第519話 夜襲

 アスロの言うとおり、辺りが暗くなっても次の襲撃はなかった。

 

「じゃあ、そろそろ行こうか」


 すっかり押し広げられた暗闇の中でアスロの声に従って僕たちは身を起こす。

 コルネリの目を通して見てもこちらを見張っている者はほとんどいない。

 

「囲まれないように移動しながら重要そうな建物に放火。壊せそうなものは壊して、位の高そうな敵も可能なら攻撃する。本格的な騒動になったらすぐに撤退。集合場所は第一にここ。わからなくなったらとにかく敵から離れて身を潜める。その後は各人の判断で後退して本隊に合流すること」


 事前に取り決めた事をアスロはゆっくりと繰り返した。

 僕たちは黙って頷く。

 アスロが三人を引き連れて、グェンが残りを引き連れていくと僕のところにはグロリアだけが残った。

 敵に見つかった場合も僕とグロリアだけの方が警戒もされにくい。そうして隊列を組んで敵味方が分かれる迷宮と違い、接近戦になったら互いに入り乱れる地上の戦闘では仲間が多すぎると魔法で巻き込んでしまうというのも理由である。

 影を伝って移動するアスロたちの様な動きも出来ないので、僕たちはとぼとぼと炎が舐めた死体の海の、その縁を歩いた。

 炎を吹き付けられたメッシャール人たちは衣服と共に燃え、細部は炭化してしまっているが、案外と胴体の芯は形をとどめている。

 思い立って手近な一つをゆっくりと踏んでみたが、表面のざらざらとした部分の下には生々しい肉が残っていた。

 空間が広く、熱が逃げたのが原因だろうか。それとも空間の魔力が薄いのが理由か。

 そんなことを考えながら通り過ぎると、二つの影が立ちはだかった。


「止まれ」


 まだ若い。

 おどおどとしたメッシャール軍兵士の二人組は次の言葉を吐く前に首を掻き切られて立ったまま絶命していた。

 短刀に付着した血を彼らの衣服になすりつけ、グロリアが周囲に視線を走らせる。


「この二人だけみたいですね。見張りにあてられたのは」


 一瞬の後に、二つの死体が膝から崩れて自らの血溜まりに突っ伏した。

 

「僕たちも長く隠れて動かなかったからね。あんまり大勢を割り当てても無駄だと思ったんだろうね」


 事実、第一波を退けたあとはコルネリを通して確認しただけでも五十人ほどがこちらを見張っていた。

 しかし、僕らが余りに動かないものだから少しずつ減っていき、あたりが完全に暗くなってからはこちらも見えないし撤退したと思ったのか周囲から見張りの気配はどんどんと減っていったのだ。

 と、上空からコルネリが降りてきて僕の背中に掴まった。

 どうやら長い時間、飛び続けて監視をさせたため眠たいらしい。


「お疲れさま」


 僕は彼を撫でて背中に張り付かせた。

 とはいえ、おおよその配置は既に頭に入っている。

 馬がたくさん繋がれている場所に向かって馬を焼き払うのが一番、効果的な嫌がらせになるだろう。

 僕たちは向かって右手の方へ陣の縁側を進んでいった。

 すると、メッシャール人が慌ただしく動き回っているのが見えた。

 焚き火が生み出す影は他のものより濃くて暗い。

 そこに身を潜めると、迷宮冒険者でもない一般兵に見つかることはそうそうないだろう。


「馬が何頭か倒れていますね」


 僕の耳元でグロリアがささやくように言った。

 彼女の指さす方には、馬の死体がいくつか置いてあった。

 馬を食料替わりに喰うにしても戦争中の今ではないだろう。

 とすればあれは事故か何かで死んだのだ。


「あ、メッシャール軍の兵士も倒れています」


 馬の近くには顔を青くした兵士たちが脂汗を浮かべながら伏せていた。

 その数は数十名ほどだろうか。

 どれもこれも軽装で階級の低そうな連中だ。

 

「よ、アイヤン。グロリア姉ちゃんも」


 影に潜む僕たちをめざとく見つけたのはやはり迷宮順応を進めた者だった。


「やっぱりモモックの仕業だったの?」


 こちらへ駆け寄ってくるのは大きなネズミの獣人であるが、毛の色がいつもとは違い、まだらの灰色である。

 

「当たり前やこた。あら人間が人間を相手にする軍隊やったけんオイも動きやすかったばい。ジプシーの毒を飼い葉に混ぜてきたったい」


 そうだった。モモックは勝手にユゴールから毒を受け取っていたのだ。

 

「ばってんが馬は鼻がよかけんがあんまり毒も喰わんかってね。仕方がなかけん水桶にも混ぜたったい。馬はようけ水ば飲むけんね。我慢しいきらんで飲んだ馬があげんなっとうと」


 モモックを触ると、指に灰色が付着した。

 指ざわりと匂いから、それが灰であることがわかる。おそらく、焚き火跡か竈の中にでも入って転がったのだろう。

 目立つ真っ白な毛並みを隠す彼らの知恵なのだと思われる。


「あと、ここには井戸のあったとばってんが、それにも毒ば入れたけん。喉が乾いたけんてこの辺の水ば飲んだらいかんばい」


「ああ、なるほど。それで人間も倒れてるんだね」


 僕は納得して頷いた。

 しかし、モモックはつまらなそうに首を振る。


「アイヤン、バカ言うたらいかんばい。オイは朝から晩まで走り廻ってアレもコレもソレも、打てる手は全部打っとうと。水源は潰した。樽や桶の水にも少しずつ畑の土を入れて来た。異変を察知した連中が捕虜に少し離れた川まで水を汲みに行かせたのも付いて行って監視役を殺して捕虜は逃がしてやった。アンタらが食料倉庫を抑えたのもあって、こん兵隊どめもしばらく追っかけるとか戦うとか無理やろばい。なんせ軍人と馬はとにかく飯ば喰うけんね」


 淡々と説明をするのだけれど、なるほど。あの倒れている兵隊たちは水に当たったのだ。

 毒ほど激烈じゃなくても、肥えた土を水に溶いて人間に飲ませれば徐々に腹を下す。即効性がない分、影響はむしろ大きくなるかもしれない。

 そうして原因不明の混乱がたたって、補給の効かない馬を使えなかった。だからジプシーたちの撤退にも騎馬隊が追撃に来なかったのだ。

 モモックの言うとおり、これでメッシャール軍はしばらく回復に努めることになる。 

 しかし、グリレシアを指して『国を滅ぼす』と評したギーの言葉を今さら思い出した。

 相手にとって未知という強みがあるとはいえ、たった一人で数百人を伏せさせ、軍隊を行動不能にしたのだ。これが集団でやってくれば確かに国が滅んでもおかしくはない。

 

「そっか、お疲れさま。この戦果に対しての褒美はロバートに伝えとくよ」


 どうせ彼は雌のグリレシアを欲しがるのだろう。

 そう思っていたのだけど、モモックは顔をしかめて僕を睨んだ。


「なん言いようとか。オイは常から食客んごてダラダラ遊ばせて貰いよっちゃけ、こういうときはエラさみて働くのが当たり前やろ」

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