第506話 尺度
まず、何をもって北方領とするかだ。
「グロリアさん、ここは北方領かな。それともメッシャール人領土?」
僕の問いにグロリアが怪訝そうな表情を浮かべる。
二呼吸ほどの間、彼女は考え込んでから口を開いた。
「王国としてはおそらく。この辺りはかつて議会で領有が認められ、その後も放棄を宣言してはいません。しかし、メッシャール人が事実上占拠していますので既に領土という表現は難しいのでは?」
それを言うのなら北方の統治を委任された北方領主が既にいないのだ。
そういった意味でここは王国領土ではない。
「でも、ここの住民は王国の臣民だし、北方領民だ。となると支配者はメッシャール人。住民と統治者がチグハグになる。それぞれ考え方があるんだろうけど、曖昧だってことだね。それじゃあこうしよう。『僕が判断する』からここは北方領だ」
そうやって思考を広げ、他者を押しつぶしていく。
ガルダやブラント、そしてロバートの様な連中は皆そうしていた。
あくまでも一方的に、他者に対して自分の都合を押しつけ、踏みつぶされる者はそこにいるのが悪いとばかりに蹴散らす。
よくよく考えればメッシャール人もこの街の住民に同じことをしているではないか。転がる死体の中には年端も行かない子供もいる。
僕はどうも、他人に自分の都合を押しつけるのが苦手な方だと思っていたのだけれど、よくよく考えれば相手の都合を考えずに大勢を殺してきたのだ。
あとはそれを行動原理にうまく組み込めばこの窮地もなんとかなるかもしれない。
僕は深呼吸をして先ほど出てきた食料管理所を見つめた。
この街に駐留する数千のメッシャール人兵士の内、僕が一人で殺せるのはせいぜい百人か二百人だろう。
ここが迷宮の深層ならあるいは彼らなどいくらでも殺せたかもしれないが、魔力の方が先に尽きる。
しかし、迷宮の外だからこそ敵にだって制限がかかってくるのだ。
そうして、ここが北方領だとすれば取るべき行動は決まって来る。
「だから、まずは穀物倉庫の食料を徴発しましょう」
思考が忙しく駆け回っていく。
答えもない曖昧な目標とは違い、これは明確で何をすればいいかもわかっている。
つまり、相手よりうまく立ち回り困らせ、殺す。いつも僕がやっていることではないか。
ここは既に自分の懐であると考えろ。
「この辺の住民を徴兵するとして武器と馬も必要だね」
大きく息を吸って、全部吐く。
湿っぽい路地の匂いが鼻腔を撫でる。
「グェンは穀物倉庫の場所を探ってよ。僕は今からロッコ閣下と話してくるから。それから、モモックを呼んで貰える?」
僕の表情を見て何か言おうとしたグェンはしかし、その言葉を飲み込むと仲間たちの方へと走っていった。
「グロリアさん、臨時の軍司令官としてロバートさんの名前で命じます。あなたを徴発し副官に任じます。任期は僕の役職が解かれるか、あなたより適任の人が見つかるまで。報酬は……ロバートさんと約束してるんでしょうから、そちらをきっちりと取り立ててください」
どうせ、全ての道義的責任も支払いもロバートなのだ。
僕が事を起こせばおそらく、どこかで見張っているロバートの配下が迷宮都市へ走り、衝突を知らせるだろう。
そこから先は予測になるものの、おそらくロバートは過剰に膨れた難民軍に司令官を着けて送ってくる。
事が整えば、後の事は彼らに任せて僕は帰還する事になるのだろう。
隊商ならば行って帰って十五日。軍勢の出立準備にどのくらい期間がかかるかは予想もつかない。
しかし、冒険者の戦士が馬を乗り潰しながら全速力で行けば片道は四日に短縮できるか。
「私なんかを副官にしていいのですか。私はあなたの首を掻き斬ろうとした女ですよ」
「まぁ、その辺は消去法で仕方が無くといったところですね。しかし状況がわかっている、地理に明るい、僕の言うことにも反論できるとなると今のところ、他の候補者がいないんですよ」
副官には自分にやや批判的な者を置くのがブラントやガルダのやり方だった。
そういう意味でグェンはガルダの存命時には用心棒頭になれなかったのだ。
「それに、この辺りの人が日常を取り戻すために僕が動くなら協力してくれますよね?」
メッシャール人を追い払い、人々を救う。
そう言い切る限り僕はまるで英雄の様ではないか。
「この町に何千人の敵がいるかは知りませんけど、彼らの目論見を狂わせるにはとりあえず百人くらい殺してみましょうか」
僕は軍人ではない。
兵士を並べて真正面からぶつかる戦いは専門外である。
目立たないように行こう。
※
僕はグロリアを引き連れ、ロッコが居館とする建物に再び戻った。
建物の前を警備する三人の兵士たちが行く手を阻む。
「止まれ」
僕は既に魔力を練り終えていた。
『呪いあれ』
僧侶が用いる攻撃のための魔法は、年若い兵士たちから外傷を残さず命を吹き消した。
同時に死霊術を発動し、崩れ落ちかけた兵士たちを案山子に変ずる。
再び背筋を伸ばす兵士たちを、近くから見るのでなければ異変を察知するのは難しいだろう。
そうして、時間を掛ける気は無い。
「ええと、グロリアさん。中にいる人を全員殺して貰っていいですか?」
出来れば静かに、と付け加えた僕にグロリアは黙って頷き、そっと扉を開けて流れるように中へと入っていった。
耳をこらせばドタバタとした騒音やうめき声がわずかに聞こえてくる。
僕も続いて中に入ると、すでにグロリアは駆け抜けた後らしく背中も見えなかった。
代わりに血を噴いて倒れた死体が三つ。
更に奥へ行くと、転々と死体が転がっている。流石に小雨の同門だ。暗殺も手際がいい。
一番奥の扉を開けると、ロッコと目があった。
睨むような視線は何か文句ありげだったものの、肩から離れ床を転がる頭部が話し始める事はついに無かった。
「すみませんね、閣下。文句なら僕以外の誰かに言ってください」
僕の戯言をグロリアは無言のまま短剣を拭いながら見つめていた。
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