第518話 第一波

 追跡用の騎兵部隊が出てこない。

 アスロは遠ざかる銃兵隊を見送りながら首を傾げた。

 いくら銃兵部隊の攻撃が怖いとはいえ、背を見せて撤退する敵を追い掛けない理由がないのだ。

 罠や伏兵を恐れるにしても、威力偵察も行わないのは考えがたい。

 それにまだ日も沈みきっていない。

 夜間になれば騎馬隊は行動できなくなるが、まだ十分に明るいのだ。であればなおさら、すぐに出てこなければおかしい。

 しかし、出て来ないのならそれに越したことはあるまい。

 アスロは考えても仕方ないことをいつまでも考えない。そうでなくても他に考えることが山ほどあるからだ。

 曲射で降り注ぐ矢が身を隠す小屋の壁に当たってバチバチと音を立てる。

 燃え残った同じような壁に十名のガルダ商会用心棒たちが伏せていた。

 壁を外れた矢は数十本も地面に突き立てられ、数を増していく。

 この雨のような矢の中で騎馬隊の足止めをしなくてよくなったのは朗報である。

 弓兵が牽制をしつつ近づいてくる。間もなく曲射が直射になり、槍を持った歩兵が壁を回り込んでくるだろう。

 ガルダ商会のアナンシ会長が隣で矢を眺めていた。

 一緒に街中を潜り、放火の準備をしながら敵を殺して回った他の用心棒たちと、アスロが実際に殴られたグロリアについては実力を知っている。どれもこれも相当な腕利き揃いである。

 しかし、このアナンシ会長という男だけはどう見ても戦場に似つかわしくない。

 動きは遅く、反応は鈍い。

 だが、本人の言を信じるのであれば彼は『凄腕の』魔法使いなのだという。

 そうして、用心棒連中もグロリアも、表に出さないながらどこかで彼を恐れている様に見える。


「ねえアスロ、近づいてきたら敵を焼き払うからね」


 アナンシ会長は相変わらず状況を理解していない様な表情でこちらに言葉を投げてくる。アスロは頷きながら、軍学校で聞いた講義を思い出していた。

 砂漠手前の王国には魔法を使う兵士がいるという。

 奇術詐術をマシにしたものだと教官は言った。ミステリアスパワーで火を出したりするのだと。

 初見では多少驚く事もあろうが、不可思議を恐れすぎる事が被害の大きさを広げるのであり、せいぜい銃兵の五名ほどの脅威度と見積もって警戒すればよく、重砲一門程も恐れる必要はないのだから冷静に対処するように。だったか。

 焼き払うというのがどれくらいのものか。手榴弾を投擲するくらいは期待して良いのか。

 いずれにせよそれほど過大に見積もるわけにはいかない。

 回り込んで弓を射られる前に敵の歩兵が進んでくればそれに飛び込み、矢を射かけられない様に戦う必要があり、弓兵が大きく回り込んできたのなら多少の被弾を覚悟で突撃せねばならないのだ。

 敵の弓は短弓であり射程距離は長くないのだから、誰かは矢に当たるだろうがそれほど分の悪い賭けではない。

 アナンシ会長を除く全員が、傍らに建材でこしらえた簡易な盾を用意していた。

 アスロは壁の隙間からそっと敵を覗く。

 およそ五十名程だろうか。軽装弓兵がこちらに弓を射っていた。

 その後ろに控えた軽装の歩兵がやはり五十名。氏族を表す為か、全員の鎧に同じ紋様が刻まれている。

 と、隊長らしき男が手を挙げた。

 矢の雨は止み、手に手に短槍や直刀を掲げた歩兵たちが前に進み始めた。


「突撃!」


 野太い声がこだますると、それに応じるように歩兵たちは声を上げて走りだす。

 弓兵も弓を捨て、片手剣に持ち替えると後に続いていた。矢を射れば仲間に当たるという判断なのだろう。

 こちらは十名。あちらは百名。それも、百名を全部倒したって終わりではない。

 さて、撤退の判断を下すまでにこの腕利きたちは半分も生き残るだろうか。

 アスロは今から死の淵にたたき込む仲間たちの顔を見た。そして驚く。

 どれもこれも悲壮な表情など浮かべていない。

 次の瞬間、アナンシ会長が何事か唱えるとなにもない空間に突如として全身鎧が現れたではないか。走り来る連中を指さすと、鎧は手を前方に向け……

 湧いて出た猛烈な炎がメッシャール軍兵士たちに向かって吹き付けられた。

 膨張した空気が強い風となってアスロにも押し寄せる。

 あまりの熱気に顔を背けた瞬間、物陰で盾をかざす用心棒たちが目に入った。

 なるほど、こいつらは弓矢ではなくて熱気から身を守るために盾を構えていたのか。

 アナンシ会長が更に何か呟くと、鎧の姿はさっと掻き消える。

 冗談を言うな。これのどこが銃兵五名だ。

 かつての教官に心の内で毒づくと、アスロも物陰に身を隠して熱をやり過ごした。

 少しして空気がようやく冷静を取り戻しかけた頃にアスロは敵の方を確認した。

 メッシャール人のうち、どこかの部族の戦士たち百名が怨嗟の一つを上げる間もなく燃え上がり、死んでいた。主要な戦力を丸ごと失ったのだろうからおそらく、彼らを輩出した氏族は遠からず滅びるだろう。


「上手くいったけど、次は第二波か。同じように突っ込んで来てくればいいけど手の内を見せちゃったからな。次からは用心されるよね?」


 アナンシ会長はそう言いながらアスロの方を見つめた。

 確かにアスロは、敵の波状攻撃について説明していた。

 突撃してきた部隊を撃退してもすぐに次の部隊がやってくるから気を抜くなと。


「会長、たぶんもう来ないよ」


 アスロはようやくそれだけ言った。

 あれを見て、次に突っ込んで来ようという者がいるものか。

 え、と言う表情を浮かべてアナンシ会長は燃えた敵兵を見つめていた。

 これでも怯まずに敵が来ると思うのなら、普段からどんな敵と戦っているのだ。


「腰が引けて、また先陣の押し付け合いを始めるだろうからさ」


 だから辺りが完全に暗くなるのを待ってこっそりと撤退すればそれで作戦は成功である。

 しかし、アナンシ会長はグロリアに相談する様に口を開く。


「じゃあ、暗くなるのを待ってもう少し戦っていこうか。アスロもよければ付き合ってよ」


「いや……」


 反対しかけて、アスロは思わず笑ってしまった。

 他の連中はともかく、軍事的常識に則った行動など、この男に必要ないだろう。

 なんせ単独で異常な火力を誇っているのだ。照らし合わせる常識がどこにも存在しない。

 

「うん、いいよ。やろう。暗闇での戦いは俺の専門だよ」


 アスロは元々、少数浸透、奇襲、破壊工作などについて徹底した教育を受けた精鋭である。

 それらはどれも軍事的不利、あるいは常識をひっくり返す為の技術ではないか。

 

「偶然だな。俺らも全員、暗闇は得意なんだ」


 用心棒のグェンが頼もしげに言う。

 確かに、この連中となら多少の無茶をした方がいいかもしれない。


「誰が死んでも恨み言はいわないでね」


 もともと、この遅滞作戦で彼らの少なくとも半分以上が死ぬと思っていたのだ。ほんのもう少し、血が流れるまで粘っても悪くないだろう。

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