第539話 頑丈・根性
単純な殴り合いでは、最初に体重差がものをいう。次に技術と腕の長さだろうか。
ウーデンボガは身長だけではなく手足の筋肉も、胸板も、骨までも太い。北方民族特有の頑丈な体つきをしていた。少なくとも体重差は大差でウーデンボガに有利である。
ハメッドはウーデンボガの拳を捌きながら笑った。
速い。
一発毎に砲弾の様な拳が、霰の様に押し寄せてくる。どれも、正確かつ適切だ。
コイツ、徹底的に拳闘を磨いてるな。
各国を渡り歩くハメッドは、この系統の戦い方も知っていた。
小さく、速く撃つ左に紛れて大砲のような右が飛んでくるのだ。
が、ウーデンボガに限っては小さく撃ち込む左でも当たれば致命傷になり得る。
解っていながら距離は取らない。互いに手を伸ばせば鼻がつまめる距離に立ち、踊り続ける。
瞬き一つが致命的な隙になりそうな空間で、ハメッドはウーデンボガの腰骨の動きを見ていた。同時に肩の盛り上がりと踵の移動も。
そうする事で手先だけを見ているとかわしきれない拳を避け、逸らし、威力が乗る前に打ち落とす。ハメッドは薄い氷を一枚隔てた場所にある死を氷の向こうのまま、強引に黙らせていた。
延々と捉えきれずに焦れたウーデンボガが大振りを放つ。
察知した瞬間、ハメッドは上体をグニャリと曲げて拳の通り道を開けてやった。
必倒の一撃が空を切り、驚いた表情を浮かべるウーデンボガの顎にハメッドの拳が下から刺さった。
木槌で撃たれた様な衝撃にウーデンボガは仰け反って距離をとる。
ハメッドは体を起こすと、怖気がするような笑みを浮かべた。
「よお、頑丈やのう。今ので倒れんヤツはあんまりおらんぞ」
柔軟な体を倒して攻撃を避け、その体勢のまま正確に攻撃を撃ち込む。
言葉にすれば簡単だが、やろうと思って出来ることではない。
しかしハメッドにとっては誰に習うでもない。最初から出来た動きである。
これで大勢を打ち倒して来たし、氏族を守ってきた。
その秘技を喰ろうて、驚くだけかい!
ハメッドはこらえきれずに鼻で笑った。
ウーデンボガは目を白黒させているものの、目線も定まっているし足取りもしっかりしているのだ。
なに喰ったらそんな頑丈になんねん。内心で毒づく。
ハメッドは最初から強かったが、ウーデンボガもまた同じである。
そうして、最初から強かった者同士が徹底的に鍛錬を積んだのであれば、最後にものをいうのも体重差ではないか。
正攻法を磨き上げた、巨大で勤勉な怪物相手に、奇策が何度も通じるわけはない。
「あと、服の下になにか隠してるやろ。カタい何か。鎧か?」
そもそも、瓦の投擲で昏倒どころか骨も折れていないのは流石におかしい。
ハメッドの指摘にウーデンボガはムッとし、上着を脱ぎ捨てた。
そこには左腕から首、右脇腹に掛けて真っ白い陶器のようなものが埋め込んである。
「いや、鋼鱗病か。なるほど、初めて見たわ」
ハメッドは納得して目を細めた。
鋼鱗病はメッシャール人領土の辺境に蔓延る風土病である。
滅多に見られるものではないが、その病に冒された白い肌は銃弾も弾く強度を持っているのだという。
しかし、皮膚の硬化と同時に運動能力の著しい減退が伴ったはずだ。
そもそも、皮膚というものは柔軟に伸縮するから動けるのである。
現に鋼鱗病が発病したものは全身が陶器の置物のようになって死んでいく。
対して、ウーデンボガの皮膚には幾条の溝が走っているのが見て取れた。硬化しかけた皮膚を強引に割り、体を動かす際には陶器の様な皮膚を力任せに押し広げながら動いているのだ。
「それ、痛いやろ」
「慣れたさ」
自らの体に刃物を入れ、皮膚の内側を裂きながら動くようなものである。
わずかに動くたび、激痛が走る筈だが、ウーデンボガはあっけらかんと言った。
「ええなあ、根性モン。ほなワシの拳も慣れるまで受けてみろや!」
ハメッドはウーデンボガと対峙して以来、初めて自分から突進した。
同じ程度の練度同士であれば、手足の動きや瞬間的な動きは体重の重い方が速い。
しかし、思考に限っては体重も関係ない。
目線、重心、息づかい。
ハメッドが押しつけた謎かけに、ウーデンボガの頭脳は解答を導き出すことが出来ず、迎撃するために伸ばした腕は空を切る。
連打とは常に攻める側が用いる攻撃手法だ。
その最初の一撃が、攻撃を避けた動きを溜めとしてウーデンボガの脇腹に突き刺さった。
硬い皮膚の上からの一撃にウーデンボガは表情を変えた。
続いて胸板へ拳が突き刺さる。これも鋼鱗の上からだ。
威力は分散し、減衰されて尚、ウーデンボガは息を止めて耐えざるをえない。
それほどの殺気と威力が拳の一つ一つに込められていた。
打撃の威力は体重差で決まる。
その為、ハメッドは特異的な柔軟さを使い、同時に地面をがっしりと踏み据え、一発毎に全体重を乗せた打撃を最高速で放っているのだ。それも連続で。
高速で、出所も狙いも解らない打撃を防ぎにいって頭部へこの拳を貰う方がマズい。
この男が打ち疲れるまでの数秒間を頭部の守りに徹し、後に反撃するのだ。
そう考えたウーデンボガの腹部には一発打ち込まれる毎に燃えさかる薪をくべられた様な熱さが蓄積していく。
それでもハメッドの顔面は紅潮し、酸素不足を告げている。そろそろだ。
こんな異常な打撃を長く打ち続けられる筈がなかった。間もなく足を止めるだろう。
だが、こいつが打ち終わったとき、自分は動けるのか。まだダメージが小さいうち、強引にでも掴みかかった方がよいのではないか。
ウーデンボガの思考が濁り、下唇を噛む。
攻撃の隙間を見定め、ウーデンボガは守りを解いて強引に前進した。掴んだら体重差がある。引き倒して終わりだ。
しかし、腕を解いた向こうでハメッドの猛獣の様な目は、嬉しくてたまらないとでも言いたそうに爛々と光っていた。
誘い込まれた!
ウーデンボガはそう思ったものの、体重があるためとっさの小回りに劣る。
次の瞬間、前進するウーデンボガの下顎にハメッドの額が全力で叩きつけられていた。
大きな石同士がぶつかる様な音が響く。
全身のバネを最大限に利用した頭突きはウーデンボガの強固な顎や首も無視して意識を刈り取ったのだった。
ウーデンボガは白目を剥き、前傾姿勢のままドウ、と倒れた。
口からとめどなく涎を吐く巨人を見下ろしながら乱れた髪をかき上げようとして、それが出来ない事にハメッドは気づいた。
「どや、ワシもなかなか根性モンやろ」
ゼエゼエと息を荒げるハメッドの拳は両方とも手首まで砕けていた。
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