第514話 喪失

 二人は手を繋いだまま大通りを駆け抜け、人で賑わう城門をすり抜けた。

 ここに至ってようやくパラゴは速度を落とし、通行人たちに紛れ込みながら城門の外へ出た。


「ちょっと、パラゴさん。いい加減に手を離してください」


「ダメだ。オマエはまだ迷っている」


 マーロの言葉に、パラゴはピシャリと言って反論を許さない。それでも戦士と盗賊である。その気になれば容易に振り払える手をマーロも握ったまま離せなかった。

 迷う。その言葉にマーロの胸が脈拍を強く打つ。

 自分は確かに、ブラントの元に戻ろうかと逡巡している。

 同時に、進むべき道がわからず慌てる幼子の様に不安でもあった。

 今、有無を言わせずに自らを引っ張ってくれる手は、少なくとも自分をどこかへ連れて行こうとしている。

 暗く、息苦しい水底にあって、それは確かに眩い救いに思えた。

 しかし、今まで暖かく守ってくれたブラントからも後ろ髪を引かれる。

 想いがぶつかり合い結論が出せないまま前に進んでいく。

 と、郊外には馬車が一台待っていて御者が手を振っていた。

 

「乗れよ」


 馬車には座席があり、かつて旅をしたときによく乗った荷馬車ではない。

 かといって乗合馬車ほども大きくない。

 つまりは貴人向けの高級品であった。

 二人が乗り込んですぐ、馬車は動き出していく。


「……ちょっと、どういうことですか?」


 遠くを険しい目で睨み、なにも説明しないパラゴにマーロは問う。

 パラゴは苦笑いを浮かべると服の袖をまくり前腕を見せつけた。そこにはびっしりと鳥肌が浮いていた。


「ほら見ろよ。ああ、怖かった。もう二度とやらねえぞ」


 そう言うと首筋を手ぬぐいで拭う。いつの間にかパラゴの首は水浴びをしたかのように塗れており、玉の汗は額にも湧いてさらには服を内側から湿らせていた。


「大体、俺は二度と前に出ないって決めていたんだぞ。それをあんなバケモノの間合いに入るなんて」


 額の汗を袖で拭うと王都の方を睨みながら深呼吸をした。

 それでも落ち着かないらしく、呼吸は激しい運動をした後のように乱れていた。

 マーロはこの男が小心である事をよく知っている。

 一緒に旅をしたときも、その後もパラゴが武器をとって直接戦闘に参加したことは無かったし、何かあれば真っ先に逃げ出していた。

 だからこの男が如何に恐怖と向き合ってブラントと見つめ合ったのか。彼の震える指や唇を見なくてもそれは理解できた。

 でも。


「きちんと説明してください。私はあの人の副官として……」


 パラゴは手の平をマーロの眼前に出して黙らせると、深呼吸をして口を開く。


「もう少し待て。俺が落ち着くまで」


 そうして、パラゴは再び遠ざかりつつある王都を睨むのだった。


 王都が見えなくなって、更にしばらくしてから。汗にぐっしょりと濡れたパラゴの服も風ですっかり乾いてからその視線はようやくマーロの方を向いた。

 

「俺はブラントがやるような革命とか反乱とか、全然興味がないんだ。やりたいヤツが好きにやればいい」


 あっさりとした、いつもの突き放すような口調である。


「だからな、反乱軍が優勢だと聞いてたころは気にもしていなかったんだ。オマエは腕利きだし、ブラントの側にいるなら滅多な事も無いと思っていた。互いに殺し合う戦場で命を落とすのも、個人の選択だと思ってたよ。だけど入ってくる情報じゃ、もう反乱軍はダメらしい。そうなると、俺はオマエが死ぬんじゃないかと急に不安になっちまったよ」


 怒ったような表情でパラゴは深いため息を吐く。


「なんで私なんかが死ぬのをそんなに気にするのですか?」


 マーロは純粋な疑問を呈した。

 大勢人が死ぬ戦場に居続けた今、自分も含めて個人個人の死が曖昧になっていた。

 しかし、パラゴは苦々しく床を睨むとボツリと呟いた。


「仲間だからだろう」


「え?」


「オマエが俺をどう思っているかとかは関係ないんだ。オマエとシガーフル隊、それに元シガーフル隊のメンツやその周りが俺にとっての仲間だと思っている。他のやつはどうでもいいが、大事な仲間を失うのは辛い。前回も立ち直るまでに随分と時間が掛かったし、もしかすると次は二度と立ち直れないかもしれない。そう思ったら怖くなったんだ」


 そこまで言うと、急に恥ずかしくなったのかパラゴは顔を赤くしてそっぽを向いた。

 冒険者になりたてのパラゴが相棒のヘイモスを失ったのは迷宮都市では有名な話だ。というよりも、物語上の人物としてシガーフル隊が語られる際、煌びやかな逸話に彩られる他の連中と違って、目立たないパラゴだけは『親友を喪った悲劇の男』くらいしか言葉が並べられないのだ。


「あの、でも……私は父からブラント先生の副官を務める様に命じられていて」


 もともとマーロの父はブラントを操り情報を仕入れるために娘をブラントに近づけていたのだ。

 同時にマーロはブラントに差し出された人質の役目も果たしており、二人を繋ぐ架け橋でもあった。


「そういうのは気にするな。全部済んだ」


 元から馬車に乗せられていた布袋からパラゴは一通の封筒を取り出し、マーロに差し出した。

 封蝋に刻まれた紋章は間違いなく潜伏中の父のものであった。


「内容はブラントから離れて帰ってこいってことだ。それでこっちが領主代理から取り付けたオマエと親父を罪に問わない確約書。今回の一連ではオマエが人質に取られて親子とも無理矢理従わされた事になってる。それでこれがブラントに東方領主府が掛けた賞金の公告だ」


 パラゴは次々に内容を説明しながら、紙を取り出して見せる。

 マーロは賞金公告を見て目を丸くした。

 そこにはデカデカと賞金額が書いてあったのだが。


「金貨二万枚?」


 法外とでも言おうか、過去に張り出されたいかなる賞金首と比しても桁違いな金額だ。

 しかし、その言葉にパラゴは両目を押さえて項垂れる。


「俺の全財産……ロバートのクソ野郎め」


 深いため息とともに領主代理に向けて呪詛の言葉を吐く。


「え、これはパラゴさんが出したんですか?」


「賞金稼ぎたちを動かすには正式な領主府の保証がいるからな。オマエの事なんて興味も無いロバートがそんな大金を出したり親父を許したりするかよ。金貨二万枚どころじゃない俺の財産をあらかた差し押さえる事を条件に許可して貰ったんだよ。ああ、大損だ」


 本当に辛いらしくパラゴは座椅子に崩れ落ちた。


「けどな、それでも時を戻してヘイモスを生き返らせることが出来れば、俺はやっているよ。だったら他の仲間にも同じくらい身を投げ出していいと……その時は思ったんだ。本当に」


 力の抜けた弱々しい声で天を仰ぐパラゴはやがてゆっくりと身を起こす。


「そんな訳で、オマエを助けられるのは今回だけ一回限りだ。頼むから二度と変なところには行かないでくれ……俺の贅沢な豪邸暮らしの夢はどっか行っちまったけどな」


 この男は自分の夢よりも、自らの命を含めた全てを投げ出して仲間を助ける事を選んだのだ。

 まるでブラントと逆の行動にマーロは驚く。


「あの、ありがとうございます。お金は少しずつでも返していきますので」


「ああ……ああ。仲間だから気にするなと言いたいところだが、できるだけ頼むよ。オマエの親父さんも俺の路銀を出したらスッカラカンだと言ってたから期待はしていないけどな」


 緊張の糸が切れたのか、現実と向き合ったのかシクシクと泣き始めたパラゴの情けなさにマーロは思わず笑ってしまった。

 ブラントだったら決して見せなかった弱さである。

 後ろ髪はまだブラントの手によって強く引っ張られていたが、それでも振り返ると、既に戻れない場所まで馬車は来ていた。


 ※


「なるほど、見覚えがあると思えば君たちの弟子か。なかなか手強かったよ」


 ブラントは負わされた手傷を魔法で回復しながら、血溜まりの中で鋭い視線を通りの奥へ向けた。

 間合いの遙かに外側では何が面白いのか楽しそうに笑う男が立っていた。


「ああ、相手が君でも金貨二万枚は条件がいい。グランビル、やりなさい」


 フフフ、とブラントの口からも思わず笑いが零れた。

 男の手前で漆黒の鎧を着ているのは間違いなく『黒騎士』のグランビルだ。

 なぜ彼女が『学者』のオルオンなどと連んでいるのかは知らないが、あまりにも条件が悪い。

 しかしグランビルがいるのなら側近のヒューキースたちも周囲に伏せている可能性が高い。

 大望を果たす直前でも不運は重なる。人生の上手くいかなさにブラントは笑うばかりだった。

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