第508話 悪魔

「どないでっか、閣下。悪い話じゃありませんやろ」


 天幕の中は膨張した苛立ちに包まれていた。

 誰が苛立っているのかといえば、ユゴールである。

 長い机を挟んでメッシャール軍司令官が座っており、その横に四名の参謀も並んでいる。

 対してユゴールの横にはハメッドとアスロが座っている。

 そうして、短剣を腰に下げた護衛の兵士が三人、いつでも斬りかかれる距離でユゴールたちの後ろに立っていた。


「最新式の武器もバンバン持ってきますわな。これからの聖戦には必要ですやろ」


 ユゴールは圧の強い顔でズイ、と迫るもメッシャールの司令官は首を振る。

 四十絡みの司令官は口ひげを蓄え、髪をなで付けていた。この男はメッシャール人では珍しく若い頃には西方に留学していたとのことで淡々とした口調がユゴールの調子を崩していく。


「最新式の武器とやらが多少あったとして、今の我らには必要が無い。それよりも、祖父の代に追われた土地の奪還を前にして、あえて自らの故郷を切り売りする方がマズい」


 アスロはそれを聞きながら、どうもよくない流れを感じていた。

 計画では、アスロが手土産に持ってきた武器のサンプルや、ユゴールの口八丁で上手く丸め込むはずであった。

 確かにこの土地はかつてメッシャール人の居住地であったものを南部の王国が勢力を増して奪い取ったのだ。眼前の司令官にしても王国動揺の好機に目をギラつかせている。

 だが、そんな都合はアスロにとってどうでもいいのだ。

 アスロの興味があるのはかつてこの地を追い払われたメッシャール人が逃げ込み、生活しているこの先の平野、その更に北部に存在する山岳群である。


「いや、切り売りって言葉が悪いですわ。ワシら、ただ掘らして貰えればそれで礼もしますさかい……」


「そうして蛮地から重要な資源を根こそぎ吸い上げる。列強国のやり方には悪いが通じているんだ」


 愛想笑いを浮かべるユゴールに司令官は書簡を押し返す。それにはアスロの雇い主、ボージャのサインと紋章が刻んであった。

 ユゴールは鼻で大きく息を吸うと、机の上の書簡に目を落とす。その顔面からはすっかり笑顔が消えていた。


「しかし、ねえ閣下。アンタらがあのお山を持ってて、ほんなら何になりますの。ひょっとして、資源を自分たちで使えばより潤うやら思うてまへんか?」


 ユゴールは新大陸から伝来した煙草に火をつけて煙を吐き出した。

 刺激のある煙と、その態度に司令官の目つきが細くなる。


「たしかに、そのお手紙に書いてあることは無茶かも知らんわ。なんせ九十九年間の採掘権を認めろやら書いてありますからな。それはこのアスロ君の一存で十年まで短くしていいともありますやろ。それに技術もない、知識もないじゃあ自分で掘って、しかもそれを活かすのは難しいで。せやからね、閣下。おとなしゅう十年の採掘権で手を打ったらどないやろか。ほいで、その間に自分とこの技術者やら育てて、こっちの撤収時に設備も安う買い叩けばその後の資源はアンタらのモンやんか」


 もちろん甘いだけの見通しであり、現実は決して風下に立った者の望むとおりには進まない。それでも一見すれば筋の通った提案をユゴールはしている。

 

「列強のやり方、知ってんのやったらわかるやろ。なかなかこんな好条件ないぞ。ワシら、交渉任された第三者やからどっちゃでもええねんけど、今が売り時っちゅうのはこんなん馬鹿でもわかるわいな」


 ユゴールは煙草を深く吸い、天幕の天井に向かって大量の煙を吐いた。

 参謀たちは横目で互いの表情を窺っている。あるいはユゴールの言葉に現実的な落としどころを見いだし始めたのだ。

 しかし、司令官は一切の逡巡を見せなかった。


「領土の切り売りはしない。売り時がいつだろうが、売る気は永遠に無いんだ。それを理解したら帰れ」


 明確な拒絶にユゴールは渋い顔をすると、煙草を机で揉み消した。

 とりつく島もないとはこのことである。

 だが、ユゴールの脳内ではこれからどう進めて合意を得るかに向けて思考が巡らされていた。これはユゴールの仕事であり、金も受け取っている。諦めるという結論はあり得ないのだ。

 と、天幕の外から騒がしい声が聞こえてくる。

 話を仕切り直すにはちょうどいい。

 それを察したハメッドが席を蹴って立ち上がった。


「なんやろな。俺、見てきましょうか」


 言うが早いか天幕の入り口から顔を出して外を覗く。

 そうして、そのまま天幕の中にはしばしの沈黙が流れた。

 やがてしびれを切らした参謀の一人が立ち上がって怒鳴った。


「なんだ。一体どうしたというんだ?」


 それに対してゆっくりと顔を引っ込めたハメッドは苦笑しながら答える。


「なんやろ。なんか化け物が暴れとりますわ。あれは……悪魔?」


 メッシャール人たちはギョッとして二人の兵士がハメッドと入れ替わって外を睨んだ。アスロも席を立つと彼らと共に騒ぎの方向に視線をやる。

 ずっと向こう。メッシャール軍陣地の端っこ辺り。そこには確かに悪魔がいた。

 赤い肌をした山羊頭、三対の腕と毛むくじゃらの下半身。そんな化け物が七体も歩き回っていたのだ。

 それぞれが炎を撒き散らしたり、鋭い爪の生えた腕を振り回したりして兵士たちを蹂躙している。

 

「おお、ホンマに悪魔やんけ。初めて見たわ」


 アスロの横で外を睨むユゴールも驚いた声を上げた。

 

「しかし、ちょうどええがな。ハメッド、殺てもうたれや」


「へえ」


 言うが早いか、ハメッドは兵士の短剣を我が物顔で引き抜き、その持ち主を斬り殺した。

 一瞬、驚いたアスロも思考より体が先に動きだす。即座に隣の兵士に掌底を打ち込み昏倒させると、残った兵士に飛びかかった。

 剣を抜こうとする手を制しながら足払いで転ばせると顎を踏みつけて粉砕し、先に倒した兵士にとどめを刺して振り向くと、すでに司令官と参謀たちは血の海に沈んでいた。

 ハメッドは短剣を投げ捨てると、笑顔を浮かべて言った。


「しかしオヤッサン、あんな化け物が現れて司令官が殺されるとは思いもしませんでしたな」


「ホンマやな。日頃の行いが悪かったんやろうか。まあ未開の土地やさかい、不思議なこともようけあるやろ。それにしても次はもっと話しやすいヤツと話せたらええのう」


 ユゴールは机の上の書簡を拾い上げて懐に収める。


「ほな、ワシらもズラかろか。この距離やからこっちには気づかんと思うけども、あれらがこの天幕に全く近づいてこんのも都合が悪い。アスロ、あれ出して準備せい」


 アスロは言われるまま、手土産として持ってきていたケースから金属製の棒を取り出すのだった。

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