第513話 追跡者

 内乱にあっても王都は賑やかで、いやむしろ財産を抱えた連中が大量に流入したことから常ではあり得ないほどの熱気に包まれていた。


「お、あそこに花屋があるね。戻りがけには寄りたいから覚えていてくれたまえよ」


 楽しげに立ち並ぶ商店を眺めながらブラントが呟いた。

 彼の視線を追えば、その先には小さな花屋が見つけられる。

 マーロはハイもイイエもなく無言でブラントの横を歩く。

 傍から見れば二人はなんに見えるだろうか。

 実際には主従であり、師弟である。同時に共犯者でもある。

 

「先生、やはり戻った方が……」


 声を押し殺してマーロは呟いた。喧噪の中でその言葉はブラントに届かない。仮にブラントの耳に届いたとしても心には届かないことはわかりきっていた。


 東方領決起軍の旗色が決定的に悪くなったのは新西方領から引き戻されたヒョークマン率いる精鋭部隊が参戦してからである。

 新西方領軍兵士たちは戦場での膨大な経験を積み、迷宮順応の程度は同じでも決起軍の精鋭兵士たちよりも遙かに柔軟で強靱だった。

 もとよりブラントはそれを知っており精鋭兵士たちには撤退を繰り返させているが、それでも徐々に被害は増え続けており、既に決起時の半数も残っていない。更に、決起軍に流れ込み続けていた有象無象の雑兵たちもここのところ続く苦境を嗅ぎつけて離れだしていた。

 にもかかわらず、ブラントとマーロは決起軍を遠く離れて王都に来ているのだ。


「ふむ、この辺りの通りには見覚えがあるね。もう随分昔の事だが、ここを通ったのを覚えているよ」


 ブラントは朗らかに笑いながら、足を進めていく。

 マーロは幼い頃にブラントと二人で歩いた日を思い出す。

 その頃のブラントは優しく、後ろをついて歩くマーロを気遣っていた。

 だが、今はこちらを振り返りもしない。

 時が経ってブラントは怪人の本性を現したのだ。そうして、マーロも幼子のままでいることは許されない。

 

「先生、いい加減にしてください。今にも決起軍は危機を迎えているんです。司令官なら仲間と共に戦場にいなければ……」


 ブラントは振り返ると諧謔に満ちた表情で首を振った。


「君は何を言っているのかね。決起軍の司令官は御領主殿だ。私ではない」


 あの怖気がする様な廃人になんの責任を被せようというのか。

 椅子に座り虚空を見つめる東方領主の表情を思い出し、マーロは顔をしかめた。


「誰も彼も、私だって父だって、先生がやると言うから着いて来たんです。今更それを知らないと言うのですか?」


 往来の真ん中で涼しい顔をしたブラントと、目を真っ赤に充血させたマーロが視線を交わした。


「落ち着きたまえよ、マーロ。大勢を見つめる者たちは、伸るか反るかの反逆はもう失敗したと見なしている。君の父上もそうだろう」


 確かに、ここのところ父からの言伝は破滅を前にして混乱気味のものばかりだった。

 

「さらに目端が利く者たちは既に、この後に行われる本領軍対西方領軍に向けて動き出しているのだ。もはや以前のように内密に決起軍への支援を申し出る者などいないのだよ」


 決起軍が膨張していた頃は、表向きでマーロの父を非難しながら裏で新体制への協力を申し出る者は大勢いたと言うが、そういう連中も皆去ったと聞く。

 

「それでも、帰って仲間たちに指示を出してください。せめて、それくらいの責任は果たすべきです」


 私も一緒に死んであげますから。

 続いて出そうになった言葉をマーロは必死で飲み込んだ。

 

「帰る……か。私はずっとここへ帰ってきたかったのだよ。遠い日、首に縄を掛けられ捕虜として歩かされたこの通りに。思い出深いものだ。現在、厄介な新西方領軍の精鋭たちは決起軍を追って遙か彼方。西方領軍と本領軍は既に互いを睨み合って動けないでいる。近隣には賊が跋扈し、逃げるように流れ込んだ人間たちは治安を乱す。王直属の親衛隊まで多数が市街地を駆けずり回っている始末だ。準備は万端。私は確かに君たち親子と約束したね。王の首を刎ねると」


 どこまでも暗い瞳が、乾いた笑い声を伴ってマーロに向けられた。

 この男は王国の全てを台無しにしてでも、自分を信頼する全てを裏切ってでも自らの手で国王を殺したかったのだ。

 

「私の記憶が確かなら、王城はもう少し先だった筈だ。さあ、せめてその場面は君に見せてあげよう。帰って御父君に報告したまえよ」


 ブラントが誘うように手を伸ばした。

 マーロはその目を向けられるだけで苦しくなり、逃げるように手を掴もうとした。

 しかし。

 

「アンタが一人で行けよ」


 横手から何者かがマーロの手を掴んでいた。


「こいつは俺が連れて帰る。俺たちは迷宮都市に帰るんだ」


 それは、かつてブラントの命により西方まで一緒に旅をした盗賊の小男、パラゴだった。

 流石に意表を突かれたのだろう。ブラントもあっけに取られて動きが止まる。


「ほら、行くぞ。巻き込まれる」


 パラゴに引っ張られてマーロはブラントから引き剥がされた。

 と、次の瞬間。

 背後から打ち下ろされた短刀をブラントはかわして細剣を引き抜いた。

 そこにまた別の者が襲いかかり、ブラントは繰り出される攻撃を細剣で打ち払う。

 本来であればもっと早く襲撃を察知できたものが、突然あらわれたパラゴによって後手に回っている。


「見るな、忘れろ!」


 どうするべきか混乱しているマーロをパラゴは強引に引きずって走った。

 背後では更に増えた襲撃者たちとブラントとの戦闘音が響いていた。

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