第538話 降伏提案

 鉄棒は身長くらいの長さであるが、槍というよりは鉄棍に近い捌き方だ。

 手近な瓦を剥ぎながらハメッドは観察した。

 原始的な遭遇戦が続く街中であるいは個人の武勇に優れる古来の英雄が勝敗を分けるのか。

 いずれにせよ、貴重な戦力をいい勢いで潰され続ける訳にはいかない。

 ハメッドは振りかぶると、猛烈な勢いで瓦を投げつけた。

 シュルル、と空気を割いて飛んだ瓦は直前で気づいた大男に打ち落とされる。

 

「おお、なかなかいい反応するやんけ。屋根一面分くらい試してみるか?」


 地上から睨みつける巨漢にハメッドは瓦をまとめて蹴り落として見せた。

 巨漢は降り注ぐ複数枚の瓦を手で払う。

 しかし、ハメッドは巨漢ではなく周囲を見回していた。


「ほら、寄るな。今からワシとコイツがタイマン張る。全員、黙って見とけ!」


 よく響く大声でハメッドは怒鳴ると、屋根に腰を下ろす。

 

「どうした、怖じ気づいたか!」


 巨漢がわめくが、ハメッドは懐からタバコとマッチを取り出して、自ら一本に火を着けると残りを放り投げる。


「それやるから、その辺の死体を片してくれや。喧嘩するのに邪魔やろ。終わったら降りるわい」


 巨漢はそれを受け取ると舌打ちをしつつも死体をつかんで広場の外へ放り投げた。

 

「ああ、その瓦のクズもどけろよ。知らん子供が踏んだら危ないやろ」


 紫煙を燻らせながら胡座をかくと、監督かのように指示を飛ばす。

 巨漢は何事か言おうとしたものの、タバコを咥えて火を着け、瓦の破片を拾い始めた。

 ダルい。

 その様を見ながらハメッドはため息を吐く。

 連日の奮闘が無視できない疲労を体内に蓄積している。

 もちろん、周囲に悟られてはならないので徹底して隠しているが、こういう空白の時間には苦痛が主張をし始めるのだ。

 しかし、それは強行してきた相手も似たようなものだろう。

 瞬間、ハメッドは頭を振って飛んできた欠片を避ける。

 

「降りてやる、言うてるやろ。盛んなよ」


 奇襲に失敗した地上の巨漢は舌打ちし、タバコを投げ捨てた。

 

「早く来い! 俺は忙しい!」


「アホ、誰も一緒じゃ」


 紫煙を吐いてハメッドは立ち上がる。

 多数の敵味方がやや距離をとってこちらを見つめている。

 もう少し人数を集めたい。


「ところで、ワシが勝ったらオマエら降伏せんか?」


「バカを言うな!」


「故郷までの食い物くらいは持たせてやるからよ」


 実際の問題として、ハメッドたち一族にとってメッシャール人は必ずしも敵対しなければならない民族ではない。

 それどころか、この後に取引を行い利権を確保せねばならないのだ。

 そうであればこの街さえ黙って通過してもらえるのであればほんの数千程度、見逃してかまわないのだ。

 

「わざわざ死にたくないやろ。間をおかず南の王国から軍隊がやってくるらしいぞ。そうなりゃ、逃げることも出来ん。この街ごと蒸し焼きやがな。生きて故郷に帰りたいんやったら、悪い話じゃないぞ!」


 目の前の男は、おそらくこの程度の駆け引きに揺らがない。

 だが、一般兵まで同じ志を堅持できるかとなると話が変わってくる。

 ハメッドは周囲に集まり息を飲んでいるメッシャールの兵士たちに声を届かせていた。

 

「やる前に一応、名前を聞いとくか?」


「ウーデンボガだ!」


 巨漢の兵士は大声で名乗る。こちらも味方を鼓舞する為であろう。

 

「ああ、そう」


 咥えていたタバコを指ではじき、ハメッドは身を滑らせた。

 建物の突起を伝い、スルスルと地面へと降り立ち、ウーデンボガと向き合う。

 大きく、激しく、強い。

 的確に人を殺す技術。大勢の人間を実際に殺した経験。そのどちらかを持つ者はいても、実際に両方を揃えている者は少ない。

 ウーデンボガはそれを両方ともしっかり揃えていて、対面しただけでそれが伝わってきた。

 アスロめ、手を着けたのなら最後までやれよ。

 ハメッドは毒づくが巡り合わせは今、ここにやってきたのだ。

 そうであれば、ハメッドも誇りに掛けて膝を折るわけにはいかない。

 高く弧を描いたタバコが一瞬遅れて地面に落ち、それを合図にしたように二人は動き出した。

 素手のハメッドと鉄棒を携えたウーデンボガ。

 当然の様にウーデンボガは鉄棒を突きだしてきた。

 速く、伸び、高い精度の突きは踏み込もうとしたハメッドの足を的確に止める。

 間合いを完全に支配したウーデンボガは逃げようとしたハメッドを追って前進。あっという間に獲物を広場の隅まで追いつめてしまった。

 

「クソ、デカいくせに速いやんけ!」


 戦いにおいて、一度後退を始めれば極端に選択肢が限られる。そのため巨体を持つ者が突進するのは、単純かつ有効な攻撃方なのだ。

 勝利を確信したウーデンボガがとどめの一撃を突き出す。

 しかし、直前でハメッドは体を捻って間一髪、棒先を避けた。

 ウーデンボガはそれを目で追いながら、次の一撃に移行せねばと思った瞬間、衝撃とともに体勢を崩す。

 ほんの一瞬、なにがあったかわからず、左手も鉄棒から離れる。

 体で受け止めた瓦が地面に落ちて割れた。

 ハメッドが攻撃をかわしながらズボンの背側に差し込んでいた瓦を投擲したのだ。

 防がれた一撃も条件が変われば通用する。

 近距離かつ前傾した姿勢、攻勢で狭くなった視界ではそれを察知することさえ出来ない。攻撃回避の捻りも利用し、狙い澄ましたハメッドの一撃だった。

 左胸の上部に当たった瓦は常人なら昏倒してもおかしくない勢いであったが、発達した大胸筋ゆえかウーデンボガは顔をしかめて踏みとどまる。


「おお、タフやのう!」


 勢いのまま、今度こそ間合いを詰めたハメッドは背骨も折れよとウーデンボガの腹を蹴りつけた。

 が、ウーデンボガはこれを右手に持った鉄棒で防ぐ。

 グニャリと曲がって使い物にならなくなった鉄棒をウーデンボガが投げ捨て、二人は改めて素手で向かい合うのだった。

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