第534話 僧侶

 効果はある。

 斬撃も射撃も、確かに魔獣の体力を減らしている。

 それどころか焼けば爛れ、酸で洗えば溶ける。僧侶の攻撃魔法なんか身をよじって嫌がっている。そうして、そういった負傷を復元するのにまた魔力をむさぼるのだ。

 飛び出したコルネリが側をかすめ、反応した魔獣が触手を伸ばす。それを横手からゼムリが断ち切った。

 落ちた破片にすかさず砂を蹴り掛けると本体との合流がかなわず、魔獣の破片はその場でドロリとした液体に変じた。

 それはこの魔獣が魔力を失った姿だ。

 本来有るべきではない形態を、魔力によって維持している。それは巨大蟹がそうであるように、存在するだけで魔力を消費し、いびつな存在そのものが魔力を失うまでの生命である事を意味している。

 いつかは死ぬ。放っておいても死ぬ。

 しかし、死を約束された、一面では弱々しい生命体に僕たちは追い詰められていた。

 

『在る者よ、異界へ落ちよ!』

 

 僕は魔獣の足下に亜空間の入り口を開く。しかし、落ちない。

 山の様な体積から随分縮んだとはいえ、大きい。

 迷宮の深層ならともかく、地上で僕が開ける限界の大きさより魔獣は体を広げていたのだ。

 魔獣はジュウジュウと音を立てながら移動し、石像から身を離した。

 瞬間、伸ばされた触手は空気を切り裂いてアスロに迫った。


「クソ……!」


 毒づきながら身をよじったのは彼の反射神経ゆえだった。

 胸に大穴を空けて貫くはずだった攻撃は、アスロの左脇と肋骨を数本弾き飛ばすにとどまった。

 

『傷よ癒えよ!』


 グロリアの朗々とした詠唱により、即座にアスロは怪我を治癒させる。

 目を見開き、脂汗を滲ませながらもアスロは即座に戦線に戻っていく。

 

「アイヤン、いくらか効きよっとかね。オイにゃようわからんばい!」


 モモックがゼイゼイと息を乱しながら喚いた。

 既に皆、七回から八回程度の攻撃を行っている。

 迷宮では自らの戦力に併せて深く潜って行くため、仲間を際限なく呼び出す魔物を除けば一戦一戦は長期戦に陥りづらい。

 勝つにせよ負けるにせよ、大抵は各人が三回も行動する前には戦闘が終わる。

 そうでなければ敵も自分たちも実力が階層に見合っていないのだ。


「効いているよ!」


 僕もヤケクソで怒鳴り返した。

 弱気になればそれが伝播して、戦闘が終わってしまう。それは避けたかった。

 

「あら、そう。そんならもう少し気張ろうかね!」


 モモックは手で鉄管を振ると、口にくわえて石弾を吹き出した。

 彼は彼なりに雰囲気を保とうとしているのだ。

 僕たちの会話を聞いた仲間たちはまた少し、やる気が出たらしく動きに精彩がもどる。

 クロアートが両腕を上げると、猛烈な風が湧き起こり、不可視の刃が魔獣を幾百回も切りつけた。

 確かに効果はある。

 しかし、威力と魔獣の体力を鑑みれば手作業で丘を崩しているような徒労感がどうしても鎌首をもたげてくる。

 オルオンの作り出した生命に上級悪魔、二万人の人命。

 一体なにが作用したものか。魔獣は極端に魔力の消費が小さい。

 僕たちがここから逃げれば、おそらく向こう数年は活動して、移動しつつ獲物を捕りつづける。もちろん、僕たちを逃がしたりはしないだろうけど。

 その寿命の、ようやく二ヶ月分も削ったか。

 対して立て続けに使った大規模魔法と後を考えない攻撃魔法の連発で、僕の魔力は既に尽きつつあった。

 喉の奥に苦いものがこみ上げてくる。

 もしかすると、カロンロッサから貰ったお面を使う方が正解だったか。

 今更、悩んでも仕方がないことを悩んでいる時点でよくないのだ。

 と、魔獣が地面を蹴りこちらへ突進してきた。

 僕とモモックは慌てて逃げるのだけど、攻撃にかかっていたアスロと正気から離れたクロアートが逃れ損なって魔獣に絡み取られた。


「わぁ、この……!」


 アスロは慌てて自らの体を捕らえる魔獣を斬るのだけれど、それでもズブズブと飲み込まれていく。


「クロアートさん!」


 ゼムリが名前を呼ぶものの、同じく飲み込まれつつあるクロアートはぼんやりとしてその様を見つめていた。

 なにか彼らを助ける方法はないものか。頭を働かせるけれど有効な方法が浮かばない。

 しかし、アスロがそのまま虎に変じると、腹に響くような音で吠えた。

 ヴァアアアアアアアアア……!

 ビリビリと空気を震わせる咆哮には邪を払うような強烈な圧力が乗せられている。

 魔獣の表面にびっしりとヒビが入り、やがてバリバリと崩れ落ちた。

 戒めを逃れたアスロがクロアートを咥えて後退する。


「やぁ、ディド先生もお越しでしたか」


 涎に汚れたクロアートは、転がったまま微笑んでアスロの鼻面を撫でた。

 アスロは一瞬戸惑ったものの、表面が割れて再び動き出した魔獣に対応するため前線に戻る。

 取り残されたクロアートは寝床から出るように身を起こし、魔獣を眺めると呟いた。


「ああ、私を見送りに来てくださったのですね。私は本当に、いつもいつもディド先生にはご迷惑ばかりおかけして……」


 その横顔は儚げで、色素が薄く感じられた。

 薬物による錯乱か。だけど彼にはまだ戦って貰わないと困る。

 魔獣は触手を数本生やすと、勢いよく伸ばした。

 その内一本が防ごうとした剣をたたき折ってグロリアの頭を打った。

 意識を飛ばされたグロリアがはじけるように倒れる。

 しかし、僕の目はもう一人の前衛、ゼムリを見ていた。

 丸太の様な触手は、ゼムリの胸を貫いていた。

 彼の細い目がわずかに開けられ、視線がこちらを向く。

 僕が何かを考えつくよりも先に、その瞳は脱力して生命の終わりを告げていた。

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