第521話 笑顔

 軍隊にとって暗闇の行軍は非常識でも僕にとっては暗闇を歩くのが本業だ。

 グロリアとモモックの三人で夜通し歩き、日が昇っても休憩を挟みながら歩き続ける。

 グロリアの案内に従っていくと果たして、僕たちは大きな川に辿り着いた。

 川幅がどれくらいか正確には見えないが、向こう側が随分遠くに見える。

 二十人は並んで歩けるような大きな木製の橋が両岸を繋いでいて、その手前に物々しい柵が築かれている。

 しかし、これは今し方設置されたようなものではない。

 その間を縫うように大勢の男たちが陣地の構築をしていた。

 

「おい会長さん。無事戻ったやんけ!」


 と、手を振りながら声を掛けてきたのはジプシーのハメッドだった。

 彼は手に鋤を持って陣地構築の陣頭指揮をとっていたらしい。


「アスロやら他の連中も何人か戻って来てるで」


 土を小高く盛り上げた上に鋤を放り投げ、ハメッドは手ぬぐいで汗を拭う。

 

「やあ、アンタらのお陰で無事に逃げられたわ。兵力を減らさずに済んだのはデカいぞ」


 ハメッドは明るく言うのだけど、おそらく戻ってこなかった用心棒たちはあの夜襲で命を落としたのだ。

 貴重な冒険者上がりの腕利き用心棒たちだ。本人たちが納得の上とはいえ、こんなところで散らす筈ではなかった。

 ハメッドは上機嫌そうな表情で土の山から下りてくると、僕の耳に口を近づけて「おい」と囁く。

 

「深刻そうな表情をするのはヤメや。周りが不安になる。無理にでも笑ろとけ」


 ハッとして周囲を見渡せば、周囲で作業している者の多くはジプシーではなさそうだった。現地の北方民なのだろう人々が大勢集まって陣地構築作業に当たっている。

 全体の空気は朗らかで耳を澄ませば音楽まで聞こえて来ているし、どこからか菓子を焼くような甘い匂いも漂ってくる。戦争の準備というよりも、まるで祭りの前のような雰囲気が周囲を覆っていた。


「アイツらビビらせたら逃げ出すぞ。戦うでも作業するでも人手は足らんねん。そうなったらシマイや。敵が近づいて誰も逃げれんくなるまで楽勝みたいな顔をしとけ」


 そう言うとハメッドは僕の背中をバシバシと叩いた。まるで親しい間柄の男が友人に景気付けをするように。

 

「幸い、この橋は関所も兼ねてたから元々多少の防備もある。川も深い。ここより上流の橋はうちの連中が壊しに行ったから、まだ西に進もうと思うのなら南に向かって山脈沿いを渡るか、船で渡河になる。手間を考えりゃメッサラの連中もここを無視しては進めん筈や」


 へっへっへ、と笑いながハメッドは橋の向こう側に目をやる。

 野良着の男たちがどんどんと歩いてくる。

 

「あっちの村でオヤッサンたちが人を集めてるから行って休んでくれ。アスロの見立てでは敵さんもまだ何日かは来んらしいからな」


 ※


 橋の西側、少し行ったところにはちょっとした町があった。


「川舟荷運の拠点として、また関所の膝元として発達した土地です。一種の宿場ですね」


 グロリアが横で説明をしてくれた。

 ロバートがここで防衛をせよと指示した土地。

 なるほど。大きな川が堀となり回り込まれる心配も無い。背後には補給や休養が出来る施設もある。橋の向こうで出城を築いて戦い、ダメだったら橋を壊してしまえばいいのだ。

 町に入ると広場では人がごった返しており、よく見れば端に置かれた机に向かって列を作っていた。

 と、数人の男たちが僕の方へ近づいてきた。

 どれも見覚えがある。一緒に山脈を越えて来たロバートの配下たちだ。


「御領主様から他国勢力の侵入があった際には遅滞なく報告をするようにと指示を受けております。既に我々の仲間が東方領へ走っていますがそれでも東方領から援軍がやってくるまでに早くても二十日はかかるでしょう。我々も今後はあなたの部下として守備隊に加入します」


 やはり、ロバートから密命を受けていたのはグロリアだけではないらしい。

 ロバートも最初から僕に言っていてくれればよかったのに。

 まあ、言われたら来なかったんだろうけど。


「じゃあグロリアが副官だからとりあえずグロリアと連絡が着くようにしといてよ。それでまた夜にでも集合して改めて会議をしよう」


 僕が言うと、彼らは納得したらしくどこかへ行ってしまった。

 

「おい、会長さん。こっちやで!」


 ロバートの部下たちが去ると、入れ替わりに声をかけてきたのは髭面の怪人、ユゴールである。

 ユゴールは小さな食堂らしき店の前で机に座って手招きをしていた。

 そちらに歩いていくと、椅子を勧められたので正面に腰をおろす。


「時間がないからな、砦つくるには人夫が大勢いる。アスロはメッサラの足を五日か十日は鈍らせたやろと言うてるけどな、それでもあそこからここまで歩いて二日。距離でいや五十キロも離れてないねん。ここからは時間との勝負やね」


 ユゴールは険しい表情で虚空を睨んでいた。


「その行列が人夫の雇用窓口やねんけど、法外な報酬ぶら下げてよう集めても千人やろ。それをそのままなし崩しに戦わせるとして、剣も振るったことのない様な連中を戦力に数える為には立派な砦を作ったらなあかん」


 どうやらこの町と住民は否応もなく異民族との戦争に巻き込まれるらしい。そこに彼らの意志は関係ない。

 戦争とはそういうものなのかもしれないと僕は思うのだった。

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