第520話 山月
メッシャール軍の規模は大きい。
この陣地に何千人がいるのか正確にはわからないが、これと同様の規模の陣地がまだいくつもあるらしい。そのうちのたった一つでも僕たちは悪戦苦闘しながら対処している。
そっと近寄ったグロリアが用便に立ったらしい兵士を音もなく殺した。
これでようやく二十人というところだろうか。
大あくびをして、眠たいらしいモモックの手を引いて僕はグロリアの後を歩いた。
基本的にメッシャール兵が複数人固まっていれば僕の、単独か二人くらいで行動していればグロリアの出番であるが、グロリアは物陰で立ち止まると僕を手招きした。
天幕の端から覗くと四十名程がつまらなそうな顔で集まっている。
各々、手に干し肉と黒いパンを掴んでおり、どうやら食事の場面に出くわした様だった。
「汚染の恐れが少ない携行食品で夕食なのでしょうね」
グロリアが呟く。
水はどうするのだろうと思えば、それぞれが腰にぶら下げた革袋を口につけて飲み物を飲んでいた。
騒動より前から各自が持っている飲料は安全だという判断なのだ。
「遠くでも騒ぎが始まりつつあります。そろそろ潮時ですよ」
グロリアは耳に手を当てて音を集めていた。僕もまねると遠くで混乱の気配が聞こえる。
アスロやグェンも仕事をしているのだろう。
「じゃあ、これを片付けたら僕たちも撤退しよう」
魔力を練りながら僕も答える。
迷宮に潜り、掻き集めた秘術を元に編み出したオリジナルの魔法だ。
僕の指先から伸びた不可視の糸が中空を泳ぎ居並ぶメッシャール兵士たちの体を繋いでいく。
全員の体に繋がった一本の長い糸が完成すると、同時に組んでいた魔力を解放した。
『雷撃』
発生した雷の魔法が糸を伝い、連なる者たちを一瞬で駆け抜ける。
焦げ臭い臭いを残してその場にいた兵士たちは全員倒れた。
ううん、微妙だ。発動までに時間が掛かりすぎる。
迷宮の深層に棲む魔物たちはカンが良くて糸を避けてしまうヤツもいたし、見えていなくても動きが速くて外れてしまうこともあった。よほどぼんやりとした連中にしか当たらないし、事実初めて思うとおりに発動する事が出来た。
だけどこれを使うくらいならもっとマシな魔法がいくらもある。
足止めのオマケとしては十分すぎるほど敵を害し、僕たちは撤退を決めた。
追いかけられた時にもっとも足が遅いのは僕なので、他の班よりも先に逃げる必要があるのだ。
しかし、遠方に目を凝らすモモックに手を引っ張られ、彼が指さす方向を見てしまった。
ずっと向こう。メッシャール陣地の反対側でガルダ商会の用心棒たちが敵に囲まれている。こちらの方が足元の土地が高く、向こうは低いのでどうにか見えるのだけど、魔法の届く範囲も、モモックの攻撃射程もずっと超えて距離がある。
二人。他の者からはぐれてしまったのか。
群がる雑兵の中で奮闘しているようだけど、多勢に無勢だ。僕たちにできることもなく、やがて見ている間に彼らはメッシャール兵士たちの波に飲み込まれてしまった。
僕たちの優位性というのは結局、それぞれが一般人より十数倍も強いということである。
それは裏を返せば許容量を超えた大勢に囲まれれば負けるということなのだ。
敵に発見され正面から向き合ってしまった時点で彼らは死に捕らわれたことになる。
と、また別の場所でいくつかの天幕が燃え上がり、その中から大男が飛び出してきた。
大男の体には何者かが絡みついている。
アスロだ。
アスロは手に持った刃物で大男を殺そうとしてはねのけられる。
すぐに周囲の兵士が集まり、武器を手に手にアスロと大男を囲んでいた。
冒険者上がりのグロリアより腕が立つアスロが、大男に対して攻めあぐねている。
戦う者を数千、数万と集めていけばその中には天才を発揮する者が混ざる。アスロもその一人だろう。
向かい合う大男と比して、さてどちらの天才が上か。僕たちは無言でその様を眺めていた。
大男は手に持った大きな机を小枝のように振り回し、アスロに襲い掛かる。
それをかわしながらアスロも距離を詰めるが、素早い。
大男は的確に対処し、アスロを近づけさせなかった。
「感心している場合ではありません。ああなりたくなければ私たちも撤退しましょう」
横からグロリアがつぶやく。
大男の振り回す机と火事で、他の雑兵たちは近づけていないがそれでもこの状況になった時点でアスロの失敗が決まってしまったのだ。
グロリアの言うことが正しく、僕は踵を返したが、それでも視線は惜しむようにアスロを追っていた。
「あ、アイヤンあれ!」
モモックが興奮したように叫ぶ。
僕も思わず口を開けてそれを見てしまった。
アスロの全身がぐにゃりと曲がったと思えば彼の体が巨大な猫のように変貌していたからだ。
一見して猫のようだが、妙な縞模様を浮かべている。
「ありゃ、虎ばい。あん小僧、面白か芸ば隠しとったばいね」
眠気も吹き飛んだようにモモックが言う。
獣化?
サンサネラやモモックのような獣人とは違う。人間から変身するディドともまた別の姿だ。
虎というらしい巨大な獣に変じたアスロは周囲を威嚇するように恐ろしい吠声を上げた。
低く、腹に響くような音が遠い距離を超えて僕の耳に届く。
周囲を囲む雑兵たちも仰け反って怯んでいた。
その隙にアスロが変じた虎は取り囲む雑兵たちの隙間をヒョイと抜け、そのままどこかへ逃げ去ってしまった。
侵入者を撃退したのか、取り逃がしたのか。
大男がどんな表情をしているかまでは見えなかったが、幸いに天幕がいくつも燃えており陣地全体の注目はそちらに向いている。
僕たちも他の仲間たちの無事を祈りつつメッシャール軍陣地を後にするのだった。
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