが返す。

 

「僕ね、お母さんから『影渡り』を習ったんだよ。お母さんとの家から迷宮の入り口までひとっ飛び」


 簡単に言うものの、僕は内臓に強烈な負荷を掛ける『影渡り』では、ほんの数歩の距離しか飛べない。それも結構練習したのにだ。

 それを地下十五階から迷宮の入り口まで飛べるということは、かなりの才能なのではなかろうか。流石、半分は一号に作られた魔法生物だ。

 僕は彼の頭をクシャクシャと撫でながら、手を繋いだ。

 

「そうか。えらいね」


 彼の異常性がどうこうよりも、単純に今会えたことに嬉しくなってしまう。


「他の皆は元気?」


「うん、行こ!」


 アルは小さな手で僕をぐいぐいと引っ張っていく。

 テント村は我が家と教会を取り囲むように広がっていったらしく、家に近いほどテントはくたびれていた。

 

「サミはこっちだよ!」


 アルの先導で教会に入っていくと、ステアがサミを背負ったまま十名ほどと何事か打ち合わせを行っていた。

 

「ステアさん!」


 アルの言葉に微笑んで振り向いたステアの目が僕の方に向けられ見開かれる。


「帰ってこられたのですね!」


 彼女は打ち合わせ相手の面々に一時休憩を告げてこちらに歩いてきた。


「ほら、サミを抱いてあげてください。随分と大きくなったでしょう」


 言葉とともに差し出されたサミは、確かにずっしりと重く、手足の力も強くなっていた。

 

「もう離乳食じゃなくても食べるし、一人で歩くんですよ。目が離せないってことですけどね」


 ステアの手はサミの頬を撫で、涎を拭った。

 サミの口元から白い歯が覗く。

 

「あの、北方領は……どうでしたか?」


 小さく息を吸い、おそるおそるステアが尋ねた。

 今回、僕が帰ってきたのは混乱おびただしい彼女の故郷からだ。

 とはいえ、僕は物見に行って来たのではない。商売をしに行ったのだ。

 思い返せばほんの辺地を歩き、北方民と触れあうよりも野盗や蛮族と戦うことが主だった。

 彼女が望むような話は少ない。

 椅子に座り、見聞きしたことを話すと荒廃した故郷にステアは胸を痛めていた。

 

「それで、グロリア姉様はご無事で……?」


「ちょっと、解んないんだ。死んだところは見てないから、多分大丈夫だろうとしか」


 ゼムリは死ぬところを確認したが、それについては触れなかった。

 もともと教会の暗部に疎いステアにわざわざ、彼の死を告げるのも憚られたのだ。

 代わりに、ステアはここに難民が集められた経緯を話してくれた。

 要約すると、ロバートが難民の分散化を図ったのと同時に『保護の必要な難民』に関する保護をステア率いる教団に委託してきたのだ。

 人間の価格は常に一定ではない。混乱下で安く買いたたかれることもあるが、それは安定を取り戻した後に割に合わない禍根を残す。

 詰まるところ、僕が女衒を追い払ったのと同じような手立てをさらにずっと大規模にロバートが講じたのだ。

 委託先は『荒野の家教会』を含めて他にもいくつかあるらしいが、質はともかく十分な量の食料と燃料が優先的に配布されるようになったとのことだった。

 おかげで、ステアやルガムは調整やそのたの雑務に忙殺されているらしい。

 どうりで疲れた表情を浮かべていると思った。


「本当は、私も故郷へ向かい家族や知人たちの安否を確認したいところですが、私には私で支えるべき人たちもいます。また、いろいろ情報が入ったら教えてください」


 やはり食料の高騰に目を付けた隊商が遠くから続々と押し寄せつつあるらしく、物資の不足はかなり緩和されたとのことだった。

 郊外には急速に難民向けの簡易住宅が整備されつつあり、テントに納まる人々も収容が進んでいるのだという。

 ブラントの反乱から続いた混乱は、ついにロバートが押し広げる秩序へ、強引に落とし込まれつつあるということでもある。

 そういった意味で、あの暴君は僕たちとの口約束を守ったのだ。

 ステアは話が終わると、サミを僕に預けたまま忙しそうに打ち合わせに戻っていく。

 取り残された僕はルガムを探し、二人の子供を連れて席を立つのだった。

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