第515話 甘すぎる飴

 グランビルの鎧は青い光が表面を走りながら戦闘準備を告げている。

 しかし、対手の準備万端を待つほどブラントはお人好しではない。

 ブラントは即座に間合いを詰め、勢いのままにグランビルの顔面を蹴りつけた。

 軽装のブラントが重装備のグランビルに勝るのは身軽さである。

 高速で足の裏に体重を乗せ、踏みつける様に繰り出された蹴りは、常人なら同様の重装鎧を纏っていようとも昏倒させるに足る威力を纏っていた。

 だが、堅い。

 グランビルの頭部はビクともせず、ブラントの足には巨岩を蹴りつけた様な痛みが残った。

 ブラントは舌打ちをすると、振り上げた足を起点に背後へ飛ぶ。

 黒剣と呼ばれる両刃の長剣が小枝のように振られたのはまさにその時で、通過線に残った足を二本切断した。

 地面に両手を突いたブラントは地面を強く押して更に背後へと飛び跳ねる。

 しかし、グランビルの踏み込みは神速の域に達していた。

 兜を通してなお強烈な視線がブラントを睨め付ける。

 胴体を二分せよと振り抜かれた黒剣はとっさに軸をずらしたブラントの右腕を切断した。

 回復魔法を発動し、ブラントはその足で地面を踏みしめると、続く一撃を細剣でいなす。

 完全に威力を流すつもりで受けたものの、あまりの重さに細剣が不気味な悲鳴を上げた。

 強力な剣撃と、小山の様に堅固な鎧。どちらも厄介だが、なにより厄介なのはそれを操るグランビル本人である。

 反撃を試みようと細剣を構えた時にはグランビルは既に受ける準備を終えているのだ。

 目などの穴や鎧の継手など、最速で打ち込んでも捌かれて両断される未来が突きつけられる。

 同時に、無数に重ねるブラントのフェイントに全く引っかからずグランビルは最短距離で正解を引き続ける。それどころか火花が飛び散る読み合いの沼で、明らかにブラントははっきりと劣勢に立っていた。

 打ち込み先を一瞬迷った剣先は肩にはじかれ、そのまま漆黒の鎧はブラントにぶつかる。

 体中の骨が軋み、数本の骨が折れる音が内部からブラントの鼓膜を揺らす。

 マズい。

 みっともなく涎を撒き散らしながらブラントは思った。

 ヒューキースやオルオンどころではない。

 グランビル一人でさえも手に余る。

 回復魔法を詠唱し、全ての傷を治癒させる。

 流石だ。

 グランビルの強さにブラントは舌を巻く。

 正面から戦えば勝てないとは思っていたが、ここまで差があったものか。

 次の一合に向けて呼吸を整え、歩方を刻もうとしてつんのめった。

 立ち止まったほんの一瞬に、ブラントの右足に何かが巻き付いて固定していた。

 見た目はスライムに似ているが、石のように堅い。

 深く考えるより先にグランビルの一撃が襲い、ブラントはとっさに細剣で身を守った。

 ガチン、と激しい音がして意識ごと体が吹き飛ぶ。

 地面に叩き付けられ、転がりながら意識を取り戻すと細剣が半ばから折れていた。

 迷宮で磨き続けてきた魔剣だ。身は細くともおいそれと折れるものではない。

 が、グランビルの力が尋常ではないのだろう。

 立ち上がろうとして右足がないことに気づく。

 見れば先ほど固定された場所で右膝から下はまだ、立ち続けていた。

 なるほどあれはオルオンの仕業なのだろう。

 間合いの遙かに向こうで小瓶を持ったオルオンが楽しげに笑っている。

 襲撃者たちとの殺し合いが展開される途中で、大通りからは人々も逃げ出していたが、仮に誰かいたとしてもグランビルの攻撃の前には盾にもならない。

 残った細剣であの怪物と渡り合うのは無謀だ。

 手に残った細剣を投げつけつつ、ブラントは最後の回復魔法を唱えた。

 直前の襲撃者たちに費やされた回復魔法のせいでこれ以上の継戦は難しい。

 再生した足をもって通りに面した家屋の壁を駆け上る。

 重装備のグランビルは縦の動きについて来られまい。この場は屋根を伝って逃走し、改めて目的を果たさなければ。

 わずかな出っ張りを使って屋根に乗ったブラントは背後も見ずに遁走を決め込む。

 しかし、結果から言えばこの男はグランビルを振り返るべきだったのだ。

 勢いを溜める様に黒剣を振りかぶったグランビルは、剣が届かない位置まで逃れたブラントに向けて光線のごとく剣を振り抜いた。

 剣先から放たれる強大な魔力の斬撃は遮るものを破壊しながら迫り、中空のブラントを胸の辺りで横一文字に切断した。

 迷宮で放たれることのない全力の斬撃はブラントを斬って収まるものではなく、その背後に広がる丘状の市街地と王城の一部、それに王都を囲む防壁の一部を派手に壊してやっと消滅するのだった。

 事切れる直前、ブラントは先ほどの花屋が消し飛んだのを確認した。

 この街で絶望に打ちひしがれたかつての自分に花束でも、という珍しい感傷はついに果たされることなく消えていく。

 

「やあ、よくやったよ。グランビル」


 小瓶から出した使い魔にブラントの死体を探させながらオルオンは褒めた。

 おそらくは無数の市民が埋まっている膨大な瓦礫を前に、グランビルは下唇を噛みながら振り向いた。

 長く嫌悪した敵を打ち倒した高揚に浸る間もなく、全身を幸福感が満たしていく。

 決して喜びはすまいと思っているのに、我慢できず口元がほころんでしまう。


「こ……これくらいは、当然だ」


 感情に抗いながら、グランビルは可能な限りの反抗を試みる。

 が、オルオンが優しく頷くだけで全身に電流が走り、慌てて手で顔を覆う。

 

「お、お願いだからしばらく放っておいてくれ!」


 半泣きで哀願するグランビルを無視してオルオンは使い魔が引きずり出したブラントの死体を確認する。

 胸から下はきれいに切断されているが頭部の損傷も少なく、賞金との交換には困らなそうだ。

 ブラントの頭髪を掴んで無造作に拾い上げると、オルオンは服に血がつくのも構わずに担いだ。

 事実、オルオンの頭脳は何者にも執着するようには出来ていないのだ。たとえそれが長く付き合った同業者でも、隣にいるグランビルでも。

 たとえ王都の破壊で罪に問われたところで言葉ほどは困りもしない。

 しかし、だからこそ発せられたその軽はずみな言葉は度重なる快感の波に腰が砕けつつあったグランビルにとどめを刺してしまった。


「さて、王都を壊した責任がまかり間違って俺たちに来ても面倒だ。知り合いに会う前にさっさと帰ろう」


「か……帰るぅぅぅっ!」


 オルオンへの服従に我慢できなくなったグランビルの咆哮は、王都の空に響き渡るのだった。

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